人はどこまで変われるのか~内気な文学青年が、オラオラ経営者になるまで

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よく「人は根本的には変わらないよ」といいます。
浮気性の人は一生浮気性だし、バクチ好きも一生変わらない。そんなことを言ったりします。

しかし一方で、ガラッとビックリするくらい変わってしまう人、というのも世の中にはいるものです。スピリチュアルにいうんだったら、まあウォークインとか、ねぇ。

さて、ここに一人の青年がいます。

すさんだ戦争の世でも柔らかな心を失わず、仲間とともに和歌を詠む。
マルクスやゲーテを読み、ひそかに理想の世に胸を熱くする。
軍事訓練を嫌い、暴力的な教官から逃げまわる哲学青年。

こんなフレーズから、あなたはどんな人物を想像したでしょうか。
のちに大企業ダイエーを作り、大きな栄華と失墜を見せた故・中内㓛。まるで平家物語のような盛者必衰の理を鮮やかに現代へと映し出した中内氏は、上に書いたような内気で繊細な文学青年でした。

哲学青年の柔らかな感性

中内氏は、神戸高商(今の神戸商大)を卒業したときの色紙に「ポキリと折れる神経の持ち主になりたい」といった意味のことを書いたそうです。のちに経営者として辣腕を振るうオラオラ人間の影も形もありません。

野村全は、学生時代の中内については、校庭の木の下に寝ころんで哲学の本ばかり読んでいるおとなしい男という仲間うちの話を耳にしたことがある程度で、ほとんど顔もおぼえていない、といったあと、そういえばこんな噂を耳にしたことがあると、当時の記憶をよみがえらせた。

「高商の二年か三年の頃、中内がゲーテの『ファウスト』を原書で読みはじめたという噂を聞いたことがあります。中内という男をはじめて意識したのは、たぶんそのときです。僕も第二外国語はドイツ語をとっていましたが、授業はわずか週二回でした。そんな程度の語学力で、あの難解なうえに大長編の『ファウスト』に挑む男がいるというんですから、素直にすごいなあって思ったわけです。

もっとも、二、三年前、同窓会で中内に会ったとき、あのときのことをたずねたら、あの計画はすぐに挫折した、と苦笑しながらいっていました」

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」<上> p127

原書で読むことには挫折したそうですが、それでも中内氏は卒業アルバムに哲学青年としての片鱗を見せています。

中内はここでもゲーテの『ファウスト』を原文で引用している。引用している箇所は、悲劇第一部の「夜」の冒頭で、原文では

<Habe nun, ach! Philosophie,
Juristerei und Medizin,
Und leider auch Theologie
Durchaus studiert, mit heißem Bemühn.
Da steh ich nun, ich armer Tor!
Und bin so klug als wie zuvor!>
となっている。日本語訳を手塚富雄役で示せば、
<ああ、おれは哲学も
法学も医学も、
いまいましいことには、役に立たぬ神学まで
骨を折って、底の底まで研究した。
そのあげくがこのあわれな愚かなおれだ。
以前にくらべて、もっと賢くなってはいない>
となる。

中内はこれをもじって、二行目の「法学も医学も」というかわりに、Religionphilosophie(宗教哲学)、Rechtsphilosophie(法哲学)、Kurturphilosophie(文化哲学)、Geschichtesphilosophie(歴史哲学)というふうに哲学の種類をいくつか並べ、さらに、
Kunst(芸術)、Ökonomie(経済学)、Literatur(文学)
まで、挿入している。

つまり中内は、神戸高商で努力して学んだ様々な哲学も、芸術も経済学も文学も、いずれ戦地に赴かされる自分にとっては、まったくに役に立たなかったと痛烈な皮肉をこめて書きつけているのである。

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」<上> p129~130

柔らかな自分の感性と、荒々しい戦時体制をしく現実との乖離。
みずみずしい感性をもった青年に、この相反する矛盾はどれだけの懊悩や歪みをもたらしたのでしょうか。

しかしそんなセンチメンタルな感傷に浸っている余裕はありません。
中内氏は軍隊へと招集され、極寒の中国-ソ連国境、そして南方フィリピンの激戦地へと送りこまれます。

自分の肉を仲間に食われるかもしれない~極限体験

太平洋戦争の南方戦線は、苛烈を極めました。
実は、私の大叔父もここで亡くなっています。

しかも、ここで亡くなった方々は戦闘で死んだのではなく飢えて死んだ人のほうが多いのです。
補給と兵站。一番大切な基礎を旧日本軍はおざなりにしました。

この戦争で特徴的なことは、日本軍の戦没者の過半数が戦闘行動による死者、いわゆる名誉の戦死ではなく、餓死であったという事実である。

「靖国の英霊」の実態は、華々しい戦闘の中での名誉の戦死ではなく、飢餓地獄の中での野垂れ死にだったのである。(中略)

戦死よりも戦病死の方が多い。それが一局面の特殊な状況でなく、戦場の全体にわたって発生したことが、この戦争の特徴であり、そこに何よりも日本軍の特質をみることができる。

餓死(うえじに)した英霊たち 

中内氏はフィリピンの激戦地、リンガエン湾に配属されます。

フィリピンの戦い (1944-1945年) - Wikipedia

お腹と背中がくっつきそうなくらいに、空腹つづきの毎日。そんな中、アメリカ軍偵察の任務を中内軍曹はこなします。すると、アメリカ兵は食後のアイスクリームを作っていたのです。デザートですよ、デザート!

