大我に委ね、周りを育てる~晩節を汚さない成熟期

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西洋占星術でいう木星期以降、つまり46歳以降の人間は、「自分が良ければそれで良い」という考えではあまりにも狭量です。「他人に興味がない」となると、全く見どころのない老害になり果ててしまいかねません……。それでは悲しいですよね。

人生経験を積んできたからこその人としての重み、人格の成熟こそが大切になります。そのためには、小我ではなく大我に委ね、エゴを手放していかねばなりません。視野を広く持ち、世の流れを俯瞰することも大切です。

そして、人を育てること。
人を育てるということは、自分でやるのではなく相手に委ねるということです。自分がやればすぐ終わることでも、あえて相手にやらせてみてじっと見守ること。

自分はもう物質界での主役でなくて良いのです。
目に見えない領域での学びにシフトしていかねばなりません。肉体を離れていく準備を少しずつしていくのです。この世界から綺麗に去っていくために。

――と、言葉で言うは易し、行うは難し。
ダイエーの創業者、中内㓛氏の足どりを見ると、つくづく思います……。

この中内㓛の人生を描いたカリスマ―中内功とダイエーの「戦後」。本の題名の通り、中内氏は巨大な引力をそなえたカリスマでした。人を魅惑する経営者でした。「この人のために働きたい」「この人のためになら死んでもいい」と思わせるような志ある人物でした。

中内氏の著書「わが安売り哲学」にはこう書いてあります。

価格の破壊者として登場せねばならない。ダイエーの存在価値は、既存の価格を破壊するところにあるのだ。(中略)

現実の世界の中心的存在である価格を破壊することは、現在の社会秩序を破壊しながら新しく創造していくことを意味する。つまり革命である。革命とは天命による権力者の交代である。

わが安売り哲学

令和の今、この言葉を見ても「ふぅーん」としか感じないかもしれません。

しかし、戦争によってすべてを失い焼け野原になった当時の日本では、この言葉は実にまぶしく輝いて見えたことでしょう。この悲惨な現実を破壊する、天命にもとづき革命を起こすというのです。

だから、ダイエーには優秀な人物が集まりました。志をもって、消費者に良いものを手にしてもらいたい、そんな若者がはせ参じてきたのです。

「リーダーには、先見性、洞察力、企画力、説得力、統率力、そして勇気と決断が必要です。中内さんはそのすべてを兼ね備えている。その意味で傑出したリーダーだと思います」(p57)

その幹部は、中内からダイエーの子会社の不良債権処分を命じられた。その処分に奔走したものの、なかなか実効はあがらなかった。
ある日、中内に呼ばれて会議に臨んだ幹部は、中内からこういわれた。

「生命保険に入っているか? 入ってるなら、いますぐこのビルから飛びおりろ!」

それを聞いた幹部は、血の気がひいた。目の前の中内に飛びかかり、首をつかんで絞め殺したいという思いをこらえるのが精一杯だった。

「それからまもなく、中内さんから一杯飲みに誘われました。中内さんは私の猪口に酌をしながら、『この前は言い過ぎた。堪忍してくれや』といって頭を下げました。不思議なものです。それまでムラムラとしていた気持ちが、そんな中内さんの姿を見ると、スーッと消えていった。それどころか、この人のためになんとかもうひと頑張りしなければあかん、と思うようになっているんです」

これを中内の卓越した人心収攬しゅうらん術とみるのはたやすい。しかしそれはあまりにも単純な人間解釈と言うものである。人は他人の自己演出によって踊らされるほど幼稚でも甘いものでもない。

中内の狂気も温情も本物だからこそ、人は中内のために死を厭わぬほど働くのだろう。殺しても殺しても憎みたりない人物に、気がつくと命を捧げているという不思議さこそ、中内のカリスマ性の源泉だった。(p69~70)

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈下〉 

ダイエーの第一号店は大阪の鬼門(京都の裏鬼門)にできました。風水好きなら発狂しそうな方角です。でも、中内氏は自分のカンで鬼門だろうが出店しました。くわしくは今の自分を変えたい? なら、鬼門(北東)を使お!で書いた通りです。

他にも中内氏の肚のすわり具合をあらわすエピソードがあります。

中内さんは墓の跡にも注目していました。福岡に出店したとき、土中から人骨が出てきたことがあります。これを聞いた中内さんは、墓地は昔、人の集まったところだ、そこに店を出せば必ず人が集まるし、地価も安い、といって全然気にしませんでした

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈下〉 p68

「墓場は人が集まるからラッキー☆」ですよ。この固定観念にとらわれない発想の自由さ!素敵!!

