空の神である父たちは、ただ純粋で立派なだけではありません。
父権的な神々には、裏側の闇、すなわち無意識に届くほどまで引き裂かれた大きなシャドウがあるのです。詩のイメージによれば、このシャドウは激しい熱情であり、生々しい欲望や力であり、サディスティックで強引な暴力であり、悪魔的ないじめです。
神々の中にある、あの頑固で、強烈で、防衛的なシャドウは、男社会や男のロマンの裏側にある一つの真実なのです。
その理想は女性性を抑圧し、人生を完璧にコントロールしようともがき、自分の感覚や心の優しさを無慈悲なまでに破壊します。女神イナンナの冥界下りには、この元型的な男性性のシャドウと直面するという意味があります。
神話にみる女性のイニシエーション (ユング心理学選書) p107~108
イナンナは父なるものの限界を見極め、抑圧されていたものに気づかねばなりません。つまり、彼女は、エレシュキガルを再発見しなければならないのです。

東京卍リベンジャーズを読んでて、思うんです。
「ああ、男社会って、こういうところだよなぁ」と。
厳然たるヒエラルキーがあって、下っ端だとほぼほぼ奴隷。
「いやいや、ヤンキー社会と一般社会を比べてもらっては困る。あんな野蛮な世界ではない」という意見もあることでしょう。確かにそうです。しかし、抽象化してエッセンスを取りだしたら企業だろうが学校だろうが軍隊だろうが太陽系惑星だろうが、システムは同じです。

昔、バーで飲んでたらオニーチャンに絡まれたんですよ。
「俺、年収1000万あるんだ」
「へーそうなんですかー」
「車もベンツのってる」
「へー」
「……あのさあ、頭悪いの?」
「え?」
「俺は、アンタが年収何万ある男ならセックスするのかって聞いてんの」
「…………」
うーん。なかなかに濃い。
当時は私も、まだまだ若いエネルギーがあったので「何この男!?最低!!」ってビックリしてトイレ行くふりして離れました。
ここまで極端じゃなくても、「自分が!自分が!自分が!」と自語りしまくりアピールしまくれば、周りが認めてくれてチヤホヤしてくれると考えている人っていませんか。
そういう人に以前の私はイラついてました。
「意味わかんない!自分アピールしたほうが嫌われるって気づけよ!」と。
だけど、「男社会」というものを理解してくると、どうしてそんなことをしてくるのかもわかるようになってきたんです。
「ああ、ああいうところで生きてるんだったら、まあそうなっちゃう人もでてくるのかもな~」と。
ガチガチのヒエラルキー。
下に見られたら即奴隷。
自分を大きく見せなければ始まらない世界。
実は私は、「男社会」というものに残酷なまでに無意識的でした。
ホラ、官星無いからさ、私!

私は女性優位な家庭で育ちました。男1対女3で、母は娘たちに父の悪口を吹きこんでましたし、父は父でコミュニケーション能力が低く、娘から好かれる能力がなかったので、いくら稼いでも尊敬されずに存在感が薄い人でした。
私の英雄はいつも女性でした。
中学の仲良しグループは男2女3でしたが、実質のリーダー格は女子でした。
彼女は学年トップの成績で合唱部の部長で人望が厚く友達も多く男性からもモテ、長じて医者になったスーパー人間。とにかく、存在感がすごかった。いるだけで光って感じです。
私は中学ではテニス部に入っていました。テニス部には男子テニス部もあったんですけれども、あまりぱっとせず。残念ながらテニスの王子様はいなかったんですね。逆に女子テニス部は活況でした。
とにかく、3年の部長がかっこよくて。
美人でスタイル抜群で頭脳明晰、もちろんスポーツ万能で体育祭の華。テニスの腕もすごい。トップとして部をまとめるリーダーシップも大人顔負けで、後輩女子は全員部長にメロメロでした。
そして、彼女とペアを組む副部長もまた!かっこよくて!!
部長のテクニカルなプレースタイルに対して、力こそが正義!でパワープレイの副部長。頭脳派の部長は地域のトップ校に進学したのですが、副部長はテニス推薦で私立の強豪校に行きました。
クールな頭脳派の部長に対して、熱い武闘派の副部長。
この組み合わせがまた、エモい!推・せ・る!!
部長副部長ペアの試合は、本当に本当にかっこよくて!
中体連地区大会ではもちろん圧勝で優勝!下級生は選手に選ばれた人以外は上の大会を見れなかったんですけど、地区予選の雄姿だけで男子なんか余裕でかすむカッコ良さでした。男より断然イケメン。
そしてね、部活の伝統として憧れる先輩の制服のリボンを卒業式に譲ってもらうっていうのが、後輩の夢でして!!!
私、運よく副部長のリボンを!頂けたんですー!!!
もうね、もちろんね、進級してからは副部長のリボンをつけて制服を着ましたよ。
学生服の第二ボタンなんて目じゃねえ。憧れの先輩のリボン!!!
ホント気分アガりました。タイが曲がっていてよ。
私がミューズとして惹かれるのが女性アーティストばかりなのも、こういった原体験があるからでしょう。
でも、そのままでは未熟な女性性、そしていびつな男性性を内在させることになります。成熟させていくには、イニシエーションが必要でした。
私は男という生き物を知らなかったのです。
コレーは、母デ―メーテールの篤い保護のもとにあるために、自分の深い<女性性>の目覚めに自覚的であり得ない。
心理学的観点からみるとき、彼女が地下の神ハーデースに誘拐されるのは理にかなったことである。というのは、一般的にいって、娘が「原初的な母」との関係を解消するためには、ハーデースのような強力な<男性性>の侵入が不可欠であるからである。
ところがコレーの場合は、まだ母から分離していく経過をたどらない。娘を失ったことで嘆き悲しむデーメーテールを見て困ったゼウスは妥協し、一年の半分はコレーを母のもとに帰すこととする。
この神話を記述する余裕はないが、男性性の侵入があったとしても、デーメーテール-コレーで示される「母-娘結合」の強さがいかに解消されにくいものであるかを示している。
神話のなかの女たち―日本社会と女性性 p17
まったくこの通りで、母子癒着がみっちりだった大学受験まで、私はまともに男性とコミュニケーションがとれませんでした。「ありのままの自分」「いつもの自分」だと、なんだか男性と上手く話ができないな、という感覚がありました。
高校に入った私は、顔の広い友だちの主催で他校男子と合コンをします。そこで、気の合ったある高校の男子たちとグループ交際みたいな感じになりました。お互いの学校祭に遊びに行ったり、バーベキューしたり、海に行ったりとかですね。まさに「高校生」ってかんじです。
で、当然そこで男子と話をするんですけど、なぜかリアクション悪いんですよ。
女子にだったら良い返しをもらえるところを、男子にやると「あ、うん…」で終わってしまう。他の女の子はもっと上手く男子と喋れてるのに、なぜ私は上手くいかないのだろう。そう思いました。
そして試行錯誤するうちに「ストレートに行くよりねじれたコミュニケーションのほうが反応が良い」ことをつかんでいきます。例えば、こんな感じです。まず「ありのままの私(ストレート)」バージョン。

