【これは一生モノ!】愛蔵版 サビアン占星術【松村潔】

ホロスコープ
愛蔵版 サビアン占星術(Amazon)

絶版になっていた愛蔵版 サビアン占星術が2021/6/24に再版されました。
中古本は高値がついていたので、欲しいと思っていらっしゃった方はこの機会に手元に置いてはいかがでしょうか。

これは、タイトルにつけた通り「一生モノ」!800ページ弱の超分厚い、見た目からして辞書のような本です。
サビアンを使ってホロスコープを読みたい人には辞書がわりに使いたい本。迷ったり、自分の解釈を検討したいときにページを開くと「なるほど」と良い刺激を与えてくれるでしょう。

逆に、「わかりやすい占断」を求める人には不向きな本です。そもそもサビアンが抽象的なシンボルを読み解く占術である以上、わかりやすさというのはなかなか難しくなってきます。しかし、その分深みがあって真理が感じられるのもサビアンの魅力。

ちなみに、2016年に発行されたものと同じ内容なので、2016年版を持っている方が買い直す必要はありません。天文暦も2042年までで全く同じです。ご注意ください。

これはサビアンの世界を探求したい方には、ぜひ手に取っていただきたい本です。
サビアン好きはもう既に持ってらっしゃる方も多いかと思います。なので、サビアンに注目していない方にも「こんな使い方ができますよ」という提案を、この記事では書いていきます。

オポジション、スクエア~Tスクエア・グランドクロスの意味を読み解く

サビアンは「その度数だけを読むのではなく、前後の度数のシンボルの流れを見たり、90度や180度違いのサビアンのシンボルも考慮すべきである」といわれます。

このことがサビアン・リーディングの難解さを増幅させているきらいがあります。しかし、「90度や180度違いのサビアンのシンボル」を読み解き、その底流に流れるエネルギーを知ることで、より一段、グッと深みのあるリーディングが可能となります!

その90度や180度違いのサビアンのシンボルまで考察してくれているのが、この愛蔵版 サビアン占星術です。

そもそもが「90度や180度違い」というのはスクエアとオポジションの関係ですよね。サビアンによる90度や180度違いのシンボルの中に流れる象徴の共通点を見出すことで、スクエアやオポジションに対する理解を深めることができます。

スクエアやオポジションというと「ハードアスペクトで悪い配置」と単純に読んでしまう(今時さすがにそういうことはしないと思いますが……)のではなく、「なぜこの葛藤が必要なのか」「なぜこの対立が必要なのか」「この配置から魂は何を学ぼうとしているのか」という一歩進んだ視点でリーディングできるようになります。

スクエアやオポジションの理解が進むということは、複合アスペクトであるTスクエアやグランドクロスへの理解を深めることにもつながります。

例えば、どんな感じで松村氏がこの「90度や180度違いのサビアンのシンボルについて」考察しているのかを、蠍座4度「火のともったろうそくを運ぶ若者」を例にご紹介します。

神秘的、宗教的、あるいは性的な感情の働く場で、親しい人との深い交流をすることに関係の深い人です。日常的な行為の中では考えられないほど、互いの心のすみずみに入り込むことで、大きな充実感を得るでしょう。

どのグループでも、4番目の度数は安定した場を作り、その中で愛着を深めていくのが特徴です。この蠍座4度の特徴もそうです。

この前の蠍座3度で、共同作業で新しい家を構築(「棟上げ」)した人は、この家の中で、今後も継続する夢や希望をかきたてようとします。そのためにはこの新しい場になじみ、そこでの暮らしに愛着が深まる行為をするのです。

天秤座の4度は”キャンプファイヤーを囲むグループ”で、複数の人が深夜「キャンプファイヤー」の炎を取り囲んで、親密な会話を交わす情景がかかれていましたが、蠍座では、この炎は「ろうそく」の「火」に変わり、場も室内に移って、親密な相手と一緒にいるのです。

蠍座と同じ水のサインの4度がどういう関係にあるのか考えてみましょう。
蟹座4度は”ネズミと議論する猫”。これは自分の立場が優位な時でも、相手に合わせることを意味しています。また自我が弱まっているので、相手の意思が入りこみやすい心理状態で、相手を立てていることも表しています。

魚座4度は、”狭い半島での交通混雑”。地域の辺境の産業に活発な流通性を持ちこんで、末端部分まで活性化するという意味です。この蠍座の4度にもそれと通じる意味があります。つまり、親密な相手の話をもっと聞いて、細部に至るまで意思疎通をするというのがテーマなのです。その時、自分の優位性は主張しないで、相手の立場に立つことが大事です。

