円熟で手に入れる「生きやすさ」

人生:スピリチュアルブログ

野口晴哉さんの「整体入門」に面白いことが書いてありました。

健康法といえば、若返らせることのように思われがちですが、若返るだけでは丈夫にならないことがたくさんあります。老いの促進法のほうが、かえってその人の健康度を高めることが多いのであります。

野口晴哉 整体入門 p217

ヒャー!面白い!
しかし、「そうだよなあ」って納得がいったんです。自然に腹にすとんと落ちたんですね。

チャイナ・スタディー 葬られた「第二のマクガバン報告」ってご存知ですか?

マクガバン報告っていうのは、1977年当時のフォード米大統領が「こんなに医療費に金かけとんのになんで病んでる国民が増えてくねん(意訳)」っておこで、スーパーサイズミーなアメリカ食がいかんのではないか!とマクガバンさんに調べさせたんです。

そんで、マクガバンさんは、肉!肉!脂肪!なアメリカ食とは真逆の環境の人たちの健康状態はどうなのかを比較研究したんですね。

そこで選ばれたのが、中国の農村で暮らす人たちです。1970年代の中国の農村の人たちは、ほぼほぼ菜食でした。崇高な信念があってヴィーガンとかじゃなくて、貧しいから肉が食えないという結果論的ベジタリアン。肉は、祭の日だけ、正月だけのスペシャルご馳走。とっておきの日には豚を、鶏を、締めるぜヒャッハー!という世界観。血抜きはしっかりね!

そうやって比較していくと、粗食(ほぼ菜食)の中国人の女性は閉経がアメリカ人女性よりも早いことがわかったんですよ。しかも、卵巣がんや子宮がんなどの婦人科系疾患に見舞われる率が、閉経の早い中国人女性のほうが少なかったんです。

そういうことがこの「葬られた「第二のマクガバン報告」」には書かれています。玄米食がいかに体にいいかってことも書かれてます。興味があったら図書館で借りて読んでみてください。図書館にはまず蔵書がある本だと思います。

さて、閉経が早いということは、老いが早いということです。
普通に考えたら、若くて老いないほうが健康ってイメージありますよね?
でも、このアメリカと中国の比較研究では早く老いた中国人女性のほうが、婦人科系のがんにかかりにくかったわけです。

まさに「健康法といえば、若返らせることのように思われがちですが、若返るだけでは丈夫にならないことがたくさんあります。老いの促進法のほうが、かえってその人の健康度を高めることが多いのであります」。

老いというのも意味があって老いるわけで、「この世界から旅立つ準備」として老いるわけです。うまく肉体から離れていくために老いていくわけです。それは、実に必要なプロセスになります。

私は「イライラしたくない」と思っていました。必要な怒りを感じるのはOKですけど、どうでもいいことにイライラしすぎることがいやでした。「もう、こんなことでイライラしたくないのに!!」とイラつく自分にたいしてイラつくような悪循環になることがありました。

そんなある日、鏡を見ると自分のフェイスラインがビックリするくらいダルンとたるんでいることに気づきました。典型的おばさん顔です。

この顔を見て私は、ホッとしたのです。
「わあっ! 私、この顔だったらイライラしないわ」と。

シュッとした顔立ちだと、神経質そうに見えるでしょう。引き締まったフェイスラインやボディラインを見ると、キリっとした気持ちになりますよね。緊張感が出る。

逆にフェイスラインがぽってりしてると、心がゆるむ。体がゆるむと自然と穏やかな気持ちになります。「この顔で格好つけたって、ま~ぁしゃあないわなあ、ダハハハハッ」と笑っちゃうわけですよ。自分の顔見てるだけで心がゆるむ。笑

老いていくということは、こうやって円熟していくことか。
そう実感した気がしました。

老いというものを素直に受け入れるならば、この物質世界への執着も薄らいできれいに肉体を離れていけるものなのだろうなあと。もし肉体は病におかされて苦しみがあったとしてすら、その苦しみすら眺められるようになる。それはラマナ・マハリシやラーマクリシュナが示してくれた姿でもあります。

