清濁併せ呑む度量を身につける~大人としての心の豊かさ

お客様の声(体験談)
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長野県
H様からの
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※一部個人情報に関わる部分を伏せたりぼかしたりしております。ご了承ください。

Nozomi様

本日はセッション、ありがとうございました。
強く残った部分と、自分自身の情報の整理という意味でも、こちらに書かせていただきます。

過剰な怒りと親との関係・罪悪感など、いろいろなものがごっちゃになってしまい、うまく質問の内容がまとまらなかったのですが、やってきたローズクォーツの「自分のダメなところを受容する」というメッセージは正に的を射たものでした。

「どんな親にも毒はある。100%親のせい100%自分のせいは極端すぎるからグレーを入れなさい」
「ただし親を人間と認めて許すのは早すぎる。今は親を全否定する段階。インナーチャイルドに寄り添うこと。最低でも3年!」
子ども時代の嫌な思い出を掘り返し、親に怒ったり、軽蔑したり、悲しくなったりする中、これは私にも同じところがあるなと発見することもありました。だから「親だって所詮人間なんだから」と許せない私は、やっぱりいつまでも子供なんだろうかと恥ずかしく思ったのです。
しかし「インナーチャイルドに大人の視点を持ってきてはいけない」と言われ、まだまだ時間をかけて親との関係を見直す必要があるなと考え直しました。

これは前回も言われたことなのですが、「大人にならなきゃだめ」。この言葉がずっと頭に残っています。これは相当私に刺さりました。30代に突入し、同年代の人の口から「もう大人なんだから」「もうおばさん(おじさん)なんだから」という言葉をよく聞くようになっていたからです。
お前はいつまでガキのままでいるつもりなんだ、と叱られたと思って(職場でのやらかしで図星だったからでもありますが…)早く私も大人にならないといけない、と焦っていたのです。それが出ていたのでしょう、「何かとてもセカセカしてる、肩に力が入っててオーラも固くて怖い感じだよ」とのこと。

「大人にならなきゃだめ」「今親を許すのは早すぎ」。混乱してしまい、「周りの人は大人だけど、私はそれに追いついてないってことですか?」と質問しました。回答は「ある面はね」「精神性が上がることが大人、ではない」「大人ってだらしないしさ、汚いじゃん。そういう面が伸びてないんだよ」だそうで…。

「大人として必要な資質である『ルールを守る、責任を持つ』そういう面はできている。でもそれだけではバランスが悪い。周りに煙たがられるレベルで責任感が強すぎで融通が利かず真面目過ぎるというのは育ちに問題があるよ。過剰な分は削らないと」
だらしないし汚いじゃん。正直…まあそうかもしれないけど、でも…うまく返事ができていなかったと思います。Nozomiさんもおっしゃっていた通り、この課題、根深いです……。

私ってまだそんなにガキなのかな…と落ち込んでいたのですが、どうも部分的なもののようで、そこは少し安心しました。極端な質なので、きっともっと「グレー」「清濁併せ呑む」を知るのが大切なのだと思います。いきなりそうなるのは難しいので、ロールモデルになりそうな人を探して、お手本にしようと思います。
あとはとにかく自己受容。小さいことでもいいから自分自身を褒めてあげること。そしてどうも「大人になる」ということに過剰反応してるのでは?と新たな疑問が生まれたので、これも考えていきたいです。

長い時間お付き合いいただき、ありがとうございました。
またご縁がありましたら、その時はよろしくお願いいたします。
世間は大変な時ではありますが、どうぞお変わりなく健やかにお過ごしください。

Nozomiより

「インナーチャイルドに大人の視点を持ってきてはいけない」かつ「親の味方ではなく自分の味方をすべき」かつ「全部親のせいにしてはいけない」
これは混乱するところでしょうし、難しいところです。
頭で考えてしまうと理解不能です。心で感じること。

クラウディア・ブラックの著書に子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方という本があります。このタイトルの通りで、大人になるには「子どもを生きる」必要があります。

十分に子ども時代を生きるには、「大人の視点」は時に邪魔になります。インナーチャイルドによりそうときに大人の視点を持ちこむと、インナーチャイルドに説教してしまうのです。「そんなわがまま言ってどうするの、そのくらい我慢しなさい」と。

