「必要なものは全部そろっていた」という気づき

お客様の声(体験談)
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千葉県
K様からの
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※一部個人情報に関わる部分を伏せたりぼかしたりしております。ご了承ください。

2021年2月○日にセッションを受けさせていただきました。
温かく力強い叱咤激励をいただき本当にありがとうございました。

昨年の秋頃にリンデンバウムに辿り着きました。
「子ども 産みたくない」とか「子ども 産まない」とかそんなようなワード検索でヒットしたような気がします。
リンデンバウムはスピリチュアルなのにネガティブなことも受け入れているところに一番惹かれました。失礼ながらスピリチュアルって、ポジティブ一辺倒のフワフワした感じで「ネガティブ悪!」みたいなところが多いイメージで。。正直辟易していました。そういうのを目にすると「うわ、近寄らんとこ……」って回避してました……笑 世の中クソみたいなことがたくさんあるのにそこから目を背けてキラキラするなんて無理って思っていたので……。だから新鮮だったんですね。内容の痛快さ、文体のキツさがなんとも心地よくて。でも愛を感じるとも思っていました。

割とその時どん底で色々とやる気もなかったんです。でもリンデンバウムの内容に触れて「自分で自分を癒せるならやってみるか!」と本を読んだり瞑想したりしました。西洋占星術や算命学、インナーチャイルドケアなどなど、ブログを隅々まで読んで勉強して実践しました。そうやっていくと、めっっちゃくちゃモヤモヤしたり一段階二段階グロい自分に出会ったり、産まれたことやこの三次元にいることに絶望したり……かなりキツかったです。たくさん泣いてたくさん手放しました。どん底にまだ底があったのか……そんな気分でした。誰にも何も言わず一人でやりました。こんなの誰にもわかってもらえないと思ったので。

そんな中どうしてもリピータールームの内容が気になりました。ブログを読んでいると「この内容の詳しくはリピータールームで」というの結構多くて……。もうすっかりNozomiさんのファンだったんですね、その頃には 笑
もうNozomiさんの文章ならなんでも読みたい!って気持ちでした。
「自分のことは自分でやれる」とやってきたのでセッション受ける気はなかったんですけれど……もうここまできたら受けようと決心して受けました。

セッションは今までやってきたことは全部間違っていなかったと思える機会になりました。「ああ、なんだやっぱりそれでよかったんだ。そうやって生きていいんだ。」と報われるような気持ちでした。言われたことはかなりキツいし、これから取り組むことも結構大変なものになりそうです。でも「それが正に私がやりたかったこと!それで生きていけるなんて幸せ!」と目の前が開けました。力強く、温かい手のひらで背中を押してもらえたような感覚です。頑張ってきてよかった……あの時のこともこの時のことも無駄じゃなかったんだなあ……苦しいことも悲しいことさえも完璧に行われていた。必要なものはもうすでに目の前に全部揃っていたんです。

リピータールームの内容はセッションを捕捉するような内容でした。Nozomiさんとは出会うべくして出会い、縁を結んだんですね。自分でやる!と突き進んできた私がNozomiさんとあえてセッションすることにも何か意味があったんだなと今では思います。

私、ちょうど今サターンリターンなんです。Nozomiさんのおかげで本当の自分に出会えました。心の底から感謝しています。素敵なご縁をありがとうございました。

Nozomiより

K様はこう書いてらっしゃいます。

リンデンバウムはスピリチュアルなのにネガティブなことも受け入れているところに一番惹かれました。失礼ながらスピリチュアルって、ポジティブ一辺倒のフワフワした感じで「ネガティブ悪!」みたいなところが多いイメージで。。正直辟易していました。

この視点、この感覚。
実に鋭く二元性の世界の真理をついています。

ポジティブがけして悪いことではありません。むしろ善いことです。
しかし、それならばネガティブも善いことです。

ポジティブが悪いことならネガティブも悪いことです。
つまり、二元性の世界には「片割れ」が常に必要であり、結局男と女が惹きあったり、陽と陰が惹きあったりするのはそういうこと。

だから、「ポジティブだけだと気持ち悪い」と感じたK様は、ものすごく深い気づきを得ているのですね。ネガティブもあってこその、この世界だろうと。

中医学(漢方)の考え方でも、「喜びすぎるといけない」といいます。ポジティブ一辺倒では、中庸を保つことが難しいからです。

この世界は二元性の世界。分離の世界。
昼があれば夜があって、光があれば闇がある。
その「分離」を体験してこそ、太極、つまりは統合に至ります。

どちらかだけの体験では片手落ちなのです。
両方を、まず味わう必要がある。
だから、私たち今この窮屈な「肉体」におしこめられているわけで。

メルマガにも書いたんですけど、私、南方熊楠って人間がもう大好きでしてね。
具体的にどこが好きとか言えないくらい、いちいち好きですね。熊楠を見てると「本当に世界って自由に生きていいんだ」ってことが腑に落ちて、心がスーッと解放されるんですよ。

熊楠はメチャ頭いいから、和歌山から東京の学校(現東京大学)へ進学しました。でも、全然学校行かないんですよ。学校行かないで図書館にこもって本ばっか読んでるんです。そんなんじゃもちろん卒業できなくて、地元帰ってきたら「学問しないなら結婚しろ」って言われて、やーなこったってサンフランシスコいっちゃうんですね。

サンフランシスコですよ、サンフランシスコ。しかも、明治のあの時代に、アメリカくんだりまで行っちゃうんですよ。

そんでアメリカで何やってたかってサーカス団にまぎれて彷徨しては北米に自生する植物を見て回ってたんです。
サーカス団ってアンタ、どこのトロワ・バートンですか。そりゃキャサリンもグーパンするわ。

そんでイギリスいって大英博物館にこもって、ネイチャーって超有名雑誌に論文発表して「この日本人スゲー」って一目置かれたりしてたんですよ。

でも日本帰ってきても、相変わらず和歌山(熊野・那智)の山奥にこもってずーっと毎日植物眺めて。山の中で幽体離脱してみたり幽霊から植物の知識を教えてもらったりしていたわけです。ブッ飛んでるでしょー!