同時に中内氏は、街を見下ろし「高いところから町を眺めると、人の集まるところがよくわかる、いまはさびれた道でもかつては栄えていた街道だということもわかる」と口ぐせのように言っていたそうです。

実は私、大学では地理学専攻で航空写真から地形や市街地の状態を分析するということもやっておりました。ゆえに、中内氏の言わんとすることは「その通り!」と大変強い説得力を感じたんです。

こうやって合理的に出店する場所を見極めていたんですね。だから、「元墓場に店を出すのは良い」というのも、あながちトンデモ論ではないのかも。

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さて、大きな組織には有能な人材が不可欠です。リーダー一人でワンマンに経営していけるのは、従業員数150人くらいまでと言われます。

組織にも人間と同じような、生まれて成長し、成熟していくというプロセスがあるのですね。いつまでも少年のようにふるまっていては、大人として成熟できません。

松下幸之助が直接語りかける 人生で大切なこと(Amazon)

経営の神様、松下幸之助。
中内氏とは、メーカー松下 vs 小売ダイエーバッチバチのバトルを繰り広げた相手となります。

そんな「敵同士」松下と中内が、一九七五年のある日、京都で邂逅しました。

幸之助は手ずからたてたお茶で中内をもてなしたあと、雨のなか、中内に傘をさしかけて表まで見送った。そのとき幸之助は中内にいった。

「中内さん、あんたももう会社をここまで大きくされたんやから、これからは覇道でなく、王道を歩まれたらどうや」

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈下〉 p38

さすが、数々の名言を残した松下幸之助。深いですね。
松下氏はのちに、インタビューでこのように話しています。

やっぱり、カネがでけて王様になったら、王道がわかってくるんですよ。それが普通の人間の姿ですわ。

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈下〉 p39

この松下氏の言葉も虚しく、中内氏は覇道を進みつづけようとします。いつまでも成長しつづけようとしたのです。もっと大きく、もっと高く。

蝋で塗り固めた翼を手に入れたことで自由に飛び回れるようになったイカロス。でも太陽に近づくと蝋は溶けて、最後は地上に叩きつけられて死を迎えます。高みを目指しすぎると、あとは堕ちるしかないのに……。

戦況を無視して前進を命じられ続けた戦争末期、フィリピンでの戦い。中内氏は、戦後もそのパターンを繰り返していたのでしょうか。まるでマリオネットのように――(これは算命学的に見ても、合点がいきますが、そのあたりはリピータールームで)

中内氏は旧日本軍においては軍曹でした。将校ではなく下士官で、第一線の現場で働くポジションです。

組織が小さなうちは、軍曹的働き方、つまり現場のリーダー的な統率の仕方は見事にはまります。上手くいくベンチャー企業の経営者にワンマンな人が多いのもそのせいです。

令和の今、ワンマンであることはとかく悪く言われがちです。少し強く命令すると、安易にパワハラ扱いされます。が、指揮系統に乱れが出ないという意味でワンマンな経営がプラスになるというフェーズは確かに存在もするのです。

ダイエーは地元からどんなに強い反対運動があっても最後は結局、出店してしまう。なぜなんでしょう。そうたずねると、経営コンサルタントはなんでそんな簡単なことがわからないのか、という顔をした。

「簡単です。地元の反対運動は大勢ですが、ダイエーは中内さん一人だからです」
「多勢に無勢では、ダイエーのほうが不利なんじゃないですか」
「そこが違うんです。複数は弱い。特に時間がたてばたつほど、あいつはひょっとして賛成派に回っているんじゃないかとか、お互い疑心暗鬼になり、最後は仲間割れになる。その点、一人は強い。絶対割れっこないからです」

私はあっ、と思った。なるほど、中内が”衆議独裁“ ”衆議独裁”という理由がわかるような気がした。伸び盛りの企業にとっては、ワンマン体制ほど強いものはない。

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈下〉 p84~85

できたばかりのベンチャーを成功させたいなら、強力なリーダーシップによる独裁体制のほうが、かえって上手くいく。
でも、それも組織が大きくなってくると裏目に出ることが多くなっていくわけで――

組織が大きくなってきたなら、リーダーは将校の視点を持たねばなりません。現場第一の下士官では視野が狭すぎます。こうなってくると、ワンマンなリーダーの弊害が出て来るのです。

はじめは上手くいっていた中内社長の衆議独裁・ワンマン路線も、小売No.1の座についた頃にはほころびが見えてきます。

私はほとほとあきれました。
中内社長のあまりにも強いワンマン体制が、そんなイエスマンばかり生み、経営者らしい経営者を一人も育ててこなかったんです。(中略)経営者という自覚のないサラリーマン的人間をいくら子会社に送りこんでも、業績が好転するわけはありません

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈下〉 p67

前述したとおり、中内氏の周りには優秀な人材が集まってきました。
正直、大企業のリーダーとしては、中内氏よりも適任な人すらいました。

ですが、その育ってきた人材を中内氏はことごとく潰していきます。代表的なのが河島博氏です。

河島氏はダイエー内で「V革」といわれる奇跡の経営再建を果たします。ダイエーの前に所属していたヤマハでも業績低迷を回復させた功労者です。能力は折り紙付き。

河島氏だけではありません。V革をなした功労者には、若手の素晴らしい人材がひしめいていました。
なのに、中内氏は河島氏だけではなくこのV革功労者をどんどん経営の一線から遠ざけてしまいます。代わりに重要ポストには息子たちを起用しました。

あの人だけは別だと思ってましたが、やっぱり親バカでしたね。あれだけ人を信用しない人間が、息子だけはかわいがりだした。ダイエーがおかしくなったのは、息子を副社長にしてからです。ダイエーではいま、潤と同じ慶応出身じゃないと出世できないとさえいわれているそうです。こうなったらもうオシマイですよね。

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈下〉 p224

アーッ!菅総理大臣の悪口はやめてくれませんかー!!