自分の中のだらしなさ、汚さ(及び他人の中のだらしなさ、汚さ)をある程度(完全に、ではありません。ある程度、ほどほどが大切です)受容できるようになるのが大人です。しかし、そうできるようになるには子供時代に自分のだらしなさ、汚さを叱責されつつも受け入れてもらえるという体験「自分は汚いけど受け入れてもらえるんだ」という安心感を持つ必要があります。

この時点でアンビバレントでしょう。「ダメだ」と言われながら「許される(受け入れてもらえる)」んです。頭で考えたら「どっちなんだ!」って混乱しちゃいますよね。なので、一旦頭脳はお休みしてください。心で両方を感じるのです。

大人のみならず、本来の子どもだってだらしないものです。宿題はやらずに放りっぱなしで遊びに行ったり、おやつばかり食べてばんごはんが食べられずに叱られたりします。「やるな」と言われたことほど、やりたくなります。ヒャッホー!

そういう時に親はもちろん「だめじゃないの!」と叱ります。正論を言います。
しかし、そのあとに「もう、仕方ないんだから」と許されるプロセスが大切なのです。「ダメなことしても、自分は結局は許されるんだ」と、受け入れられる。それが大切。

ただ、これは行き過ぎると社会不適合のだらしなすぎダメ人間を製造しますから、許す加減が難しいんですけれども。100%許しちゃうのはダメ。

そう、どの性質においても「完璧」を目指すとダメなんですね。完璧を目指すと極端に行き過ぎになる。

H様、私は危惧しておりますよ。あなたが「完璧な大人」を目指してインナーチャイルドケアに対して努力してとりくんでしまわないかと。そうすると行きすぎになります。グレーじゃなくてブラックかホワイト、どちらかになってしまいます。ほどほどにしてくださいね。

そして、どこかでは人からそしられる欠点のある自分であることを受容してくださいね。「人様から後ろ指さされないようにしよう、叩かれないようにしよう」と思うと、もうその先は闇しかないですよ。

インナーチャイルドケアに時間をかけたほうがよいというのも、極端に一気にやりすぎないためのブレーキでもあるんです。少しずつ少しずつ、コツコツ積み上げること。一気にやろうとしてはいけません。それでこそ「ほどほど」にできます。

まずは100%内なる子どもによりそう。親の味方ではなくて子ども時代の自分の味方になる。そして、インナーチャイルドが癒されてきたら、少しずつ「大人の視点」もインナーチャイルドに教えていく。育てなおしというのはそういうことです。

ただ、ビビッドなトラウマに突き当たった時は手綱を緩めて、また100%自分の味方になります。そういうときはひたすら親を100%悪者にする必要があります。そのあたりは臨機応変に対処せねばなりません。

マニュアル通りにわかりやすくはできないんです。だって、世界でたった一人の自分を相手にしているのだもの。どんな人だって、標準域(マニュアル)からはみ出ている部分があります。そういうところはカスタマイズが必要です。

ゆえに、自分の心の感覚をキャッチして対応することが求められます。そうすることで人の心の機微も理解できるようになってきます。

「職場でのやらかし」というのは、この「人の心に鈍感なところ(他人の感情の動きに対して興味が持てないところ)」がもたらしてしまった場合もあるのでは?

これはスピリチュアル好きあるあるなのでH様だけの問題ではありません。
スピリチュアル好きは、心が清いんです。素敵なんです。
だから空気が読めずに無神経なことをします。

心が清い人は、人間の汚い部分、未成熟な部分を理解できません。例えば、嫉妬から他人に意地悪をするということが理解できません。「エッ、どうしてそんなことするの!?私だったらやらないわ。そもそも、そんなことしちゃいけないでしょ!」で終わります。

人として未熟な部分、ルール(社会規範)に反する部分を「それはいけない」と切り捨てて断罪するのは未熟な人間のやることです。法律順守にこだわりすぎると、小室圭さんの28ページにわたる大作「小室文章」になってしまいます。あれは、いかに自分たちが法律的に正しいかを法律用語を使って書いているわけで。でも、国民からすると「そうじゃない、法律的にどうこうじゃない」って話でしょう。