林中裸像(明治43年) 現代風にいうならパンイチ南方先生

基本的に色々フリーダムすぎて学校を卒業できない(授業に出れない)人なので、学歴はないんですよ。でも天皇に講義しちゃうくらいスゲー人なわけ。あの柳田國男をして「日本人の可能性の極限」と言わしめる超天才。

もうね、「なんなのその生き方」ってレベルで、色んな固定観念をブチ破ってくれるスケールのでかい人なんです。そして彼の文献を読めば読むほどスピリチュアルで「こんなことまで知ってたのか」って驚かされる博識ぶり。熊楠の作りだすマンダラ、宇宙観がスゴイんです。

そんな熊楠が、この二元性の世界について「片方だけじゃダメだよ」って言ってるんですね。物質性も精神性も、両方ないと片手落ちだと。

今の学者(科学者および欧州の哲学者の一大部分)、ただ個々にこの心この物について論究するばかりなり。小生は何とぞ心と物とがまじわりて生ずる事(人界の現象と見て可なり)によりて究め、心界と物界とはいかにして相異に、いかにして相同じきところあるかを知りたきなり。(中略)

科学のみで今日まで知れたところでは、輪廻ということはたしかにあるごときも、科学のさわること能わざる心界に輪廻行わるるや否やという問いには、実に答えに苦しむ。

何となれば、小生今日悪念を生じたりとて明日別にこれがために懊悩せず、多くは忘れ終わるものなり。されば物界に生ずる、これこれの水をこれこれの温度にたけば、これこれの蒸気を生じてこれこれの大きさのものを動かすというとはかわり、心界に生ずる現象はあるいはつねに報あらぬものにやとも思わる。(仏教徒も多少この事の変化を知りたればこそ、十二因縁等の目も出でたるなり。)これをきわむるには、小生一人の心できわむるよりほか仕方ないが、右に申すごとく、心界中のみには輪廻ということは、たしかに小生には見えぬ。

明治二十六年十二月二十一日~二十四日、『南方熊楠・土宜法竜往復書簡』、四十六~四十七頁

心だけでも、物だけでも足りない。それが交わって生まれる「事」にこそ意味があるのだと熊楠は考えました。陰と陽が交わり太極に至る、そこに真理があると見抜いていたのです。

今すっごいイライラしてたり落ち込んでたりしても、次の日までずーっとその感情がノンストップで続くかというと、そうではない。このあたり、仏教のヴィパッサナー瞑想に通じますね。感情なんて雲のようなもので、来ては流れて消えていくもの。

そんな不安定なやがては消滅するものにとらわれてのめり込むなんて、バカバカしい限り。でしょう? だから、ヴィパッサナー瞑想では感情にとらわれずに、ただ眺めなさいというのです。

二十世紀の自然科学が量子論の誕生をまって、はじめて直面することになった「観測問題」の要点が、すでに熊楠独自の言いまわしによって、はっきりと先取りされている。「心界」から独立した、純粋な「物界」などと言うものは存在できない。観測がおこなわれるときには、かならず人間の意識の働きが関与している。つまり、どんな物質現象でも、それが人間にとって意味をもつときには、すでに「物」ではなく、「心界」と「物界」の境界面に起こる「事」として現象しているために、決定不能の事態に陥ってしまうのだ。

量子論は、パラドックスにみちた「事」の世界を記述するための方法を、いまだに探求しつづけている。熊楠は量子論が生まれる三十年も前に、「事」としてつくりだされる世界の姿をとらえ、それをあきらかにするための方法を、模索しだしていた。

それが、十年後の「南方曼荼羅」の思想に結晶するのだ。熊楠は「事」として生まれる世界の本質をとらえる方法が、真言密教のマンダラの思想の中に潜んでいることを、直感的に理解していた。西欧で発達しつつある、現代の学問の限界を食い破っていく思想が、仏教の哲理の中に眠っているらしいということを、彼は知っていた。

熊楠の考えでは、科学と仏教は対立しあうものではなく、科学はマンダラ思想のような東洋の哲理と結合されることによって、かえって自分を完成させることができるはずなのだ。

森のバロック (講談社学術文庫) p76~77

西洋に追いつけ追いこせの明治時代。日本人のエリート層の多くは極度の西洋コンプレックスがありました。しかし、熊楠はアメリカにあってもイギリスにあっても、東洋人であることの誇りを失わず西洋コンプレックスも抱きませんでした。

それどころか最先端と言われる西洋の学問を、冷静にとらえてさえいたのです。科学は物質ばかり見て、哲学は心ばかりを見る。それじゃ片手落ちじゃないか、と。心も物も両方を交わらせて「事」に至ってこそ意味があるのである、その真理は仏教の教えの中にこそあるのだと。

ポジティブ一辺倒に疑問を持つのは、この天才・熊楠の視点と同じです。
精神だけでも物質だけでも片手落ち。光だけでも闇だけでも片手落ち。
ポジティブもネガティブも体験してこそ、はじめて統合の道に至ることを、感じているということです。

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