「ワンランク上の自分軸」を確立するアラフィフ木星期(46~55歳)

人生:スピリチュアルブログ

木星期というのはホロスコープでいう「木星のエネルギーを重点的に使いこなしていく時期」になります。年齢でいうと木星期は46~55歳になります。

孔子は「四十にして惑わず、五十にして天命を知る」と言いました。
それが現実にできるかどうかはなかなか難しい問題かもしれません。しかし、「その通りに生きられたら素晴らしいなあ」という指針として実に見事なんです。

自分個人としては、木星期や土星期が「自分のもの」としてリアルに感じられるようになってきた今。惑わず天命を知る過程にいる今。

あの妙な違和感の正体が見えてきた気がします。
「ああ、そうか。お母さんは私にすがりたかったのか」と。
母は、惑って道を知らずにいたのだ――と。

子離れすべき時期に子育て依存しようとした母の悲劇

私は20代後半の頃母に「結婚しなさい!」と言われたことをきっかけに、親との縁を切りました。

「いやいや、結婚しろって言われたくらいで絶縁とかどういうこと」と思われますよね。きっかけがそれだった、コップの水があふれる最後の一滴が「結婚しなさい!子どもを産みなさい!」という言葉だった、ということです。

それまでに、まあ、四半世紀、いろいろいろいろいろいろと蓄積していたわけです。そこが「結婚しなさい、子供産みなさい」の一言で全部ガラガラと関係が崩れちゃった、という感じですね。

Nozomi
Nozomi

わたし、仕事辞めるわ
退職届ももう出したから

母

はっ!?何言ってるの!?
仕事辞めてどうするの!

Nozomi
Nozomi

スピリチュアルカウンセラーになるの

母

何言ってるの
そんなことやる前に
まず結婚しなさい!!

Nozomi
Nozomi

いや、結婚はまだいいわよ

母

そんなわけにはいかないの!
スピリチュアルカウンセラーになるってなら
結婚して子どもを産んでからにしなさい!

Nozomi
Nozomi

お母さん、わたしは結婚は今考えていないのよ

母

お母さんはあなたに幸せになってもらいたくて言ってるのよ
結婚しなさい。

結婚しなかったら●●叔母さん(親戚の独身女性)みたいになるのよ!?叔母さんみたいになったら人生終わりでしょう!!

Nozomi
Nozomi

お母さん。
私は結婚していない状態で十分に幸せなのよ

●●叔母さんだって、お母さんにはわからない信仰の幸せ(叔母はクリスチャン)を感じているかもしれないじゃない

母

まあ、 あなたは世間知らずだからわかってないのね
女は 結婚してはじめて幸せになれる生き物なのよ

Nozomi
Nozomi

お母さん、わたしは結婚しなくても幸せになれるのよ
わたしの幸せを決めるのはわたしの心なの

母

いいえ。あなたは間違っていますよ
女の幸せは結婚と出産と決まっているんです

とにかく、仕事をやめるというならば結婚して子どもを産みなさい
幸せになりなさい。いいわね

夢を叶えようとする娘に、母は「それより結婚出産!!」と押しつけたわけです。
その言葉に、色々たまっていた私の心は砕け散ってしまいました。

ここでね、パートナーと非常に良好な関係を作ってきた人が

結婚って本当に良いものよ
お母さんはあなたに幸せになってもらいたいの

といったなら、「そうか、やっぱり結婚しておいたほうがいいのかもなあ。だって、お母さんはお父さんといて本当に幸せそうだもんなあ」って思います。

しかし、母は娘に対して夫の愚痴をエンドレスで垂れ流す人でした。

私は結婚したくなかったのに
名字だって変わりたくなかった
しょうがなく結婚しただけ

お父さんはぁ~公務員だからリストラされないで済んでるだけ!
あの人が民間企業にお勤めだったらあっというまに首切られて今頃無職よぉ~!本当にあの人ってば無能だもの!

お父さんだったら、なんであんなに男らしくないのかしら!
細かいことでウジウジ悩んで、神経質だからこそ胃が弱いのよ。すぐ体調を崩して、全く情けない!!

体の弱い人間って、心も弱くてダメね!

こんな夫の愚痴を四半世紀にわたって言い続けた人に「女の幸せは結婚」と言われても、説得力は、まあ~無いですよね。難しい。

でもね、それだけじゃなかったんですよ。
なんか、この母の「結婚しなさい、子供を生みなさい」という言葉には、変な「気持ち悪さ」があったんです。

この話の少し前、付き合っていた男性と婚約していたことがありました。見事婚約破棄されてしまったんですけれども、その時の母の態度も相当違和感のあるものだったんですよね。

大丈夫!
孫は私が育てるわね!

娘をあちらの家にやるだなんて思ってないわよ!

あなたは結婚したってずーっといつまでも私の娘なんですからね!

