これからは風の時代、水瓶座の時代って言いますよね。
でも、そもそも、水瓶座ってどういう特徴のサインなんでしょう?
この記事では風の時代を迎えるにあたって、水瓶座のおさらい、見つめ直しをしてみます。
水瓶座の時代って、どんな時代?何が起こる?
私にとって、「水瓶座の時代」で思い浮かぶのはシュタイナーの講演録です。
水瓶座の時代を語っている人はたくさんいらっしゃいますが、私にはシュタイナーの印象が強いんですね。
多分、アトランティス、ポストアトランティス時代を含めて蟹座の時代あたりからずーっと一連の流れを解説しているから、印象が強いのでしょう。水瓶座だけをピックアップして語るのではなく、アトランティス時代から現代までを俯瞰する。だからこそ、より水瓶座の時代の特徴を深く理解することができると感じます。
魚座の時代がふたたび巡ってきて以来、人間は分解・解消の危機にさらされています。水瓶座の時代になると、この解消はさらに進展します。その時人間は精神とのつながりを持たないと、世界との関係も持てなくなります。このような時代ゆえに、人間は精神界に入っていかねばならないのです。
星と人間[新装版]精神科学と天体 p78
これは実感として理解できる方が多いのではないでしょうか。
私も「精神世界(目に見えないもの)を否定してしまうと、こんなに人生は暗闇になるのか」ということを痛感したことがありました。西部邁さんの著書自死についてを読み、西部さんの死に方について思いを巡らせたとき、その昏さにゾッとしたのです。
西部さんは目に見えない世界、死後の世界全否定の人です。大変頭脳明晰で学歴もあり、社会的にも多くの人に薫陶を与える人でした。そんな立派な人が精神世界の欠如により、あんな救いのない内面世界を抱えて晩年を送らねばならなかったなんて……。大変心が痛みます。
ですから、スピリチュアルって、大事だよを書きました。
死後がないと思う人は絶望に支配されている?
松村潔 死後を生きる 第一章 死後の世界を信じる人は救われる?
わたしは、死後の世界があると思う場合と、死後の世界は存在しないと思う場合とでは、人生の過ごし方が、大きく違ってしまうと思っている。
死後は存在しないと考えている人たちには強い否定性が潜んでいると感じることが多いのだ。常に何か暴力のようなものを隠し持っているようにも見える。
ただし実際には、言葉の上では人間には死後の世界は存在しないと話している人でも、本心ではそう思っていない人が多いのではないかと思う。葬式で、自分も後から行くから待っていてくれというようなことを言う人は、本気でそう思っていることが多いのではないだろうか。
日本では、昔から死を超えた世界があることを普通に受け止められていた時代が長く、それが明治の時代以後持ち込まれた合理的な科学観によって否定されたとしても、心理面今でその影響が及んでいるわけではないように思う。
私がここで否定性に支配されているというのは、根底的なところで、人間は死んだら何も残らないと考える人々のことである。
どんなものも終わる、決して何ものも続かない。何をしても最終的には何も残らない。「こんにちの世界観は絶望の上に打ち建てられる」(バートランド・ラッセル)
バートランド・ラッセルらしいが、死後の世界がないと思うことは、根本的に絶望に支配されることを意味する。最後はすべてを失う。子孫に託すといっても、子孫は自分ではない。ある時期が来ると、どんなに努力して手に入れたものも失われる。そうした考えに至ると、何事にもじっくり本気で取り組む気にはなれないのではないか。
水瓶座の時代では、死後を信じる人――精神世界をもち魂とつながっていける人と、そうでない人では世界観がまるっきり変わってしまうようになるのではないでしょうか。
やはり、目に見えないもの、目に見えない世界を実感できることがこれからの世界を幸せに生きていく鍵である気がします。シュタイナーが「このような時代ゆえに、人間は精神界に入っていかねばならない」と述べたように。
そしてその方法は、魚座的情緒ある(感情に訴える)手法ではなく、水瓶座的理性あるアプローチが好ましいのではないかと考えます。つまり、量子力学的なアプローチで目に見えない世界をより深く理解していくことが、これからの時代にふさわしいのではないでしょうか。
そもそも、水瓶座ってどういうサインなの?
シュタイナーは、12サインのシンボルについて以下のように述べます。
太初の認識は人間学を、本能的な透視によって、黄道十二宮の象徴のなかに壮大な方法で組みこみました。
今日の科学は、牡羊座をまじまじと眺めながらも、「牡羊座において重要なのは、牡羊が振り返っていることだ」ということを知りません。牡牛座をまじまじと眺めながらも、「本質的なのは、牡牛が飛び跳ねて、横を見ていることだ」ということを知りません。双子座の場合は、手を伸ばして、手で自分に触れていることが重要です。
非常に深淵で意味深い身振りが、黄道十二宮の象徴のなかに見られます。
獅子座は身振りが重要なのではありません。獅子は心臓の鼓動が強いので、象徴として選ばれました。つまり、「満たすもの」が獅子座に表示されているのです。このようにして、人間は古代の叡智を自分自身のなかに見出し、その叡智をふたたび取り出すことができます。
星と人間[新装版]精神科学と天体 p83~84
このように、12サインの図柄には重大な意味が象徴として描かれているのだというのです。ならば、この風の時代を象徴する重大なる水瓶座――水瓶座の図は何を示しているのでしょう?