スィーツは別腹というように、実は食事にあってもなくてもいいものです。主食や副食のように必須のものではない。そのあってもなくてもいいものすら戦地にもちこめるくらい、アメリカの物量は豊かだったのです。

豊かなアメリカ軍は軍事的にも圧倒的優位に立っていました。23万のアメリカ軍に対して、日本軍は1万ちょっとです。ムリゲーです。死にます。実際日本軍の約80%が死にました。生き残った5人に1人。中内氏はそんな過酷なサバイバーなのです。

飢えによって、仲間は次々に死んでいきました。

日本兵の死体は、不思議とお尻がえぐられている。中内氏はそれを見てはじめはウジが食ったのだろうと思ったそうです。でも、ウジが食べたとしたなら、もっと表面から均等に肉が減るはず。だけど現実には、不自然に尻肉だけがえぐられている――。

そう、つまり、日本兵が日本兵の死体を食っていたわけです。地獄です。

明日は我が身。
仲間と一緒にいて先に眠ったら、殺されて食われるんじゃないか。でも眠らないと衰弱して死んでしまう。仲間を信じて、眠るしかない。

そんな極限状態の中でアメリカ軍に突撃したとき、運悪く手りゅう弾に当たりそうになります。そのとき走馬灯のようによぎったのが、神戸の実家で食べたすき焼きのにおいだった――中内軍曹が死に臨して心から求めたのは、天皇でも母でもなく、すき焼きだったのです。

腹いっぱいに食いたい。
柔らかな哲学青年の心は、過酷な戦争体験によって、あまりにもドラスティックに精神世界から物質世界へとスイッチが入れかわりました。

あのジャングルの中で水につかって腐って死んでいった戦友たちのことを考えたら、後ろめたいところがある。われわれはそれに対し何かのペイをしなければいけないんだ。ぼくにはいつも借りを返したいという気持ちがある

小野田少尉とわれら大正世代の三十年「現代」七四年五月号

情にもろくすぐ涙を流す人情家の中内も本当の中内ならば、尽くしに尽くした人を容赦なく斬り捨てる非情の中内も本当の中内である。私はそのどちらか一方が、かりそめの中内の姿だとは思わない。

眠ればいつ同僚兵士に殺され自分の肉体を貪り食われるかわからないフィリピン戦の飢餓線上で、中内は同僚を信頼して眠りについたという。

人間不信の中に人間信頼があり、人間信頼の中に人間不信がある。中内の底知れぬ虚無感とそれをつきぬけた楽天性は、間違いなくこの気の狂うような極限の体験が生み出したものだった。

中内の内面は二重底、三重底である。
その奥底に一体何がひそんでいるかは、おそらく本人にもしかとはわからないのかもしれない。中内のカリスマ性といわれるものも、その目がくらむような落差それ自体の中にうまれているのだろう。

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」<上> p402

いじめられっ子がいじめっ子に変わるとき

中内青年のパーソナリティを見て、あなたはこう思いませんでしたか。
「スクールカースト下位のThe陰キャラだな」

あからさまにクラスから浮いちゃう意識高い系のいじめられっ子って感じがしませんか。
どうみても男社会になじめないタイプでしょう。実際、軍事訓練の教官には目をつけられてしごかれていたそうですし、軍隊の中でもいじめに遭っていたそうです。

そんな底辺陰キャが、企業のトップに君臨するオラオラ経営者になる。
一体これはどういったことなのでしょう。

小さな頃にいじめられていた人が社会に出てからリーダーになる。実はこれ、そこまで珍しい現象でもないんですよね。

実は弱い人ほど差別を好むのです。学校のいじめをみれば分かるように、本当に強い子はいじめのグループに入りません。また、いじめっ子が大人になると大成しないことも世界的な傾向だそうです。

差別が全部悪いとは限らない: 宋文洲のメルマガの読者広場

私はなぜいじめと縁があるのか~スピリチュアル的な理由で、以下のように書きました。

こういったらまた怒られるかもしれませんが、いじめというのはやる側もやられる側も心の弱さがあります。ここでいう心が弱いとは、「自分の攻撃性をうまくコントロールできない」という弱さです。

