中庸への道

お客様の声(体験談)

神奈川県
S 様からの
メール

※一部個人情報に関わる部分を伏せたりぼかしたりしております。ご了承ください。

Nozomiさま

いつも大変お世話になっております。
3/○にセッションしていただきました、Sでございます。
スッキリしたのか、春だからなのか、好転反応なのか、眠くて眠くて尋常じゃない眠さなので何もせずに寝てました。

…が!!、3時間弱セッションされた方の記事を読み、面白いなと思い私の体験もご報告します。

私は~
もっとこうしたほうが~
この記事をみてこう思って~
など聞いているうちに、

「この世は二元性の世界なのよ」
「老後の心配してどうすんのよ」

と、体育会系魂が憑依した?みたいにビシバシ叱ってもらいました。笑

【今ここ】【ただ在る】【中庸】に戻る個人レッスンだったと思います。

セッション中の外はドッゴーーーーンドッゴーーーーンと雷が鳴り、画面のNozomiさんの背後の照明がチカチカ点滅し、大荒れでした。

セッション後にはスッカリ晴れ、大きな二重虹が出ました。
そんな私のパワーストーンは、視野を広く持つようにとレインボークォーツでした。
そして次の日の朝一番に、演奏会出演依頼の電話がありました。しかも2件!!(私は音楽やっております)

だからこれでいいのよ、わかったでしょ、と再度言われているように感じました。

老後の心配(笑)についても、セッション後にご近所さんとの立ち話で現状の日本のシステムを聞き解決しました。
そこでも「アンタ、そんなことで悩んでたの?」と言われるオマケ付き。
しかも、3/27付けのメルマガにも老後の話がでましたね。
まさしく“知らなかった故の不安”でした。
どのように生きるか、死ぬか、より一層明確になりました。
自身のどうしたらブレてしまうのかの傾向もよくわかりました。
いつも気づきをありがとうございます。

ここまでも、これからも、ひとりではとても辿り着けない境地です。
ブログやメルマガ、体験談などの場を設けてくださったお陰で気づくことが出来ます。感謝いたします。

そして…セッション中に「頑固だわ」と、呆れられながらおっしゃっていたのがジワジワきてます。
友に、静かに頑固だよねーとありがたくもないあだ名を貰ったことを思い出した戊申の私でした(笑)

Nozomiより

S様は「3時間弱セッションされた方の記事を読み、面白いなと思い私の体験もご報告します」とこの体験談をお寄せくださいました。

こういった「体験談を読んで参考になった」とか「まさに自分のことのようでシンクロに驚いた」とか「○○さんの体験談に書かれていることが自分の悩みの答えだった」とか、そういう反応って実はかなりいただくんですよ。

なかなか体験談を書いてくださった方に直接お伝えする機会がないので、リピータールームでもその旨を記事にして書いています。体験談を書いてくださった方は、「実は隠れたところで思ったよりも人の役に立っている」ということを知っておいてくださいね。

選択することで、確立される自分軸を大阪府のH様が書かれたからこそ、S様も体験談を書こうと思ったわけです。元はというとH様のおかげなんですね。H様ありがとうございます。

次の日の朝一番に、演奏会出演依頼の電話がありました。しかも2件!!(私は音楽やっております)

そう。
ちゃんと流れを掴んでいる人は、スルスルスルっと上手く行くんです。このコロナ禍でも。

「コロナだからできない」っておっしゃる方もいらっしゃいます。でもね、そんな中でもできてる人はできてるし、上手くいってる人は上手くいってるんですね。リンデンバウムにいらっしゃるお客様は、圧倒的に「上手く行く人」が多いです。

それはなぜなんだろう?と考えてみますと、「コロナだから」って言い訳しない(これぞ素晴らしき体育会系魂!!努力と根性と気合こそが大切であることをわかっていらっしゃる!!)――っていうのもあるとは思うんです。けれど、一番は「フワッとしてない」ってところが大きな共通点です。上手く行く人って、フワッとしてなくて「こうしたい」という明確なヴィジョンがあるということです。