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アレ?令和の話じゃない?…昭和の話?
ということは、歴史は繰り返すということ……?

菅さんは戌亥天中殺、中内さんは辰巳天中殺。
一代運の人が子どもに仕事手伝わせるとロクなことにならないんですよー!! だって、星に逆らう生き方なんだもの…っと、算命学ではリピータールームで考察するんだった。

とにかく、中内氏は己の隆盛を保つために、バッサバッサと有能な人材をなぎ倒し、業績不良の子会社に出向させまくったのです。鬼かー!

白村江 (Amazon)

これを見て、私は荒山徹の白村江を思い出しました。うさとの服を買った時にシンクロでやってきた本です。

この白村江でも、大切な戦いを控える肝心なときに、老害な将軍が内ゲバをはじめて優秀な人材を殺してしまいます。

「これは王子、いや国王殿下」
鬼室福信は血塗られた剣を引こうともせず、これ見よがしに引っ提げたまま、形ばかりの一礼をした。
「この狼藉は何事である、将軍」
国王としての威厳を保つよう努めつつ、豊璋は声を荒げた。
「裏切り者の処断に及んだまで」
「裏切り者、と申したか?」
「如何にも。道琛めは、こともあろうに新羅への投降を考えていたのでござる。周留城に新羅兵を引き入れんと画策していたのでござるよ。この城を手土産に新羅で貴族に遇される肚積もりだったと見える」
「それはまことか」
「この福信が自ら道琛を斬った、それが何よりの証拠でござろう」
およそ滅茶苦茶な論法だった。

白村江 p446~447

でもって、この老害将軍・福信も斬った側に恨まれて暗殺されちゃって、そして誰もいなくなった状態になります。

中内ダイエーもそうです。疑心暗鬼にとらわれて、自分を脅かすほど有能なる部下を斬って斬って斬りすてました。そして、残ったのは息子とイエスマンだけというお寒い状況になってしまうのです。

でも、冷静に考えたら東証1部上場で従業員2万人を超える大企業を運営していくには、経営者をかためる有能な人材が不可欠になります。息子が継ぐにしたって、有能な将校および士官は不可欠です。なのに、中内パパはその有能な人間を片っ端から粛清していったのです。よろしい、シベリア送りだ。

長男・潤氏だって、自分の力だけじゃやってけないってわかっていたのです。

「後ろにだれもいないという経験はないので、正直いって自信はありません。後ろに誰かいるというだけで、心の安定感が全然違うんです」

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈下〉 p194

いつまでも偉大なる父が支えてくれるわけじゃない。自分が継いだとしても、有能なる片腕がいないと組織は機能しない。なのに、パパは無情にも有能なる人材をバッサバッサなぎ倒していくわけで――

私は中内に後継者問題についてたずねた。(中略)
「本当のことをいえば自分の息子は継がせんほうが楽なんです。しかし、これだけ借金の多い企業の跡を継いでくれるものは誰もおらんわな。息子に生まれたから仕方なくやってるわけで、僕が彼の立場になれば、アメリカにでも行って学者になったほうが気楽でええわ。親父がこれだけやった借金と事業は息子に生まれた者の宿命としてこれを継いでいかんとしょうがないわな」

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈下〉 p194

……
……えっと
…………あー、毒親?(語彙力)

よい品をどんどん安く売る、という明快で直截な中内ダイエーのコンセプトは、貧しさからの脱却を希求していた高度成長期の消費者にとって確かに魅力的なものだった。

だが、その魅力が長続きしなかったのはなぜなのか。私の目には中内ダイエーがのたうつ姿におのれの体があまりに巨大化したがゆえに、絶滅に向かわざるをえなかった恐竜の姿が重なった。

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈下〉 p3376~337

栄華を極めた巨大企業・ダイエーが、今日ここまでの落日を見ることになったのは自然の理とも言えます。易経でいうなら、成功を手にした飛龍は陰徳をつまねば、おごりたかぶった亢龍にならざるを得ないということです。

易経は、すべての事象は春夏秋冬にたとえられる自然の法則に従って変化し、循環していくといいます。これが古代から現代まで変わらない周知の原理原則です。言い換えれば、世の中の道理、仕組みなのです。リーダーはこの天の働きと循環にならって、役割を行いなさいと教えています。

超訳 易経 陽―乾為天 p133

中内氏は、途中までは立派に天の理を体現していました。春夏秋冬の秋までは、見事に流れにそっていたのです。しかし、冬で流れに逆らってしまった。秋から冬に移行するのに、逆らおうとした。いつまでも実りを味わおうとしてしまった貪欲さが、ダイエーの、ひいては一族の凋落を引き起こしてしまいました。

そう、まさに三分法の牽牛-天印まではOKだったんだけど、鳳閣-天南で星から外れちゃったんだよ~…、って算命学ではリピータールームで考察するって言ったばかりですね。うん。そちらでやりますね。

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