水瓶座の伝統的な図は、上のようなものになります。
この星座の名前はラテン語の水瓶からきています。古代バビロニアの石碑に、壺から水を注ぐ少年が刻まれていたのが起源となります。このことにはじめてふれたのは、プトレマイオスです。
Aquarius Constellation Facts(英語)
水瓶座の絵を見ると、印象的なのは「ドゥッバァーーーー!!!」と豪快にぶちまけられる水です。いや、そんな風にさかさまにしたら、水、一瞬で無くなるやろ。ってツッコミ入れたくなるんですけど、大抵の絵の中の水瓶少年は涼やかなる顔でぶちまけやがります。さすがクールな風のサイン。
そして、水も水です。
こんだけぶちまけられているというのに、全然尽きる気配がない。そもそもその水瓶の容量だったら「やめて!とっくのとうにライフはゼロよ!」となるはずなのに、平然と出続ける、水。えっ、もしかして、この水瓶ってドラえもんの秘密道具的何か???
しかも絵付きの星図を見ると、この水は南の魚座の頭にぶっかけられています。物によっては魚がグビグビと水を飲みまくっております。カオス。
延々と無粋なツッコミをしてまいりました。言い換えると、物質世界的にはツッコミ満載の絵だということです。つまり、これは物質世界のリアルな事柄を書いているわけではない――シンボルなのです。
あとからあとから尽きぬことなく水が湧いてくる無限の水瓶。これをシンボルとして見ると、宇宙エネルギーととらえることができます。
物質エネルギーではこうはいきません。水は水瓶の物理的容量を超えてまであふれ出すことはできません。相当大きな水瓶ですら、図のようにブチまけたら1秒で水は尽きます。バッシャーン!!
そもそも「水瓶座って水が関連しているのに何で風のサインなんだ。水だろ」というツッコミもかなり昔からあります。しかし、水瓶の中からあふれ出す物質はリアル水ではなく象徴としての水、つまり宇宙エネルギーだとするならば、水瓶が水のサインではなくても不自然ではないでしょう。
そして水瓶からあふれ出る水にまつわるミステリが一つあります。
1.アトラスに描かれる水瓶座
図1は、何十年も前に描いたものです。プトレマイオスは水瓶座に出てくる壺から現れる二つの水流については言及しませんでした。事実、壺の存在にすらふれてないのです。他の古代の言い伝えを参考にして、二つの流れは書きこまれるようになりました。エジプトのデンデラにあるハトホル神殿の星図から水瓶座の原型を見ることができます。この図には明確に二つの水流が見られます(図2)。
私はつい先週アトラスによる記述を読み返したのですが、アトラスによる二つの水流の描写はプトレマイオスのものよりもより長いことは明らかでした。
「アクエリアス」という名前は、ラテン語です。ギリシア語では「ヒュドロコウス」といいました。そこから考えるに、アトラスの描写によって水流が描かれることになり、水瓶によって注ぎ込まれるようになったのではないでしょうか。他の星々は、天の鯨座と魚座の間に高く掲げられた水瓶の下にまばらにあります。ほの暗く名前もない星々は、輝ける水瓶を持つ右手の近くにあり、こぼれおちる水のようです。星の輝きは弱々しいものです。しかしながら、その間には付かず離れずのもっと光沢ある星も二つあります。一つは水瓶座の足のところに輝いて、もう一つは鯨座のダークブルーの尻尾の元にあります。少年をとりかこむ星々を水に見立てているのです。
アトラスはこのように、水瓶座の右手からあふれだす水は大部分が暗い星々からできていると言います。二つの明るい星々はお互いに遠く離れているのです。一つは水瓶座の少年の足元に、もう一つは鯨座(海の怪獣)の尻尾の下に。
プトレマイオスの表現する水瓶座では、右の水流の終わりを示す星はアトラスが考えていたものと明らかに一致しています。図1を見てください。アトラスの描写通り、水瓶座の足の下方に輝く一等星があります。これはみなみのうお座のアルファ星であるフォーマルハウトです。フォーマルハウトは4つある王家の星の一つ、または天の4つの角の一つとして知られています。プトレマイオスはフォーマルハウトを水瓶座の右の水流の終わりとも、みなみの魚座の頭とも、両方を兼ねると見なしました。図1は水瓶座に焦点を当てたものなので、魚は描いていません。
もう一度、図1を見てください。左の水流の終わりは水瓶座のオメガ星となっています。明るくもなく、鯨座の尻尾の下のあたりにあるわけでもありません。つまり、左の水流は誰かによって省略されてしまったというヒントになるのです。
2.水瓶座から消し去られた星々の謎