セッション時のS様も老後の心配してみたりブレッブレだったようですね。
そういうときって、残念ですけれども上手く行かないですよね。

ブレるってことはフワッとしちゃうんですよ。
「どうしていいかわからない」ってフワッとしてますよね。パキッとビビッドにヴィジョンが描けない。

それだと、宇宙は何も返せないです。
いくら素晴らしいものを与えたいと思っていてすら、愛を与えたいと思っていてすら、与えられないんです。だって、あなたに受けとる準備ができていないのだから……。

でも、魂の曇りが晴れて(この場合は老後の心配なんかしないで!)、パキッとビビッドにソリッドに肚が座ったら、S様も上手く周りだしましたよね。面白いですよね。

音楽関係やエンタメ系や旅行観光系の仕事はコロナで大ダメージを受けているところも多いです。だから、「コロナでだめになった」って言おうと思えば、いくらでも言えます。実際に事実ですものね。でも、そういう人って、やっぱり落ちていくんですよね。上手く波には乗れない。

この世界は二元性の世界だから、意識的に自分から選択しないと「多くの人が通るルート」に自動的にベルトコンベヤみたいに乗せられていくことになります。つまり、↓こういうこと。

フワッとしててなんとなく流されて選択せずに周りに合わせて普通にしてると、普通に落ちていきます。それが、標準ルートです。それが、「普通の人生」です。

だから、私はしつこーっく「フワッとしたこといっちゃダメだよ!!」っていうんですね。

常に具体的に言葉やイメージをもっておくことが肝要。なぜなら、それは「選択」の結果です。ボヤッとモワッとしたままモヤモヤしてるって、何も選んでいないでしょう。「白でもなく黒でもなくて、わからな〜い」だから。

自分が望む人生を歩むためには、ビビッドでソリッドであることが、とても大切です。ホッコリでボヤヤンでモヤッていては、いけません。こうやって否定形をちゃんと使うことで、よりカタチが明確になります。メイクアップに例えるなら、ハイライトとシェーディングを両方使うことではっきりとコントゥアリングした状態。

「否定したくない、全部肯定したい」なんていってると、フワッとしちゃいます。世界が全て白だと、何もカタチのない面白みのないところになってしまうのと同じです。もちろん、全て黒だと何も見えない漆黒の世界で、それも困る。

否定も肯定も、どちらも同じくらい必要ということですね。それでこそ中庸への道が開かれます。

最後に、3/27のメルマガの内容について、ご紹介して終わりたいと思います。

3/27メルマガより

「老後が不安だから子どもが欲しい」
こんな言葉を聞いたら、あなたはきっとこう呆れるでしょう。
「何言ってるんだこの人……」と。

「老後が不安だからパートナーが欲しい」
この言葉も、上の言葉とほぼ同じです。
「何言ってるんだこの人……」という。

子どもだろうがパートナーだろうが、長生きして自分の面倒を見てくれるという保証はありません。そもそもが「不安だから」というスタート地点が間違っています。なぜなら、そういうネガティブな動機で行動しても、あまり幸せな未来はのぞめないからです。

そもそもなぜ老いていくことが不安かというと、「知らない」からなんですよね。未知の領域とは、誰にとっても不安で心配なものです。

だからこそ、死についてもっと調べればいい。知ればいい。怖がって踏みこまずにいると、余計に死が怖いものとしてべったり心に張り付いてきます。

そもそも私が「死にたい」「死にたい」といっては死なずにズルズルと生きる格好悪いメンヘラどもを蛇蝎の如く嫌うのは、そういう人が死を冒涜しているからです。

メンヘラの中で死というのは現実逃避の手段なのです。
そこまで無残に死を貶めている。

死というものをそんな低レベルでとらえることも可能です。
しかし、死を神聖なるプロセスとしてとらえることもできるのです。

私は、美しい死、神聖な死があると考えています。
自然と息をひきとっていく生き物は、大いなるものへの帰還を感じさせます。肉体から解放され、土へと還っていくのです。

最近「孤独死は怖い」と煽るむきがありますけど、本当に枯れて痩せてショボショボになってから死ねば、ウトウトと眠るように死ねます。そして余計な体液が出なくて腐敗も少ないので、清掃も簡単です。焼くのも簡単。

