文化による「水の解釈違い」が面白すぎる

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占いを勉強してみて、面白いな~と思うのが「文化による解釈の違い」です。
そもそも西洋占星術をかじっていた私が東洋占術にまで手を出そうとしたのは、このあたりに理由があります。

世界史と西洋占星術

西洋占星術を深く勉強していくと、西洋哲学やキリスト教の思想につきあたります。日本の神道や仏教文化(もしくは宗教無関心文化)で育ってきた人間である自分には「え?なんで?」とか「え~そんな考え方するの!?」とか「なんでそこでそうなる」とか、スッと肌感覚で理解できないことが割とあったんです。

「やっぱり、私って、結局なんだかんだで東洋の文化の中で育った人間なのだなあ」と。

私は以前、英語の勉強のために英語でブログつくって、日本のアニメとかマンガの考察などを全文英語で記事にしていました。そして、海外のいろんな国のオタクの人たちと友達になって英語で交流をしました。

その時、東洋圏の人と西洋圏の人の「肌触り」が違う感じがしたんです。気が合う合わないは別ですよ。そうじゃなくて、感覚的にスッと交わるものがあるかないかの違いを感じたんです。特にシンガポールとかマレーシアとかヴェトナムの中国系の人とは「底に流れているものの共鳴する響き」を感じることがありました。

仲が良い悪いで言ったら、西洋圏の人のほうが仲良かったりしたんですよ。私はわかりやすい陽キャラですから、スペインとかブラジルとかラテン系の人はすごく気が合うんです。オッラー!コモ・エスタース!?(逆に北欧・ゲルマン系の人は真面目な人が多いせいかイマイチ盛り上がらんかった……)

グローバルな世界でアメリカ文化にまみれて英語交じりのJ-popを聴いていてすら、「私って、西洋人ちゃうわ」って思い知ったんです。私の血肉に西洋文化はないと。結局血肉のレベルで響きあうのは漢字文化圏の東洋人なのだと。

それで東洋占術を勉強しだしたんですね。
自分の肌感覚に響く宇宙論を、東洋の宇宙観を知りたいと思って。

そしたら、「水の解釈が違いすぎる問題」に行き当たったんです。

そして今、ユング派の精神分析家のシュメール神話を取り上げた心理学の本を読んでたら、「中東の水の解釈も西洋・東洋と違いすぎる問題」にぶちあたって、もうこれは面白すぎるだろう!と。

そもそも西洋占星術での「水のエレメント」は、どんなイメージがありますか?
水の星座とは蟹座・蠍座・魚座です。

私は西洋占星術での水属性は、とても女性的でソフトで、粘着気質で自在に形を変える水のような包容力のあるイメージを持っています。温かさを感じる水です。

そして東洋占術、五行陰陽思想の中の水は、知的で狡猾でクールで、自分は表には出ず裏で糸を引く老獪なフィクサー的イメージがあります。冷たさを感じる水です。

具体的には壬・癸、算命学の陽占では龍高星・玉堂星になります。四柱推命だと偏印・印綬です。

西洋と東洋では、ぜんっぜん違いますよね。
更にプラスして、中東の「水」のイメージはこうなります。

エンキは狡猾な、知恵と水の神であり、海や川の流れを支配しています。(中略)

エンキの意識は、第2のチャクラである「生命と自己への信頼は、母なる水の知恵である」というスヴァーディシュターナの意識に似ています。第二のチャクラの意識様式の性質である、信頼と流動性とエクスタシー、そして物事の真相をそのまま受け入れることによって、「第一のチャクラの不活性という病を癒す」ことができ、また力と結びついた第三のチャクラについても同様に癒すことができます。

エンキの知恵は、流れ、解体し、意識の深くに眠る手放すべき古くなったパターンを解き放ちます。シュメールの神話では、エンキの水は砂漠の女神に対立するものです。エレシュキガルの領土はクルと呼ばれますが、ここは砂漠でもあります。エンキの水は、荒地を復活させる流れであり、生命のエネルギーの果てしない流れの象徴です。

