継続が大事。なぜなら、成就にはタイムラグがあるから

人生:スピリチュアルブログ

突然ですが、口内炎ができた時に「痛いなぁ」と思って鏡で見たことはありますか?
そして、すごく痛くて違和感がある(北海道弁だと「いずい」)のに、鏡で見る舌は普通と大して変わらなくて「えぇ?この程度?すごく痛いのに~」と思ったことはないでしょうか。

口内炎って痛いと思って鏡を見て、わかりやすくボコッ!となってたら、相当な状態なんですよね。大抵の口内炎って、めちゃ痛いのに見てわからないくらいチョコッとあるだけだったりします。

そうやって「痛いなぁ~」と思いながらも次の日になると、痛みは結構引いていたりします。多少は痛いけれど昨日ほどではない、くらいの。

なのに、鏡を見ると昨日よりもバンッ!と赤かったり白かったりする口内炎の姿がハッキリ見えるようになります。痛みは昨日ほどではないのに。

体の不調って、こういう感じで「目には見えないけどなんかおかしい」からはじまって、「ちょっと目に見えるけど、体感としては結構具合悪い」からの「目にハッキリ見えるけど、体は結構もう楽になっている」という経過を通ることが多いように思います。(慢性の場合はこのサイクルが重なって続くので、ずーっと目に見えるし症状も出ている感じ)

風邪も寒気がしているうちが一番だるくて辛くて、でも発熱はそこまでではなかったりするんだけど、汗をかいて熱がドッと出ると一気に楽になりますよね。見てる方は熱が高いほうがしんどそうに見えるけど、本人的には寒気がしてる時のほうが辛かったりします。必ずしも体感と数値とが連動しないのです。

ここの世界では、このような「タイムラグ」がたくさん存在します。

日本経済だってそうです。
よくわたしたちは「バブルっぽい」とか「バブリー」とか、華やかで羽振りが良いことを「バブルのときのようだ」と形容しますよね。日本人が一番豊かだった社会とは「バブル期」のイメージが強いのです。

ですが、実際の経済成長率のグラフを見てください。

バブル期って、大したことないんですよ。
実は高度経済成長期のほうが倍くらいすごかった。
でも、私たちは「豊か=バブル」と思ってるんですね。高度経済成長期はサザエさんとか三丁目の夕日的な牧歌的な印象すらあります。

ここにもタイムラグがあるのです。実質豊かだった時と、体感で豊かだと思っていた時の。

夏至は一年で一番陽の長い日です。すなわち陽の気が一年で一番強い日と言えます。紫外線の量も一年で最強です。
なのに、気温は真夏ほどは上がりません。夏の本番が来るのは、夏至から約2カ月後です。

天は6月に告げている陽気の強さが、地に伝わるのは8月なのです。タイムラグが出るのです。

易経では、このような時の流れのシクミを教えてくれます。夏至の次には小暑がきて次は大書、のように「こういうことが起こったら次にはこういうことが起こる兆しなんだよ」と教えてくれます。

冬至は一年で一番日が短くなる日です。9月ごろから昼間の時間が比一日と目に見えて短くなってきて、12月の冬至でピークに達します。そしてピークに達したとたん、次の瞬間から転換して日が長くなるのです。「易はきわまればへんず」ということです。潜象として冬が春へと向かう瞬間なのです。

一陽来復いちようらいふく」ということばがあります。これは冬至のことをいいますが、じつは易経のことばです。この冬至の「一陽来復」こそが、易経でいう”春の兆し”、言いかえれば、悪い状況が良いほうへ向かう兆しなのです。しかし、冬至に春の兆しが生じたとはいっても、私たちにはまだ実感できません。それどころか、冬至のあとに小寒、大寒があって、1月、2月に冬本番の寒さがやってきます。そして厳しい寒さを過ぎ越した後で、ようやく春のきざしが見えてきます。

このように、春の兆しは、私たちが春を肌で感じるずっと前に生じていますが、兆しから萌しがあらわれるまでには、かなりの時間差があります。そして私たちが冬のピークと思うところと、易経のいうピークにもずれがあるわけです。

自分自身の「一陽来復」の体験を思い出してみてください。ものごとが悪い状況から良いほうへ向かったまさにその時のことです。苦しい時期を乗り越えたあとに思い返してみると、「そういえばあのことをきっかけに流れが変わったな」と思う「時」があったのではないでしょうか。けれど、苦しみや苦労はそれからも続き、状況が改善したのはしばらくあとのことではなかったでしょうか。

生じたばかりの兆しを察するのはまず不可能です。ただし、いつ兆しが生じるのか、ピークはどこか、このことを頭の隅に置いて過ごすことが大切だと易経は教えています。

例外なく、兆しはどんどん明らかになってきて、やがて目に見える萌しとしてあらわれます。それにいつ気づくか、ということが大切なのです。なるべく早く気づくように、兆しを見る目を養いなさいと易経は教えているのです。

超訳 易経 陰―坤為地ほか p49~50

「アレッ、こういうことが起こりそうだ!!」と直感でピンと来た。そんな時は「きざし」をとらえているのです。
そして、その兆しが実態として現実世界に現れるには、大抵の場合、タイムラグがあるのです。

私はその「兆しが現実に見えるタイミングを図ることの難しさ」を日々実感して生きております。なぜなら、上の人(ガイド)と話すことがいつ実現するのか、正直つかめないことが多いからです。

例えば、こんなふうにいわれた時。

上の人(ガイド)
上の人(ガイド)

これから忙しくなるから
今の内にプライベートでやりたいことはやっておいて

この、「これから」が3日後なのか2週間後なのか1か月後なのかが、読めないんです!!
「いつよ!」って聞いても、「いや、なるから」みたいな感じでしか返ってこない。明確に三次元の時間座標を指定してくる場合もあるっちゃありますが、まれです。

基本的に私のガイドはあんまり三次元的な時間や場所の座標を指定することが上手くないんです。というか「全部同じだろ」くらいにまるっと思ってる……。いや、高次のあなたたちから見たらそうなんでしょうけど、過去も今も未来も全部同じに見えてるんでしょうけど、そんなの自分の選択次第だというのでしょうけど、ウチら人間にとっちゃそうではないのよ~~!!!涙

(このあたりの話は我輩はガイドである。名前はまだ無いに書いてあります)

でも、結局いわれていたことは結構「そう」なるんです。タイムラグがあるだけで。上の人は流れの上流を見ていっているのでしょうけれども、私が見えるようになるのは下流まで流れてきてからなんですね。なかなか見えない。形になるのはずっとあと。

ただ「なるほど、あの時言ってたのはあれか!」とはなるので、兆しを知って自分のポジションをどう置いておくかを考えるのは有用です。備えあれば患いなしですね。

そして、タイムラグがある以上は「何かをはじめても成果として見えてくるのはかなり後」ということになります。「え~実現しないじゃ~ん」と思っても、やはりコツコツコツコツ続けていくことが大切なんですね。

この世界では、きざしを感じとってから形になるまでに時間が必要なのです。
だから、「継続は力なり」!

何事もコツコツ積み重ねていける人って素敵です。
そういう人は、この「タイムラグ」をどこかで感じてらっしゃるのでしょうね。成果が出るには、時間が必要。その法則を賢く理解されているのです。

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