
東京都
Shine 様
からのメール
※一部個人情報に関わる部分を伏せたりぼかしたりしております。ご了承ください。
カウンセリング+ヒーリングをありがとうございました。
8月のパワーストーン企画で色々なことに気付き、この機会は大事そうだ、きちんと話して腹に落としたい!と思って申し込みました。
先日パワーストーンとインナーチャイルドワークをした時に浮かび上がった胎内記憶の話をしました。
母親の胎内にて
母の”私を産みたくない感情”をキャッチしながら身体を作ったため
「そんなに嫌なら私は壊れよう」
と思って生まれた直後に病気で死のうと思ったら生かされてしまった…医療の発達をナメてた!
というワークの話をしたら

そうそう!
その始まりだから人生にまったく欲がないよね。
ベースが虚だから人生キラキラにうまくいくんだよ!
とのこと。

あ〜〜ん!!
やっぱり!涙
としか言えませんでした。
これ誰にも共感されませんね…。
だって、今まで意味がわからなかったんです。
「誰も結ばれないし、誰も幸せにならない」
という虚無いメッセージをこめて表現したものに
「可愛いくて楽しくてほっこり癒されました♡」
「美しくて優しい、愛を感じる。素晴らしい…」
というキラキラコメントばかりを貰うのが…。
皆これでホッコリするの!?地獄なのに!?と…。
始まりの影響力を侮っていました。
変な話、ちゃんと自分にも虚や闇、陰(エレシュキガルの世界)があることが分かり本当にホッとしました。光属性ばかり注目されるのが怖かったんです。
人生のベース、無意識過ぎて見つからなかったんですね。
ヒーリング後の好転反応で寝込みつつ、思い出したように星野源の「地獄でなぜ悪い」を聴いて泣いています笑
エレシュキガルとダンスしてる気分です。
母と歩んだ道は私にとっては過酷でしたが、どう足掻いても他人からはキラキラ人生に見られることを受容しつつ…
「お役目を果たすまで死ねないよ♪」
と言われたので、踊りながらお役目の道へ行きます。
素敵な企画とセッション、ありがとうございましたっ!
Nozomiより
ああ、ああ、そうですよね……
そういうことを正直にいうと「は?自慢?」とか「マウント取ってんの?」とか嫌味に取られますよね……。
ほんと、わかってもらえないですよね……。
逆に、なんでみんな上手くいかないほう上手くいかないほうに行くんだろうっていうか、別に普通にやっていけば何とかなったりするのにね~、とか言ったらもうその時点で嫌味なわけで。
みんな、やればいいのに。
ただコミットすればいいのに。
なんでできない言い訳ばかり並べて、行動しないんだろう?
でも「欲」があると執着が生まれて、執着があると「これを達成しないと自分には価値がない」とか重くなっちゃって、そんな重くなると流れは来ないわけで。というか、流れが来たとしても便器にへばりついて流れないうんこみたいになっちゃうわけですよ。うんこ!!!(やめなさい……)
実は私、このメールをいただいて約1カ月前に書いたメモの意味が分かったんです。1カ月も経つわけですから、机の上でシワッシワになって薄汚れておりました。でも、なぜか捨てられずにいたんです。こんな内容のメモを。
エネルギーが軽いと流れに乗る
エネルギーが重いと流れずとどまる
「どうしても叶えたい」←これは重い
Shine様はエネルギーが軽いわけですね。
だから、流れに乗る。他の人が憧れるようなポジションに、流れでするっとついちゃう。しかも、そこが「なんか違くね?」って思ったら、さっさと捨てちゃう。笑
いやはや、痛快ですよ。
でも、その軽さ(虚)は、胎児期と出生時の絶望がもたらしたものなのだと考えると、実に二元性の世界として正しい現象が起こっているなと感じます。美輪明宏さんの言うところの正負の法則ですね。
あと、パワーストーン企画のShine様から頂いたコメントに関連することで少し。家系の流れで現代の女性に起こっていることに関して、今日読んでいた心理学の本にこんなことが書いてありました。
父権社会において<女性性>は過小評価され、集合的には「良き母親」としての存在に限定されてきた。
ユングはその著作のなかで次のように指摘している。現代のヨーロッパでは、これまで認められず生きてこられなかった、あまりにも多くのことが女性の無意識の中に蓄積しており、それはちょうど、ローマ時代の奴隷の心があらゆるローマ人の心に無意識裏に浸透していったのと同じ効果を持っている。
もっとも身分の低い奴隷の魂が、聖なる皇帝の心と比肩されるようになったのと同じように、いまや女性たちは、以前ならけっして認められることのなかった領域で、みずからの生き方を考えようとしている。
このような状況のもとでは、女性はあまりにも一面的に知的になりすぎたり、自分自身の女性性との関係を失うということが、ともすれば起こりがちとなる。というのは、男性性は、女性にとっては劣等な機能なのであり、男性にとって女性性がそうであるのと同じように、あまり分化していないからである。
ユングは、女性の生き方の可能性の拡大を、ローマ時代におけるキリスト教の広がりになぞらえたのであるが、彼の指摘する状況は、現代の日本でも首肯できるものである。またそれが「母機能」から離れた女性の生き方をより複雑にしている。(中略)したがって、社会レベルだけから女性の生き方の解放を叫んでも、なかなか難しい問題を含んでいる。
神話のなかの女たち―日本社会と女性性 p32~33
自分でも考えていたことがドンピシャでユング心理学の本に書いてあって、シンクロに驚きました。
私たち女性が社会で活躍するのは、家系の流れの必然でもあります。多くの報われず抑圧されてきた女性たち(母・祖母・曾祖母等々……)の悲願でもあります。娘の才能が開花し、表出するのは当たり前の流れなのです。
実は日本よりも世界で顕著な現象だったりします。下のグラフ↓をみてください。世界の大学進学率の男女差を。女性のほうが大学に進学している国は多いのです。

でも、自分が望んでいたものを軽く手に入れてしまっている人を見ると、それが血を分けた娘であっても(むしろ血を分けた娘だからこそ)、複雑な気持ちになってしまう。素直に喜べない――そんな母や祖母がいても、それもまた実に人間らしい反応なわけで……。
村山由佳さんの「放蕩記」に書かれた母娘の関係などが典型ですね。小説家として文才を発揮する娘に対して、自分だって才能があると張り合いだす母親。娘は、「どうだすごいだろう!」とマウントを取りたかったわけじゃなく、母に「よく頑張ったね」ってほめてもらいたいだけだったのに……。
安野モヨコのマンガ「さくらん」では、主人公のきよ葉に売れっ子の花魁・粧ひがこう言います。
「人より多くをもらうものは人より多く憎まれる。それがお職の花魁サ。憎まれっ子のお前にはうってつけじゃ」
キラキラと輝き多くの人の称賛を浴びるインフルエンサーには必ずアンチがつき、人よりも多く憎まれる。このように、現代にも通じる法則です。
じゃあ、結局自分は何を望むの?という話になりますね。
得たら憎まれるというなら、憎まれてもかまわない、憎まれようと関係ないわと思えるようなものを得たほうが建設的でしょう。
それにしても「Shine」というペンネームがすごい。
英語だと「輝け!」でキラキラ素敵。一方、ローマ字読みだと「死ね!」で超ダーク。実に「名は体を表す」状態で素晴らしいですね。
光も闇もどちらもある。
どちらもあるからこそ、素敵です。
どちらもあるからこそ、深いのです。