セックス依存症は死に至る病 ギャルだった私が見た陽キャの闇!
私は若いころ、ギャルでした。↑eggが愛読書でした。
高校生のころは茶髪で少し派手だった程度でしたが、大学に入ってガンメッシュとかドレッドとかになりました。いわゆる大学デビューですね。
少し話はずれますが、満員電車で通学していたにもかかわらず、高校大学時代は痴漢に遭ったことゼロでした。黒髪で地味な友達は被害にあったりしていました。やはり、痴漢は地味で文句言わなさそうな大人しめの子を狙うものなんですね。クソが!
ギャルコミュニティというのは、性に乱れた空間でもありました。
かなりチャラくて奔放で、薬やってる子なんかもいました。極端な例だと家で大麻育ててる人とかいました。
私自身はスーフリみたいなことはなかったですが、友達のサークルで性交大会になった話を聞いたりもしました。地元の友達(大体ヤンキー)と何人かで宅飲みして雑魚寝してたら、隣で友達と別の友達の弟がおっぱじめて「困ったなぁ」と思いつつ一生懸命狸寝入りしてた経験もあります。
私個人は、「好きな人相手じゃないとセックスなんてできない」というところがあったので、周りの奔放な性生活には少々ついていけませんでした。経験人数の少なさをバカにもされました。
いまだに「彼氏以外とセックスしたことない」というとゲイバーでも「マ○コにクモの巣はってんじゃん!さびしいババアねーっ!!」とバカにされます……。
でもね、格闘家の朝倉未来くんが「経験人数少ないほうがカッコイイって思ってる」って言ってて、メッチャ励まされた!!!
だよね、経験人数少ないほうが絶対人生幸せだよね!
愛ある人生送れるよね!! 私もそう思う!!!
未来くんありがとう!!!自信持てた!!!
「いや、セックスたくさんしてたって愛ある幸せな人生送れるでしょ」と思われたかもしれません。しかし、少なくとも、私の経験から実際に見てきた人たちからいうと、違うんです。
私の周りには「セックスこそが人生!やってナンボ!!」くらいの性行為に積極的な人が多かった。ビッチであることに肯定的な女子も多かった。なので、私も若いころはそういう人が「ポジティブ」なんだと思ってました。
しかし、アラサーやアラフォーになって、そういう人が気がついたら鬱になってたり自殺してたりしたんです。

そういえば
○○どうした?
元気?

アイツ、去年死んだよ

はっ!?