昨今の不倫叩きはこの域に達しています。個人的に私は不倫をしたくないですし、私と不倫したがる男性には辟易しています。しかし、他人が不倫したからといって社会がこぞって叩くのは異様です。そこまでして「正しくあること」を押しつけるならば、それは別の形の暴力となります。

ゆえに、H様が清濁併せ呑むロールモデルをお求めならば、あちらにいる鬼をおすすめします。

これは不倫の話です。著者である井上荒野さんのお父さんとお母さんと瀬戸内寂聴さんの不倫を書いた話です。

ここで書かれている話は法律的に違反している話です。だって、婚姻関係を逸脱した男女の関係は法律違反ですからね。伴侶がいるのに他の女に手を出す男も男ですし、奥さんがいると分かってて仲良くする女も女ですし、それを無かったかのようにふるまう妻も妻です。

しかし、今そのモデルとなった夫婦は、不倫相手の墓と同じ敷地に眠っています。奥さんは、その墓に埋葬されることを自ら望んだそうです。

こういった法律やルールでは計れないような複雑な心の機微を追うことが、H様がより成熟される助けになると思います。このお話が素敵だな、愛があるなと思えるようになったら、H様はグレーを許容できる人間に一歩近づいたと言えましょう。

わかりやすいオチのついたハッピーエンドの物語や良い人しか出てこないホッコリ系ストーリーのアニメが増えて、私は心底つまらない!と感じています。子どもくさいのはH様だけじゃないんです。世の中全体が白黒ハッキリさせてしまって明快で、曖昧なグレーが足りない状態です。

白黒ハッキリさせたがるんですね。
そうすることで安心したいのかもしれません。
そうしたほうが、結果的には息苦しくて辛くなるのに……。

白でも黒でもない、曖昧さこそが元来の日本の優れた精神文化です。
なんでも「わかりやすく」なんて、アメリカ文化みたいです。いや、インターネットはアメリカ由来ですからアメリカっぽくなるといえばその通りなのですが。

謎があってこそ、面白いし豊かなのです。秘するが花。
なんでも「3分でわかる!」みたいな要素をギュッと濃縮させて単純明快に説明してしまう風潮は、あからさまに心の豊かさを奪います。

私も、仕事を頑張る時期もあれば、ひたすら一日ボケーッとして雲を眺める時期もあります。そのボケーッとして生産性のない時期こそが、心や精神を養ってくれる時期なのです。生産性がないことこそが、目に見えない豊かさを育みます。

逆に、目に見える豊かさを育むのは生産的行動です。
どちらも必要であって、どちらかだけではバランスが取れません。そして、今の世は目に見えない豊かさを育む「生産性のなさ」が欠けてしまいがちだと感じます。

だからこそ、オチのない物語や不健全な物語やホッコリしない物語こそが、今の世に必要なのです。癒されずにモヤモヤする。そういう物語こそが、心の滋養になります。「大人」を育みます。

メルマガでも取り上げた「ふればなおちん
これも不倫の話です。私がこの話にグッと来たのは、終わり方。終わり方が実に良かったんです。

ラストが実にモヤモヤした結末だったんですね。しかも、なんとなく匂わせるだけではっきりしない結末。これがもう最高でしたね。作者の方に大喝采です。薄っぺらい大団円にしない!やっぱ「大人の物語」はこうでなくっちゃ!!

そう、モヤモヤこそが精神を育てるかけがえのない滋養なのです。
スッキリしないことも、時には大切です。一年の中には梅雨の時期があるように。

そういう意味では、今の時代にこそ恋愛(ある時は不倫)が必要なのかもしれません。恋愛(不倫)は、最も生産性のない理不尽な行為だからです。コスパ最悪。
だからこそ、得難い学びになるというケースもあるんですね。

セックスだって、冷静に見たらドロドロでグログロで汚い行為ですよ。肉体の不衛生な部位を使用して粘膜接触するわけですから。だからこそ、「汚い自分も受け入れる」というテーマが必要な人には深い浄化につながることがあるんです。

綺麗な言い方をするなら、人生にネガティブなことはないということ。すべては学びになるとういことです。
生産性のないモヤモヤを経験する。それも魂にとっては大切な1ピースということですね。

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