リビドー的情緒の流れのように、エンキの水の流れは、死のごとき抑うつ状態のあとで、私たちに復活するための生命力を与えてくれます。

神話にみる女性のイニシエーション (ユング心理学選書) p145~147

面白い。実に面白い。
知的で狡猾な面を見たら東洋の水のイメージと合致しますし、母なる水というイメージは西洋の水のエレメントの持つイメージにあてはまります。

蟹座はまさに「母なる水」の星座です。第2チャクラ・スヴァーディシュターナは冥王星のエネルギーと結びつけられることが多く、冥王星は同じく水の星座である蠍座の支配星です。そして同じく水の星座、魚座の支配星である海王星はストレートに海神・ネプチューンの名を冠しています。

ここで中東特有だと感じ入ったのが「水は生命力(海の男神・エンキ)で、砂漠は死の世界(冥界の女神・エレシュキガル)」という思想です。

これ、東洋思想からみると「何いっとんじゃーい!!」って話なんです。
東洋思想の水って、暴れ馬ですから。何もかもを押し流して台無しにしやがる、あの黄河が主なイメージですから。中国文明の(少なくとも王都・洛陽、長安、成都などの)水は海よりは大河のイメージになります。

東洋思想では水って怖いものなんです。天子にとっての頭痛の種。治水をどうやって行うかは、ずぅ~っと中国王朝における一大イシューだったわけで。(そしてそのトラウマのせいか現代でも三峡ダムだなんてトンチキなものを作っちゃうのがさすがは中国文明……)

水は北を司り、黒色があてはめられています。季節でいうと冬です。
「死」のイメージが強いのも、東洋の水の特徴です。死者を水の方角、北枕にするでしょう。荒れ狂う黄河を見る中で、古代中国の人の心には水=死のイメージが強くすりこまれたのかもしれません。

それが砂漠の多い中東アラビアに行ったら180度手のひらクルーして「水は生命の素!まさに癒し♥」ですよ。
使う言語で性格が変わると言いますが、気候環境によっても思想ってここまで変わっちゃうんですね。

じゃあ日本は?
日本では「水」ってどんなイメージで語られるのかしらん?

そう思って調べてみたらまず出てきたのが「龍」でした。
そして漁業の守り神である恵比寿様。他に水の神として祀られているのが、建御名方神(たけみなかた)や木花咲耶姫(このはなのさくやびめ)などがいます。

中国の五行陰陽の水に比べると、そんな怖い!!ってイメージはないですね。中国の黄河の暴れっぷりに比べたら、日本の河川の氾濫なんてかわいいものでしょうからね……。最近のゲリラ豪雨はちょっと違うみたいですが。

占いに限らず、文化や民俗を紐解いていくとき、大前提となる「そもそもその物質に備わったイメージ」を共有していないと、イマイチ意味が分からなかったりします。

東洋の占いを勉強していると「そういうことか!」「それが語源か!」「知らないで使ってた!」とか、バリバリ出てくるんですよね。文化の根っこを共有してるって、こういうことなんだなぁ、と思います。

逆に「薔薇十字が~」って言われても、肌感覚でグワッとくるものはないんですよね。頭でロジカルに処理してしまう。それだと、理解できないところも出てくるわけで。(そして逆に、知らないからこそ冷静に気づけるという視点もあります)

いかに自分の視野が偏っているかは、別視点(異文化)を取り入れてはじめてわかることだったりします。実際、異性や異世代や外国の人と話してみて気づかされることって多いでしょう。

自分の「当たり前」って、相手にとっては「すごいこと」だったりもします。
だから、視点を変えてみることには価値があり、異なる環境に生きている人との対話には驚くような気づきがあるのです。

様々な気づきをくれるご縁に感謝、ですね!

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