首つった
みたいな話が、もう、複数、ゴロゴロと、出てきたんです。
20代の頃は「セックスセックス!人生セックス!!」みたいな陽キャパリピだった人たちが、鬱になって死んでいく、もしくはセックスの快楽を極めようとするがあまりドラッグに溺れて(いわゆるキメセクの結果)廃人になる。
そんな例を、私は実地で見てきたんです。
「セックスにはまる人って、実は精神病んでる?」
「セックスに対して積極的って、実はポジティブとは違う?」
このおぼろげな疑問に答えをくれたのがこのマンガ、「セックス依存症になりました。」だったんです。
津島先生は摂食障害と性依存の類似点を指摘しています。
セックス依存症は食べ物依存症という言葉に似ている。とのことですが
— 津島隆太@『セックス依存症になりました。』 (@Tsm_Ryu) August 11, 2020
実は仰る通りです。
セックス依存症は過食症(摂食障害)に似ています。
摂食障害にも依存症治療が行われています。
過食症は食欲で食べているのではないと知っていれば
性依存症も性欲で行っているのではないと知る事ができます。 https://t.co/aNQqiw5zRL
セックスは、異常行動ではありません。
むしろ、生物として自然な行動です。
しかし、私が若いころ見てきたような「セックスこそが人生だ」「セックスをしない人間には価値がない」「セックスをしなきゃ生きてる意味がない」くらいの認知の歪みと共に性行動に耽溺する人は、明らかに精神的におかしい領域に入ってしまっているのです。
摂食障害もそこと似ていて、食事自体は当たり前の行為なのですが、極端にこだわりを持って行きすぎるとかえって精神と肉体の健康を損ねてしまう結果になります。
元々は異常ではない。でも、行き過ぎると依存(嗜癖行為)になってしまう。
私は若いころにセックスに対して異常に積極的だった人たちに対して、「それはちょっとおかしいんじゃないの」とくぎを刺すことをしてきませんでした。セックスがカッコ良くて当たり前みたいな風潮に流されていました。
でも、10年経って20年経って、うつ病と自殺者が続出した現実を見ると、若いころの違和感「好きじゃない人とセックスをするなんて、むしろ頭がおかしいんじゃない?」という健全なツッコミを入れておかなかった自分に後悔しています。
自分の感覚をちゃんと肯定することで、気づいてくれる、救える人がいたかもしれないのに。そこまで行かなくても、セックスに溺れすぎかも、自分はどこかおかしいのかもと少しは疑問に思ってくれる人もいたかもしれないのに——。
不倫をしている方で、セックス依存症を疑ってみて欲しい方は
— 津島隆太@『セックス依存症になりました。』 (@Tsm_Ryu) November 17, 2020
普段、鬱を抱えている人です。
鬱や不安にさいなまれていて、そこから一時的に逃れたくてセックスをしていたり
「その瞬間だけは生きている感覚がある」
となってくると
かなり重症なのではないかと個人的には思います。
私も同じです。
もうかつての仲間たちには遅いかもしれませんが、今書くことで、若い人に届いたり気づいてくれる人がいるかもしれません。
「私ビッチだし」と軽くいう子を「それも個人の自由だよね」と迎合して流すのは、むしろ無責任な行為であると、お恥ずかしながらこの年になって気づきました。
性に対して奔放な女子には、大人として「あなた、自分がセックス依存症だと感じたことはない? なんか危うい感じがするな」と、相手を安易に肯定せず疑問を投げかける必要性を痛感しています。
→性依存症を疑ってみても良いかもしれません。
— 津島隆太 (@Tsm_Ryu) December 11, 2020
(あくまで私が他の性依存症の方々から聞いた傾向です)
他にも
・性被害経験がある
・彼の浮気は嫌だけど文句が言えない
・セフレ関係になってしまう
というのも多いです。
「セックス依存症になりました。」の監修をしている斉藤章佳先生は、性犯罪を起こした加害者たちの治療に当たっています。著作、「小児性愛」という病――それは、愛ではないで、性依存は女性のほうが多いが性で犯罪を起こしがちな男性と違って表面化しにくいと書かれています。
私も、セックスに積極的だった女子たちがいわゆるメンヘラ、自傷行為をしたり自殺未遂をすることが多いのに気づきました。精神を病んでいるからこそ、セックスに対して奔放、言い換えると感覚が麻痺してしまったのでしょう。
以前は「クリスマスにセックスをしない人はみじめ」という風潮がありました。こういった「セックスをしない人間は価値のない人間である」という認知の歪みも、性依存症者を増やしてしまう一因となっていたのではないでしょうか。
「いろんな女とたくさんのセックスをしてこそ男(オス)として価値がある」という歪んだ認知も、恋愛工学をはじめ男女を不幸に陥れるトリガーになっていると感じます。これはセックス依存症になりました。〈決定版〉にも描いてありますが、「男らしい男であれ」という固定観念の圧力に苦しむ男性の悲鳴でもあるのです。
セックスを肯定しすぎると、よくない。
もちろん、否定しすぎても、よくない。
ほどよいバランスで生殖活動(そう、セックスとは生殖のための活動ですよ、本来は)を行うことが健全な精神と肉体をもたらすのではないでしょうか。
そして、生殖活動と考えると「老いたらセックスしなくてもいい」という選択肢も尊重してほしいです。今の世は「死ぬまでSEX!!!」と週刊誌が煽るせいで、したくもないセックスを強要される人もいます。本人同士が納得しているなら、セックスレスも肯定してほしいですね。
性欲が薄い人がいることも、尊重していただきたいです……。「セックスがしたいと思う=愛がある」ではないのです。そのためにも、性に対してパートナーとオープンに話しあえる関係づくりというのは、大変重要なものであると考えます。
何事も、溺れるほどまでに、人生をかけるほどまでにのめりこんではいけない。それは、生物として至極真っ当な生殖行為である、セックスに関しても同じ。
マンガ「セックス依存症になりました。」は、そう教えてくれるのです。

津島隆太 (著), 斉藤章佳 (著)
<決定版>のほうはコンパクトにまとまった内容です。しかし、正直最後のほうは、はしょってて駆け足になっています。↑こちらのオリジナル版のほうが内容は濃いので、できればオリジナル版を通して読んでいただきたいです。
↑こちらは1話ずつ。一気に読みたい方は↓合本版をおすすめします。