ルディアはこの度数は性的な意味も持つと説明していますが、関係が男女の場合であれば、それは自然な解釈だと思われます。親密な、心の奥にまで入り込む会話、秘密めいた他人には漏れない内容……。

言葉はそのまま人の心を表すので、秘密を漏らすことで相手の心を傷つけることにもなるのですが、ここでは二人だけの話や当事者同士の共犯関係のように秘密が守られるのです。

鏡関係の牡牛座4度は、”虹のたもとの金の壺”で、「虹」は天と地の契約を表し、「金の壺」は天からやってきた幸運を意味していました。これは自分だけに与えられた天分や贈り物などを示しており、牡牛座3度の自分にふさわしい環境にちゃんとおさまったところで始まる幸運です。

そもそも牡牛座は、富とか財産などを意味しますが、それは単なる幸運ではありません。牡牛座は自分の資質、家系、運命などに縛られ、また縛られているからこそ、そのご褒美に幸運がもたらされるのです。

所有されている者は所有することができます。自分もそんな幸運が欲しいと思うかもしれませんが、牡牛座は幸運を得るかわりに、自分を犠牲にしているのです。自由を得たとたん、こうした幸運も逃げていくのです。

水瓶座4度は”インドのヒーラー”です。
この前の3度で社会から逃げた人は、今後一人で生活するため、手に職をつけなくてはなりません。たとえば、会社を辞めたOLは、アロマテラピストや指圧師などを目指すかもしれませんが、これらは夢を与えてくれても、収入になるかどうかはわかりません。今のところ、そのように夢をもっても、実際にやっていけるかどうかはわからないのです。

獅子座4度は”正装した男と角を刈られた鹿”です。
自分の生命力はまだまだ健在であることをアピールする老人です。冬に短パンをはいて早朝マラソンをするような無理なことをする人ですが、3度の解釈の例である「ノーブラの中年女性」よりも、はるかに夢の多い状態です。

これら固定宮の4度にはすべて、夢を抱くことで、自分の置かれた状況に対しての愛着を深める行為が示されています。

愛蔵版 サビアン占星術 p440

さて、この固定宮4度(もしくは4度前後)のグランドクロスを持った人は、このサビアンのシンボルから人生においてどんな状況になりがちかを考えてみます。

まず、この蠍座4度では精神的な密着、クローズドで親密な関係が描かれています。牡牛座4度では物質的密着によって豊かさによって生活に縛られている状態ですが、蠍座4度では精神を縛られている状態が想定されます。

だって、そうでしょう。すごく親しくて打ち明け話をしたような相手とは、どうしたって「しがらみ」ができるものでしょう。それほど親しくない人に対しては気にしないことでも、深い感情まで分かち合っている人相手には「これ、トラウマって言ってたよな……。じゃあ、この映画に誘うのはやめておこう」と気遣うようになります。

自分の気持ちは多かれ少なかれ、そこで犠牲になります。
「この映画を親しいあの人と観たい!」という、自分の感覚は犠牲になるのです。

牡牛座では物質的に所有される犠牲によって物質的豊かさを手に入れますが、蠍座でも自分の精神を犠牲にすることで濃密な絆を手に入れることになります。(そして、絆という意味はそもそもが「もともとは馬などの動物をつないでおく綱のこと」であり、「動物が離れないようつなぎとめるという意味」であります。実は、絆って世間で思われているほどポジティブな言葉ではありません)

そんな犠牲の上に成り立つ安定した不自由に殴りこみをかけてくるのが水瓶座4度です。「そんなの人生じゃない!自由がない人生に何の価値があるんだ!自分は魂の感覚に従って生きるんだ!!」

水瓶座は山羊座の「社会的責任を果たす」という窮屈さに心から辟易しています。特に4度というのは初期度数ですから「こんなの違う!!」感が強いのです。社会的責任を果たすこと、世間的に認められることで失うものの大きさに愕然としてはじまるのが水瓶座というサインです。

いくら温かな絆があっても、豊かな生活ができても、自分の犠牲の上になりたつ状態なんて水瓶座から見たらクソです。NO価値です。牡牛座と蠍座だけなら、物質と精神という反目はあってもその共依存的な関係に安住するところがあります。オポジションはそんなに簡単にすぐは解決しないのです。ダラダラダラダラ続く中で消化されていきます。