字面だけ見ると、いいお母さんかもしれません。
でも、なんか、私にはメチャクチャ違和感があったんです。
「お母さん?どうしたの?なんかおかしい」と。

思えば、私は母に彼氏を紹介したのはそれがはじめてでした。20代後半になって、はじめて!
なんか、紹介できなかったんですよ。というか、自分が恋愛をしていることすらひた隠しにしていました。恋愛している自分の姿は、母には受け入れてもらえないと本能的に察知していたんです。

結婚することになって彼を母に紹介したときも、違和感がありました。彼と結婚話が流れて、また別の男性を紹介したときも、違和感がありました。

まあ、〇大院卒?
お勤めは?へえ公務員?
そう、別にいいんじゃないの?

なんなんだろう、この違和感。
言葉にできないけど、何かがおかしい。

私は「なにか」を感じとっていたのです。

若い頃の野際陽子

母は若い頃、超絶美人でした。
野際陽子に似ていると良く言われたそうです。

加齢というものは、美人にほど過酷なものでしょう。
何の努力もせずにありのままでいるだけで美しかった。それが失われていくのです。何も悪いことはしていないのに、時間が経つというだけで。

母は、正直コミュニケーション能力が低いので女子コミュニティで上手くやっていけるタイプではありません。プライドが高く人を見下しますから、同年代の男子とも上手くいきません。

お勤めして年上の男からちやほやされる環境は、母にとってまさに天国だったでしょう。でも、それは「腰かけ」だからこそ許されることであって、若さが失われたら御役御免の「行き遅れ」になるだけです。

美貌が失われ、チヤホヤしてくれていた男たちも老いた自分には見向きもしなくなり、子どもは自分の道へと巣立っていく。

自分を必要としてくれる人は、見下していた夫だけ。

母は、そんな人生に耐えられなかったのでしょう。
だから娘の結婚出産によって「第二の人生」を生き直したかった。

でも、それには娘の夫は邪魔になります。
いつまでも自分を必要としてくれる娘でなければならないので、娘が夫と愛し合っていてはいけません。

だから、母は、どんな男を連れてきても不機嫌そうだったのでしょう。恋人と愛し合う娘に嫉妬していたのです。自分は夫を見下していましたから。

40代、50代になってくると同年代の女性のリアルな声を聞くようになります。
「子どもの手が離れたけど、今まで子育て中心に生きてきたからどうしていいかわからない」「子離れしなきゃならないのは分かってるけど、さびしくて泣きたくなる」

母も、多分そうだったのだろうなと思います。
自分の居場所を「子育て」に求めていた人でしたから。

だから、娘が育ってしまった後、孫を育てることで自分の居場所「子育て」を確保しようとしたのでしょう。
それが、私には違和感にうつったのです。

木星期では、オラオラな火星期とは180度うってかわって、人格の成熟に取組んでいく時期となります。ちっぽけな自我から脱皮して、おおらかで寛容、より大きな視野で生きていくことがテーマになります。

それは、死への準備の第一段階です。
火星期で物質的な世界への成就を完成させ、木星期では物質性を少しずつ手放していく――そういう時です。

だから、老いが顕著になります。男はわかりやすくハゲてくるし、女もシワシワタルタルブルドッグフェイスになっていきます。
でも、だからこそ「もう肉体(物質)にのめり込む段階ではないのだな」ということを実感できるのです。肉体は意味のないことはしません。

そうやって「もう肉体に執着してもダメなのだなあ~」というあきらめを受け入れる。その木星期をうまく過ごすことができると、老いが楽しくなってきます。だって、それは物質性からの解放を示すのだから!

物質世界って、マヂキツイっすよぉ~。だって、制限ハンパないもん!精神世界っていつまでも自由なんです。羽ばたけるんです。

でも、物質性にこだわってると、なかなか精神世界の価値に気づけない。物質性に失望してはじめて、見えてくる世界がある。それがアラフィフからの木星期なんですね。

そこで物質性に執着しちゃうと――闇を見ます。母のように。

母は、「四十にして惑わず、五十にして天命を知る」その道を外れてしまったのでしょう。いつまでも子育てや娘の孫育てに乗っかろうとしてはいけない。それに気づけず、しがみつこうとしつづけてしまった。

居場所を「子育て」に求め続けてしまった。
それしか自分の人生にはなかったから。
悲しい生きかたですね……。

でも、「年を取ったから新しいことはできない」ではなく「今の年齢になったからこそのチャレンジ」って大事。70になろうが80になろうが大事。

母は「子育て」に生きがいを求めるのではなく、別の「自分軸」を見つけなければならなかったのです。それこそ「本当の自分」を。

「いつまでも20歳の頃の心を忘れてません!」とかおっしゃる方もいますけど、それだと、やっぱり50過ぎたらキツイんですよね……。ひどい場合は人生が絶望になっちゃいかねない。

物質性を手放し、視野を広げていく。
常識や固定観念に縛られた自分を卒業する。
それでこそ、アラフィフ木星期の人は人生に救いや希望を見出すことができます。

木星は宗教性を示す射手座の守護星でもあります。
古典占星術ではスピリチュアリティの魚座も木星が守護星でした。

つまり、木星期にスピリチュアルなエネルギーにふれることは、迷いを断ち切り本当の道を知るために、得難い助けとなってくれるのです。
木星期のあなたはスピリチュアルな視点、大事にしてくださいね。

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