「優しい世界」で生きていく~宇宙の愛を受けとるチカラ

人生:スピリチュアルブログ
写真AC

仕事の入っていない日、私はカフェで本を読むことがあります。
その場合、落ち着いたお店を選びます。超人気店で行列ができるようなところは大抵騒がしいので避けます。

客層として、一人客がいたり落ち着いた大人の方の多い、空気のゆったりしたカフェ。そんなカフェでのんびりと本のページを繰るのは、何にも代えがたい至福の時間です。

仕事のことやブログ記事に関するアイデアも、そんな豊かな時間にインスピレーションで降りてきたりします。

何個かそんな「読書に向いたカフェ」のストックがあります。
あるカフェは、客層がほぼ100%私よりも年上の方。常連さんも落ち着いた年配の方が多く、まさに大人の時間が流れます。

うつくしい白髪はくはつの女性二人が「日本の教育とその問題点、及び海外との比較」なんてテーマを真剣に論じていたりするようなカフェで、古典や硬めの洋書を読むにはピッタリの雰囲気です。天気の良い日にテラス席で本を読んでいると、森からエゾリスがひょこっと遊びに来たりします。実に素敵な空間!

そのカフェはマスター一人で切り盛りしています。当然、いつも忙しそうです。呼ぶのにもちょっと気がひけます。「すいませ~ん」とちょっと遠慮気味に声を出しても、マスターが気づかないこともしばしば。

私は、いつものように遠慮気味に「すいませ~ん」とマスターを呼びました。しかし、やはりマスターには届きません。たいへん忙しそうです。

「もうちょっと待ってみようかな、どうしようかなぁ」と困っていると、隣のテーブルの男性が「すいませーん!」と大きな声をあげました。マスターがすぐに気が付いて、そのテーブルに行くと男性は「あのかたが呼んでましたよ」と。

マスターは「お待たせしてすいません」と私のテーブルに来てオーダーを取ってくれました。オーダーをお願いした後、隣のテーブルの男性に「ありがとうございます」とお礼を言いました。

親切で優しい男性もいるものだなあと、私はとてもうれしく思いました。

――ここまではいい話です。
ここからが問題です。

私は家に帰ると、なぜだか急にムカムカしてきました。
「なんなのあの男の人!私はちゃんと自分で人を呼ぶことができるわ!遠慮してうかがっていただけなのに、わざわざ見せつけるように大声なんか出して!!お節介よ!!」

…………。
どうしたんだ。
情緒不安定か。

素直に助けてくれてありがとうでいいし、自分で呼ぼうが人が呼んでくれようが、そんなのはどっちだっていいじゃないか。なんでそんなにいきなり突っかかりだすんだ。

自分の意味不明な感情の沸き上がりに、私は困惑しました。こんなこじつけ、こじらせもいいところです。そんな考えのひねくれ者でいたら、人の親切を受け取れなくなってしまいます。それは嫌です。私は人から親切にされたいです。

しかし、この「受け取り下手」のひねくれ者な私も、大切な視点を与えてくれました。

「なるほど、人はこうやって上手くいかなくなるのか」と。

もし、私がここでこのこじらせてる自分にコミットしてしまったら。「そうだそうだ!余計なことはするな私は自分のことは全部自分でするんだ!!」と頑なになってしまったとしたら。

そのエネルギーによって、世界はどんどん私に対して不親切になっていくでしょう。なぜなら、私は「愛を受け取ることを拒否するエネルギー」を出すことになるからです。

逆に、現実の私がそうしたように「ありがとうございます」と助けてもらったことにお礼を言って笑顔を向けたとしたら、宇宙はもっと与えてくれるでしょう。「愛を受け取ることが嬉しいよ!楽しいよ!というエネルギー」を出すことになるからです。

宇宙は常に愛で満ちていて、私たちは受け取りたいだけ愛を受け取ることができる。幸せになれる。
スピリチュアルな法則で良く言われることですよね。

でも、家に帰ってきた時の私がこじらせたような「愛を拒否する姿勢」を見せたなら、せっかくの宇宙の愛はやってきません。受け取る体制ができていないからです。

宇宙からどれだけの恵みを得られるかは、私たち個人個人の「受けとる力」に委ねられています。受けとる力が大きい人は大きな愛を受けとり、小さな人は小さな愛を受けとります。

素直に愛を受けとる力って、大切だなあと痛感します。
だって、いっぱい愛されたいですもんね!

宇宙は常に自分を愛してくれている。
そのことを実感して生きる。そのためには「受けとる力」が大切なのだなあと感じた次第です。

うん、受けとろう!

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