しかし、スクエアはもっとビビッドです。「そんなの嫌だー!」と一気に壊しにかかります。

そしてここで獅子座4度も乱入するともっとカオスの度合いは高まります。獅子座は牡牛座の物質的豊かさを「そんなの嘘っぱちだ!」と否定します。燃え盛る精神の炎、自己主張こそが生きる証である獅子座4度に、物質と共にあり衰えていく肉体を受け容れることに美学を見出す牡牛座はただの怠惰にしか見えません。

さあ、四つ巴の反目不調和!
こんな配置に一体何の意味があるんだ、ただの不条理じゃないか、ドストエフスキーかよ!なんて言いたくもなりますよね。

でも、サビアンという視点から見ると、このグランドクロスは固定宮4度「夢を抱くことで、自分の置かれた状況に対しての愛着を深める行為」というテーマがかくされているのです。

ならば、なぜ夢を抱かねばならないのでしょう?
なぜ自分の置かれた状況に対して愛着を抱かねばならないのでしょう?

私は、それはこの「4度」というフレッシュで未熟な段階にあるプロセスだからこその必要性であると考えます。
前のサインは30度で完成されました。固定宮の前は活動宮(牡羊/蟹/天秤/山羊)です。エネルギッシュで常に動き回ることで、活動宮はこの世界での自分の価値を表現します。

でも、動くと疲れるんです。
もう動きたくなくなるんです。
ですが、動くということは表面的に目立つということであって、評価(もしくは批判)されやすい状態、つまり「存在していると分かりやすい状態」を作ります。

逆に、動かないと存在が目に見えません。
固定宮に入っていくジレンマというのは、この活動宮の否定によって自己証明が難しく感じられることにあるのではないでしょうか。

だから、固定宮の若い度数は一生懸命に自己正当化しなければならないのです。現実から一旦目をそらして夢を見ることすら必要になります。自分を美化し正当化し、そしてようやく自分の存在を認められるのです。

それは未熟な人間の要素に見えるかもしれませんが、何事も「新しい境地」を切り開く段階では人は未熟なものです。その未熟さを経験してこそ、成熟に至ることができます。未熟なしでは成熟もあり得ないのです。

そして、このグランドクロスは不調和極まりないですが、4つのエレメントを完璧に内包したアスペクトにもなります。基本的には、火/地/風/水、全てを揃えているのです。

ゆえに、グランドクロスを消化して使いこなせるようになった人は完全性を備えるのです。薔薇十字の秘儀にふれることができます。

【画像】Rose Cross – Wikipedia

しかしながら、グランドクロスもTスクエアも不調和を味わい統合していくのは骨の折れる仕事です。プロセスの中にはなかなかしんどくて辛いこともあるでしょう。

そんな時に、その深みにあるもの、学ぶべきものの示唆をもらえると救いになります。サビアンはそんなヒントもくれるのです。

ソフトアスペクトは地上を調和的に生きる知恵、そしてハードアスペクトはこの世界から抜け出すための鍵を秘めています。

ヘリオセントリックを読み解くヒントをくれる!

基本的な西洋占星術は「地球の視点」から見ての星々をホロスコープチャートに描いて、物事を見ていきます。これをジオセントリック・チャートといいます。

この地球の視点を取っ払って、太陽の視点から見たらどうなるんだろう? その思考から作られるのが「ヘリオセントリック・チャート」です。詳しい説明は魂の声と日常意識のずれをご覧ください。

サビアンによる180度違いのシンボルの比較を研究することで、ヘリオセントリックのリーディングに深みと理解を加えることができます。ジオセントリックの太陽星座とヘリオセントリックの地球(月)星座はちょうど180度のオポジションの関係になるからです。

ヘリオセントリックチャートでは、地球の視点と太陽の視点が正反対にきます。それはまるで鏡写しのような関係です。まったく反対なのに、実は別視点から眺めた自分の姿。180度の関係は自分のシャドウでもあると言えます。

この太陽の視点と地球の視点を意識することで統合して行けたなら、それは二元性の超越へとつながっていくのではないでしょうか。そのために、180度反対のシンボルを見ていくのは意義深いことなのです。

鏡の関係としての180度

180度の度数はちょうど相対する位置にあり、それは自分と対象者の関係のように、互いに向き合っています。鏡を前にして鏡の中の自分を見るような関係とは、互いに強い影響を与える関係であり、もし事前に自分に対するイメージを持たない人がいるとすれば、この鏡像を発見するや否や即座にその鏡像イメージに支配されてゆき、そこからは抜け出すことができなくなります。