死について無知だから、怖いのです。
ちゃんと知ればいい。一人でも死ねることを。

ヒマラヤの修行僧なんて一人で死ぬのがあたりまえだから「身体がこういうふうになってきたらこれくらいで死ぬから、肉体を離れる準備をするためにこういった修行をしなさい」って経典で教えられるくらいです。

私が大好きなココ・シャネルは晩年ホテル・リッツで暮らしました。そしてリッツの部屋で死にました。マドモワゼルは、人生の最後まで自立した女性であったのです。カッコイイー!素敵っ!!

年下の友人とご飯を食べ、夜になって具合が悪くなって看護師が来ました。その看護師が注射を用意している間「見て、人はこうやって死ぬのよ」という言葉を残してこと切れました。

現代の日本でも、一人で暮らし、一人で死んでいく人はおるのです。
あなたが知らないだけで。

一人でも自宅で死ねる

「孤独死」じゃなくて「孤高死」

僕が自宅で死ぬのが最高だというと、「でもそれは、ご家族や介護してくれる人がいる人の話でしょ?」と言われます。でも、そんなことはありません。一人暮らしでも穏やかな死を自宅で迎えている人はたくさんいます。僕は”いっぽ”に入ってから、二十~三十人くらいの一人暮らしの方をご自宅で看取ってきました。なぜか大半は女性です。
一人暮らしの高齢者……というと、「かわいそう」「大丈夫なの?」と思われる人が多いかもしれません。僕も、終末期の患者さんを一人で自宅に帰すなんてとんでもない!と思っていました。でも、今はまったくそう思いません。在宅緩和ケア医やソーシャルワーカー、ケアマネージャーと連携してサポート体制を整え、本人がきちんと死を受けとめていれば、簡単にできてしまうものなのです
(中略)
百歳で、軽い認知症の一人暮らしの女性がいました。意思表示は十分できますが、記憶はさだかではなく、ベッドから動けない状態で退院してきました。
一人暮らしでしたが、近所のおばさん、若い子も家に遊びにやってきます。ご近所のアイドルだそうで、ご近所の方々や歴代の民生委員の方々がおばあちゃんの面倒を見ているとのことでした。おばあちゃんはしょっちゅう、
「もりと、いずみに、か~こ~、まれて、しずかにい、ねむるう~、ぶるうぶるう~、ぶるうしゃとおー。しゃとおはお城のこと、ぶるうしゃとおおは青いお城ってことよ」
と歌ってくれました。何回聞いても愉快でした。こりゃ下町のアイドルだなぁと思ったことを覚えています。
遠くにいる親戚が唯一の身寄りだったので、親族による介護はありませんでしたが、少しの貯金があり、昼間はヘルパーさんとファンたちの見守り。夜は家政婦を雇って泊まってもらいました。そして、一週間後の早朝、家政婦と近所のファンに見守られ息を引き取りました。

穏やかな死に医療はいらない (朝日新書) | 萬田 緑平 p125~131

引用したこの本には、他にも最後まで自宅で一人暮らしをして自分の意思で苦しみを軽くする薬を投与してもらって眠るように亡くなったおばあちゃんの話も書かれています。

死ぬ当日まで歩いて自分の足でトイレにいって自分で食べて話もできるような実例がたくさん示されています。人は、必ずしも老いたら施設や病院のベッドで寝たきりになった後に死ななきゃならないものではないのです。

一人で生きて、一人で死ぬ。
それが不可能だと思いこんでるからこそ、不安でしかたないのでしょうね。

そして、そう思っていると、自動的にそういう人生になっていきますよね。宇宙はあなたの思念を反映して現実を作りだしますから。

さて、あなたはどのように死んでいきたいですか?
固定観念で決めつけて、不安な老後をお望みで?
生き方にもいろいろあるように、死に方だっていろいろあるっていうのに!!

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