ウ・ジョーティカ師も自由への旅で加齢に伴う痛みについてこのように話しています。

私たちは身体の全ての痛みを、本当の意味で取り除くことはできません。年を取っていくにつれ、自分が痛みとともに生きざるを得ないことをあなたは知ります。みんな関節炎になる。痛みから逃げられる道はないのです。

薬を飲み過ぎれば、それによってあなたの肝臓や腎臓、その他多くの内蔵が破壊されてしまう。薬を飲みたいのであれば、それは構わないのですよ。私が言っているのは、そのことではないのです。

普通の痛みであれば、それがあなたをひどく傷つけることはないでしょう。ですから、痛みとともにいて、心がどんな反応をするか観察してみてください。痛みが耐えられないからではなく、落ち着きのなさゆえに動こうとすることもありますね。痛みとふれあったままでいるという習慣が私たちにはありませんから、それで動いてしまうのです。

痛みを感じた時には、痛みについて考えず、痛みという言葉すら使わずに、それに注意を向けてください。最初は痛みという言葉を使っても構いませんが、既に注意したように、痛みという言葉を使う時には、それを「痛み」と解釈しているわけですから、もっと痛くなってしまいます。

痛みはあなたが好まないものです。ですから自動的に、あなたはその痛みという言葉に反応してしまいます。
痛みという言葉の使用をやめ、ただその痛みの中に入っていって、その痛みとともにいれば、痛みがとても面白いものであることがわかるでしょう。

あなたの心は、長いことそこに留まることができます。
私の友人の何人かは、痛みをとても恐れていて、瞑想をしたがりませんでした。彼らは瞑想が、とても痛いものだろうと考えていたからです。ゆっくりゆっくり、彼らは瞑想の仕方を学び、しばらくすると、彼らは痛みとふれあって、そこに留まるようになりました。そして、痛みがとても面白いものになることに気がついたのです。彼らは痛みに没頭しました。

痛みとともにあることに積極的であれば、それはさほどに耐え難いものではありません。観察に積極的でなければ、それはますます耐え難いものになります。
これはあなたの心が、経験を見る仕方の問題なのです

ウ・ジョーティカ「自由への旅」p90~91

こういった視点も、精神の成熟と共に訪れるものです。
いつまでも若くあろうとする人が、このような思考にたどりつくのはなかなか難しいでしょう。

自然の流れの中で老いて死んでいく。
それは魂にとって素晴らしい経験となります。
成熟とは何かを経験より学ぶからです。

最後に、「整体入門」のあとがきよりご紹介してこの記事を終わりたいと思います。

「整体入門」を出版しましたら、読んだ人が抵抗と感じましたのは、自分で自分の体を正すとか、自分の体は自分で管理せよということに対することでした。

多くの人は長い間、病気は他人に治してもらうもの、自分の体の管理は専門家に任せるものという考えに慣らされてきたからでしょう。

体の構造に無知な素人に何ができるかということですが、精子が人間に生育したのは、精子自身が作ったからです。眼も手も胃袋も、体の全部をつくって来たのです。

知識が人間をつくったわけではありません。
必要なものは栄養とし、不要なものは糞尿とし、毒なものは吐きくだして自分の体をつくって来たのです。

インシュリンでもアドレナリンでも、またその他の自分で作ったホルモンでも、必要に応じてつくって生きているのです。代用薬を考える前に自分の体内で薬を生み出すことを考え、他人の世話になる前に自分のちからの発揮を心がけるのは当然なことです。

内臓をいくら検査しても、今自分が何を食べたいか、どんなことをしようと考えているかは他人にはわかりません。脈の乱れはわかっても、それが失恋のためか株が下がったためか、隣の奥さんが新しい服を着たためかわかりません。(中略)

自分の感じの中を確かめ、体の調子を知ることが体の声を聞く第一歩なのだから、他人より自分の感覚が主役であるべきです。

野口晴哉 整体入門 p318~319
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