愛蔵版 サビアン占星術 p94

この現象、パートナーシップや親子関係など密接な人間関係においてよく起きる現象ですよね。
パートナーの悪口を延々と並べたてる人に対して「いや、それってあなた自分のこと言ってるじゃない」と思われた経験、多くの方があるのではないでしょうか。

もしくは、パートナーの嫌なところを考えてイライライライラしてたけれども、ふとした瞬間に「アレッ、むしろ自分にそういうところあった!」と気づかれた方も多いことでしょう。

縁のある相手は自分を映す鏡。
180度はそういう関係です。
だから、パートナーや結婚を表すハウスは自己の1ハウスと180度の7ハウスで見るんですね。

古い時代の占星術では、こうした鏡像関係の180度は、困難を示す「ハードな」アスペクトだと解釈されていました。しかし単純に困難と解釈することはできません。

精神分析家のラカンは、幼児が自分をまだ意識できていない時に、母親が彼を鏡の前に連れてゆき、子どもが鏡の中にうつる映像を自分だと認識することで、はじめて子どもの自己という意識が形成されると主張しています。

愛蔵版 サビアン占星術 p94

これこそが二元性の発生です。
赤ん坊は母親と自分が一体であると認識していると言われます。母親が自分とは違う他者である、つまり外的世界、現実というものを認識することで、真に世界が作りだされるのです。

この分離を表すのが二分化、円を2つに分割する180度です。
陰と陽。この世界で最も基本になる分割です。

これは占星術的な発想に置き換えると、「見る」わたしである牡羊座と「見られる」わたしである天秤座の180度の関係に対応しています。

鏡の像としての自己像を発見することで、主観意識は自分という統合的な存在を意識することができますが、同時にその段階で自己意識には重大な分裂が起こります。映像的に認知しないかぎり自分を自覚できないのですから、そのような認識の中では、純粋に想像的で主観的な自己の力は、映像的存在に封じ込められて身動きが取れなくなるのです。

通常の占星術での180度のアスペクトには緊張などという意味が与えられていますが、自分を外界に表現したいという衝動とは、とりもなおさず180度の作用で働く意思作用を意味しています。

アーチストが目の前にいる観客の前で自分の音楽を演奏するのは、あきらかに180度の関係を表しているのです。ここから考えると、180度という鏡像関係の度数は、自己と環境との関係性であり、自己を環境に投影する場を見出すことだと言えるでしょう。

サビアンシンボルでは、その意味で、この鏡像関係は、視点を180度置き換えた意味をもたらします。(中略)
見られることを意識しすぎて萎縮したら、表現力は抑圧されます。通俗的な占星術で言われる「180度は凶」という意味は、このような事態に陥った局面だけをとりあげて、困難なアスペクトと言っているのです。

しかし、大抵何かを表現したい人は、表現のターゲットがないことには何もできません。
その点で、180度は、抑圧というよりは、本来は意思に対しての受け皿を用意することを示しているのです。

180度の関係には矛盾もあります。
そのようにターゲットに対して自己表現したとき、それが上手く行けば行くほど、また相手が乗れば乗るほど、その相手の反応という鏡の中に縛られて、それ以外の表現方法を思いつくことができなくなるのです。

180度の鏡像関係は、動機と結果の関係を表すので、一つの度数のサビアンシンボルを考える時にも、参考にしてください。

愛蔵版 サビアン占星術 p94~95

自分が見られる側と意識しすぎると萎縮してしまう。
これは90年代後半~00年代前半のギャルブームの沈静化に顕著だった現象です。

ブリテリちゃんは神。

平成ギャル文化というのは「ウチらが良ければそれでィィ」という考えがベースにありました。「ウチら」という仲間内のコミュニティの中で盛り上がれれば全てOK。仲間の評価は気にするけど他人(大人やギャルじゃない人たち)の評価は別にどぅでもィィ。算命学でいうなら石門星的です。

しかし、「ウチら」を規定している時点で「ウチらじゃない」対象者があるということです。その対象者、大人や社会やギャルコミュニティにいない人たちの視線を無視することでギャルはどんどん過激になっていきます。もっとわかりやすく言うなら調子に乗っていきます。

そしてメディアがギャルを面白おかしく煽ることで「ターゲットに対して自己表現したとき、それが上手く行けば行くほど、また相手が乗れば乗るほど、その相手の反応という鏡の中に縛られて、それ以外の表現方法を思いつくことができなくな」りました。