俺甲子園行くんだ!

エッ本当!?
すごい!かっこいい!
がんばってね!!!

あ、うん
が、頑張る……わ
次に「ねじれたコミュニケーション」バージョン。

俺甲子園行くんだ!

はぁ~?何言ってんの?
アンタに行けるわけないじゃーん!

おっ、言ったなー!?
じゃあ俺が甲子園いったら何してくれんの

あっ、なんでもするなんでもする
余裕でなんでもします!!

お前さ~
まじ無理って思ってんだろ

エッ
ソンナコトナイヨ
ワタシ、シンジテル!!

それ覚えとけよ!
絶対行ってやるから~!
ちなみに、これを女子にやるとこうなります。

私、決めた!
絶対全国大会に行く!

はぁ~?何言ってんの?
アンタに行けるわけないじゃーん!

ひ、ひどい……

ご、ごめん!
今の嘘!!
こうやって、男性と女性のコミュニケーション方法が違うことを、なんとなくだけど理解するようになりました。
私は明らかに「ちょうど良い男性性」を身につけることができていなかったのです。女性ばかりの環境でヒーローも女性で、男性との関わりがあまりにも薄かった。父は女たちのATMでしたし……。
ゆえに、私は「極端な男性性」を求めるようになっていきます。
マッチョで強い男に惹かれるようになっていくのです。
が。
マッチョな男って、実は非常に女々しいんです。
分厚い筋肉の中身は、超絶乙女なんです!!
動画 10:35頃~
アメリカのゲイの中では「こういう男じゃないと美しくない」みたいなスタンダードがあるんですよ。で、それがマッチョ。マッチョであることと全く女っぽいところがないみたいな。「フェミニンだと良くない」みたいなところがあるんですよ。
それのなにがおかしいって、実際に例えば、アプリでマッチョな写真載せてる人がいて、メッセージのやり取りしてるぶんには普通なんだけど、リアルで会ってみると、ボク以上にフェミニンだったりするんですよね、そういう人に限って。
それー!
それー!
ゲイじゃないヘテロ男性でも、それ!!
私は「極端な男性」と付き合うことで、父から学べなかった男性性を獲得したかったのでしょう。もちろん、そんなこと意識せずに当時は「ただ好き」としか思ってませんでしたが、今から思うとそういうことです。
そして、男性と恋愛をすることで上の引用にもあったような母との分離(精神的自立)のきっかけを作りたかったのでしょう。
上に引用した本で精神科医の横山博さんは「娘が『原初的な母』との関係を解消するためには、ハーデースのような強力な<男性性>の侵入が不可欠」と書いていますが、その通りです。恋愛をしなければ、多分私は母子癒着を解消することができなかったでしょう。恋愛はある種の男性性獲得のためのイニシエーションだったのです。
リベンジャーズを読んでいても、「そうか、ああいう男性と縁があったのは、私に必要な男性性のイニシエーションだったのだなあ」と気づかされます。
リベンジャーズ23巻ではこんなシーンが出てきます。

そう。リベンジャーズは主人公が「少年」と「大人」を行き来する(タイプリープする)物語です。
大人になるために必要な要素を、取りこぼしてしまった要素を主人公タケミチと一緒に、私もとりもどす旅をしていたような気がします。
私、このマンガで一番強いのってタケミチだと思うんです。タケミチ、すぐ泣くしケンカ弱いし自己肯定感低いけど、最強ですよ。腕っぷしの強い屈強な男どもよりも、断然強い。マイキーは最強の男みたいに見えるけど、実は一番脆い。タケミチと対照的です。
タケミチが強いのは、折れないから。
折れない人が、一番強いです。
(ちなみにリベンジャーズでの私の推しは三ツ谷です。剛と柔のバランスの良さが好き)
西洋占星術的にいうなら、山羊座のサインを旅することで私たちは父性と権威を学び、そしてその限界を知ることで次の水瓶座、風の時代へと解放されていきます。
必要な時に必要なものはもたらされる。
そういうことですね。
ご縁に感謝です。