いじめる側は攻撃性が強すぎる。
いじめられる側は攻撃性が弱すぎる。
つまり、どちらもバランスを欠いているのです。

いじめをする側とされる側はコインの裏表です。
いじめていた側が何かの拍子でいじめられる側に転落するということは、特に珍しいことではありません。

そして学校生活や職場や家族間で長い間いじめを受けてきた人が、ある日豹変して傷害事件を起こすだなんてことも、(あってはいけないことですが)たびたび耳にします。

いじめられていた側がいじめる側になるって、実は珍しくないんです。
親に虐待された子が大人になって自分の子を虐待する、虐待の連鎖が典型例です。親からいじめ方(虐待)を教わってきたから、いじめる側もできるんです。

家庭で親から虐待を受けている子が、クラスで自分より弱そうな子をいじめるというのも良くある話です。上司からのパワハラでストレスをためた夫が妻に暴力をふるうなんてのも同じ構図です。

一人の人間がいじめられる側であり、いじめる側でもあるのです。まさにコインの表と裏。見える面が違うだけで、コインはコイン。

実は、いじめをする人もいじめられる人も、かなり攻撃性が強い人なんです。それが外に出るといじめっ子になり、内にこもるといじめられる側に回ります。

「同じ波動」だから惹きあって、いじめをする側といじめられる側に二分化するだけなのです。二元性を越えて見るならば、両者ともに「攻撃性を上手くコントロールできていない」という課題があるのです。

中内氏にはウエテル(上田照雄)という腹心がいました。
ヒョロヒョロしたやせっぽちの中内氏の隣に、レスラーのように屈強なウエテルが守護神のようににらみをきかせていたわけです。

中内を長年みてきて直感的に感じることだが、中内は自分より屈強に見える男を従えて歩くのが好きである。それが、人知れぬコンプレックスゆえなのか、それとも人並み外れて強い支配欲ゆえなのかはわからない。だが、中内の周りに、”主君”のためなら馬前に討ち死にするのも辞さないという屈強で心強い”忠臣”が、少なくとも十数年前まで必ず付き添っていたことは確かである。

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」<上> p267

これを読んで、私は「ヒトラーやん!」と叫びました。

ヒトラーも元はといえば陰キャラニートで、劣等感の塊でした。チビで体格も良くない。そして、権力者になったヒトラーは、長身の美青年を親衛隊として従えたのです。HUGO BOSSデザインのスタイリッシュな黒の軍服に身を包んだ、美青年を。

ヒトラーの例を挙げるまでもなく、いじめられていた側がいじめる側に回ると、通常よりもエグイ加虐行為が行われるケースがあります。なぜなら、自分がいじめられていたがゆえに、どう攻撃すれば相手にとって痛手なのかを熟知しているからです。

経営者となった中内氏もその例にもれず、「敵」を徹底的に叩きました。

これは、ビジネスの世界ではけして悪ではありません。むしろ、成長のためにプラスに働くことすらあります。ダイエーが一時は栄華を極めた大企業になったのも、中内氏の攻撃性がプラスに働いていたことの証左でしょう。

しかし、それは悲惨な兄弟の骨肉の争いにもつながりました。

中内氏は男4人兄弟。
自分以外の弟三人は大卒。
自分だけ、高卒。長男である自分だけ、大学受験に失敗したのです。

弟たちは、実際に優秀でした。
小さな頃から秀才の誉れ高かった努力家の次男・博。直感派の自分とは違って理論派の四男・力。

中内氏は、まず博氏とたもとを分かち、初期ダイエーを築き上げる原動力にもなった力氏とも「争族」を演じます。父の心配をよそに、兄弟はバラバラになってしまったのです。

神戸ポートピアホテルの一番奥まったところにある広い社長室で、私は力に、最後の質問をした。

お兄さんの中内さんはその後も、西神オリエンタルホテル、神戸メリケンパークオリエンタルホテルとホテル事業を急速に展開中ですね。それは私の目には、どうしても中内氏が力さんを包囲網の中に追い込んでいるように見えるんですが、というと、力は突然、目の前で号泣した。

「私ももう六十六です。本当は兄弟仲良くやりたいんです……」

しぼりだすような声でそれだけいうと、力はまた大声をあげて泣いた。
私も思いもかけなかったその姿に、中内兄弟の血の宿業の深さと、事業を発展させつづけるということの残酷さを、戦慄するような思いで感じていた。

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」<上> p462~463

亢龍になってはいけない。
中内氏の生きた道をたどると、やはりこの戒めにたどりつきます。

生前の中内氏は、売り上げがすべてを癒すと言いました。
それは一面では確かに真実です。しかし、売り上げだけで、数字だけで、人は本当に幸せになれるのでしょうか?

成長という言葉は、いつも美辞麗句としてもてはやされます。
中内氏は一生ポジティブに成長しつづけようと拡大路線をやめなかった人です。その結果はダイエー帝国の崩壊と兄弟の決裂でした。

私たちは中内氏の人生から学ぶことができます。
さて、あなたの人生において、一番大切なことは何ですか?

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