お恥ずかしいことですが、私は人からネガティブな感情を打ち明けられることに対して大きな不快感がありました。
平たくいうなら、愚痴を聞くことが苦痛だったのです。
愚痴を聞かされても、自分には何の解決もできない。そのことが苦痛でした。「ただ聞いてもらうだけでスッキリする」というのは、ガス抜きであって、その人が根本的にその問題から救われるわけではない。そのことが耐えられなかったのです。
ガス抜きをして現状維持するよりも、根本的に問題を解決したほうがいい。だから、ずっと愚痴を言い続けて変わろうとしない、問題に着手しない人に対してすごく不満でした。
でも、その態度は誤りでもあります。
なぜなら、愚痴を言い続けて成長せず、問題を解決しないままその状態にとどまる自由が人にはあるからです。その現状が不満なものでも、その人がその状態を受け入れているならば、それはそれでOKなわけです。
そこを救おうとか解決しようとか、本人が求めていないのに手を差し伸べようとするのは間違いです。なんだか勘違いしています。その人の選択したプロセスを体験することを阻害するのは良くありません。
それが良いことだろうが悪いことだろうが、成長だろうが退化だろうが、私たちは選択したことを何でも体験してよいのです。それを阻止しようとするのは、エゴ以外のなにものでもないと言えます。
だから、愚痴は真剣に聞くのではなく聞き流せばよいわけです。「そんなに旦那が嫌だっていうなら別れればいいじゃない。自分の足で歩んでいく人生は自由で素晴らしいわよ」なんて、マジレスしてはいけないのです。
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