つまり、承認欲求や自己顕示欲に執着してしまう状態になったんですね。自由で好き放題やっているように見えても、心はがんじがらめなわけです。そういう心理状態ゆえに、あゆの暗い歌が心にしみる。

てんちむちゃんが「好感度なんて、低いほうがいいんですよ」という理由もこれに似ています。

「好感度なんて、低いほうがいいんですよ」波瀾万丈のてんちむが“それでも応援される”理由|新R25 - シゴトも人生も、もっと楽しもう。
「10年前の武勇伝語ってる人になりたくない」

Youtuberにかぎらず、「好感度高い人」は、ほぼこの「ターゲットに対して自己表現したとき、それが上手く行けば行くほど、また相手が乗れば乗るほど、その相手の反応という鏡の中に縛られて、それ以外の表現方法を思いつくことができなくなる」現象を体験していると言えましょう。

好感度高いと、「相手が思っているイメージ像から解放されること」が非常に難しくなります。自分の感覚に素直に従って、やってみたいことをやってみると「どうしちゃったの!?キャラじゃないじゃん!」と言われてしまいます。

ベッキーや東出昌大やアンジャッシュの渡部が不倫してメチャクチャ叩かれたのも、もともと好感度の高い人だったからです。好感度が高ければ高いほど、「いい人」という枠から出た時には周囲から失望されることになります。「いい人」以外の表現方法を許されなくなってしまうのです。

私たちは全く悪気なく「いい子ー!」「いい人―!」「いい男/女ー!」などと称賛の言葉(SNSでのコメント)を投げます。それがどれだけ相手を縛り付け、不自由にしていることか。ポジティブな善意こそが相手を苦しめることだってあるのです。

ギャルだってそうでした。少なくとも私はそうでした。
あそこまで尖ったことをやってると、反動が来るんです。というか、そもそもギャルになったこと自体が優等生(いい子)に見られてしまう自分への反動でしたから、ギャルではじけてその反動エネルギーが解消されると(実に180度的現象)スッキリしちゃって大人しくなるんです。

でも、そこで大人しくなると「どうしちゃったの!?」って言われる。
だからギャルを降りられない、という子も少なからずいたはずです。

ギャル文化は「見られる側に立つこと」で衰退していきました。ネットが普及して2ちゃんねるなどに「イタイ」と叩かれることで、イキること命の平成ギャル文化は衰退していったのです。陽が極まると陰に転ずるように。

しかし、このプロセスも必要で価値あるものです。
極端を行けば極端に戻る。そして、中庸――ちょうどいい真ん中が見えてくるのですから。ギャルになったことではじめて、本当の自分と出会えたのです!

180度(二分化)の学びを、最も深めてくれるのがこうした対象のある関係、すなわちパートナーシップをはじめとする人間関係です。ですから、私は「コミュ力大事!コミュニケーション能力こそが命!!」と何度もお伝えしているのです。

二分化して対象化された相手を認識し、そこに投影されている自分自身に気づくことで、この二元性の世界を超越していける。だから、自分の鏡になってくれる人間関係は大切であって、同じく180度のオポジションも学び深い課題に気づかせてくれます。

そしてそれを太陽の視点という立場で応用すると、ヘリオセントリックチャートがより味わい深いものとして響いてくるようになるのです。

生まれてきた目的が明確だと地球生活は退屈しないし、楽しみは自ら発見し、既にあるものの中から探し出すような仕方をしません。それはまだないものを開発するのです。未開の地で新天地を作るようなものです。

私たちは地球にいるかぎり12分の1(注:12星座の一つのサインであること)から逃れることはありませんが、同時に12分の1でない、元の位置の要素を持たないことには、何か新しいことを始めたり、人生を開拓したりすることはできません。

下から上という視点の一方通行の12分の1のみの生き方では、地上の既存のものを模倣するだけで終わります。

地球サインという180度の視点をぶつけて、この狭い通路をもっと太くする必要があります。
それは、牡牛座の人に物欲を持つなとか、天秤座の人に人と関わるなとか、牡羊座の人に勝手に決めるなとか、蟹座の人に家のことにかまけるなという、それぞれのメインの性質の息の根を止めるようなものですが、これは「発展のための断念」というもので、最も依存している性質の根を絶つということでもあるでしょう。アル中の人に1滴も酒を与えないことというようなものです。

実際そうすれば、その12分の1の、地球的性質から解放され、より大きな視点を手に入れることができます。

ヘリオセントリック占星術 P53~54 注は記事作成者による
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