さて、プトレマイオスの星図の話に戻りましょう。水瓶座付近にはたった3つの星しかありません。(4,5等星の)暗い3つの星は、小さな三角形を形成しています。現在の名称ではくじら座2番星、6番星、7番星になります(現在ではくじら座の一部として数えられています)。これら3つの星は、水瓶座オメガ星で終わると示されている図1の水流の延長方向にあります。プトレマイオスの星図で近くにある星座として挙げられている星々すべての研究結果から見るに、3つの星は水瓶座の消去された左の水流であった可能性があります。図3の青い円で示したところが、この3つの星になります。海獣の尾の上下の丸みの先端にある星々もあります。一番下にあるものはディフダという名前が付けられています。星図の制作者は、くじらの尾の場所を変えてプトレマイオスがくじら座と水瓶座の間に定めた3つの星をくじらの尾にしてしまうという相当自由な所業をなしとげました。こうして、3つの星は水瓶座からくじら座へと移動したのです。
しかし、左の水流の終わりにあると考えられているアトラスが言っていた明るい星とはなんなのでしょう? 実際にアトラスの記述無しですら存在していると考えられるのです。川座と呼ばれる星座があります(エリダヌス座、図3のくじら座の前方に見られる)。エリダヌス座は明るい星で始まり、終わっています。水瓶座の壺にある星は、2つの水流がはじまるところで輝いています。そして、右手の水流は大変明るい星、フォーマルハウトで終わっているのです。右の水流とエリダヌス座は始まりと終わりが明るい星になっています。だから、左の水流の終わりも明るい星で終わるだろうというパターンが読めてくるのです。
もし三角を描く3つの星を通して左の水流の延長線を考えるなら、くじら座の一番輝ける星の元へと流れていくと仮定できましょう。つまり、ディフダ――くじら座ベータ星です。プトレマイオスはディフダをくじら座の尾の南の先端であるとしています。アトラスが左の水流の終わりとして描写した明るい星であることは自明でありましょう。周辺に、他に候補になるような星もありません。ディフダはデネブ・カイトスとも呼ばれます。「くじらのしっぽ」という意味です。プトレマイオスが言及していた海獣の尾は多くの魚と同じように、(ふたまたに裂けて)2つの地点で終わります。ディフダは二股の尻尾の南の部分にある星となります。図3でも尻尾の先端にあるディフダを確認できます。
よって、水瓶座の左の水流の本来の終着点がディフダではないのかと推測されるわけです。2つの水流の終わりを示すというディフダとフォーマルハウトの間の古代のつながりを示す証拠として、古アラビア語で「ディフダ」は「かえる」を意味します。「2匹目のかえる」を省略した形です。対して、フォーマルハウトは「1匹目のかえる」という意味なのです。したがって、2つの星は古代アラビア文明から見ると互いに関連していると言えるのです。
The Forgotten Left Stream of Aquarius(英語)
無限の宇宙エネルギーというのは太極であり、二元性(陰陽)はありません。水瓶からわきでてくるものが宇宙エネルギーだとするならば、この三次元の二元性のある世界に存在するには分離する(陰陽にわかれる)ことになります。
水瓶の水流は、左と右、二つに分かれていました。ハトホル神殿での二つの流れが示すように、この世界では太陽と月、男と女、昼と夜、といった具合に二つに分かれねば存在できません。それを考えると、水の流れが二手に分かれたのは自然なことです。
なのに、左の水流は時とともに消されてしまった――。
二元性を超越して太極に戻るには、陰と陽を二つ揃えねばなりません。これでは、この世界に閉じ込められて輪廻してしまいます。アセンションできない。元の世界に戻れない。
しかも、左というのは女性性です。魚座の時代を経過することによって、女性性をどれだけ抑圧してきたのか、または取り戻すことができたのか。これが水瓶座時代において魂を解放できるかどうかの鍵となるでしょう。
文明によって消されてしまった女性性を取り戻すことができたのなら、この水瓶座の時代に二つの水流は明るい星の終着点へと流れ込むでしょう。すなわち、フォーマルハウトとディフダへ。そこは光に満ちた世界です。
なんだか非常に小難しいというか理屈っぽいというか、こねくり回しました。ある意味、実に風のサインらしい記事になりました。
私はネイタルに水瓶座の惑星、一つも無いので、感覚的に「水瓶座、わかる~」っていうのが無いんですよね。11ハウス(水瓶座のハウス)はモリモリ3つも惑星あるので、ハウス(現実の現象や環境)的にはなんとなくわかるんですが。
となると、やはり理論で組み立てていかないとつかみにくい。なので、理屈っぽくこねこねしました。パンか。