何事もほどほどに~過ぎたるは及ばざるがごとし

人生:スピリチュアルブログ
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「振り子の法則」リアリティ・トランサーフィン―幸運の波/不運の波の選択を読んでいて、「ウウッ」と心に刺さる箇所があったのでご紹介します。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」ということわざにも当てはまる法則です。

評価に必要以上に大きな意義が与えられる場合に限って、過剰ポテンシャルが現れる。

大きな意義を持つ評価が現実を更に大きくゆがめているのであれば、ポテンシャルの値は増大する。一般に、対象が私たちにとって非常に重要であるならば、その質を客観的に評価することはできない。例えば、崇拝の対象には威厳が、憎悪の対象には欠陥が、恐怖の対象には畏怖させる質が、それぞれ必ず必要以上に与えられている。(P149~150)

あなたは、隣にいる他の人々が、はるかに小さな努力で、ずっと大きな成果を達成していることに気づくかも知れない。
それはつまり、あなたが自分の仕事に与えている意義が、ある段階に達した後、限界を超え始めていたということである。

あなたにとっては、仕事に置く比重が重ければ重いほど、ますます多くのありとあらゆる問題が発生してくることになる。
こうした問題発生のすべては当然なこと、つまり仕事の過程で生じた仕方のないことであるとあなたには思えるだろう。しかし、本当はあなたが自分の「重要性のハードル」を引き下げさえすれば、問題はずっと少なくなるだけのことである。

ここから導き出される結論は一つ。
過剰ポテンシャルを解消するために、仕事と自分の関係を意識して見直す必要があるということである。

仕事以外で、好きなことに携わることのできる自由時間は、あなたに絶対必要である。休息したり、気分転換したりすることができない人は、仕事もできない。

「振り子の法則」リアリティ・トランサーフィン―幸運の波/不運の波の選択 

これ、本の中では仕事で話されていますが、ありとあらゆることに当てはまります。

例えば、食べ物に執着しすぎたら肥満になったり逆に摂食障害になったりします。恋愛に依存して「あの人がいないと生きていけない」と四六時中相手のことを考えてしまうと、どんどん問題が山積みになっていきます。

もし愛が依存関係に移行するならば、過剰ポテンシャルの発生は避けられない。

自分にないものを所有したいという望みは、エネルギー上の「圧力差」をもたらす。依存関係は、「もしあなたが……ならば、私は……」という条件があることによって明らかになる。

例えば「もしあなたが私を愛しているのなら、すべてを投げ出して、一緒に世界の果てまで行こう」「もしあなたが私と結婚してくれないなら、あなたは私を愛していない」「もしあなたが私を誉めてくれるなら、私はあなたと仲良くしよう」

「振り子の法則」リアリティ・トランサーフィン―幸運の波/不運の波の選択 P165~166

私はオタクなので、こういうことは言いにくいのですが、コンテンツ依存だってそうです。「推しがいるから生きていける」と本気で言ってる人は、正直まずいです。コンテンツがなきゃ生きていけないのは健全な状態とは言い難いです。

何事も、のめりこみすぎると良くないのです。本の中でいう「過剰ポテンシャル」を生み出し、現実に対する認知が歪んでしまいます。現実に対する認知が歪むと、当然周囲とのズレが出てきてしまい、問題が後からあとから湧き出てきます。

何かに執着してしまうと、それは問題を引き連れてくることになるのです。「重要性のハードルを下げること」、つまりのめりこんでいるもの以外のものにエネルギーを振り分けて人生に対するバランスを取る必要があります。

2000万円もかけて行った100回以上の整形の末路

桜井野の花さんは2000万円かけて100回以上(!)の整形を繰り返して、後遺症のために現在顔半分がビリビリと痺れている状態だそうです。詳しい話は上の動画をご覧ください。ちょっと肉体的に痛々しい表現などもありますのでご注意ください。

これも、多分、はじめの頃は行き過ぎじゃなかったんだと推測されます。3回目くらいまでは、劇的にキレイになった!感があったのではないでしょうか。
その快感が忘れられず、「もっともっと」となってしまったのでは。こう書くとなんかギャンブル依存症にも近いですね……。

ゲームでもそうでしょう。やりはじめってアイテムがもらえたり初心者用のブースターがあったりして、ぐんぐんとレベルが上がってスキルも身についていって、めっちゃドーパミン出るんですよね。

でも、それってはじめの頃だけで、続けていくとレベリングもきつくなってくるんですよね。そうそう簡単に強くはなれなかったりする。

野の花さんもはじめの頃の整形で「グンとキレイになった感」が忘れられなくて、骨を切るような大規模な整形にまで突き進んでしまったのではないかと思います。野の花さんに限らず、芸能人などでも「整形やりすぎだな」って人はいますよね。少しでやめておけば、元の顔の個性も残ってその人ならではの美しさがあったのに、やりすぎて不自然になっちゃったりする……。

トランサーフィン風に言うなら、過剰ポテンシャルによって平衡力が働いたんですね。
どんなことでも、例え「善行」でも、行き過ぎると良くないのです。

私は9/26発行のメルマガで以下のように書きました。

Twitterを見ていたら、異様にJICAのプロモーションが出てきました。
「なんでこんなにJICAが活動を煽ってんの?」
とちょっといぶかしく思いました。

しかもそのプロモーションの画像がまたうさんくさくて。
黒人に囲まれて真ん中で笑顔いっぱいのアジア人(多分日本人のイメージ)
黒人=貧しい人、日本人=豊かな援助人というレイシストも真っ青な対比。

気分悪いな~と思ってたら、こんなニュースが目に飛び込んできました。

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スリランカのゴタバヤ・ラジャパクサ(Gotabaya Rajapaksa)大統領は、
日本の国際協力機構(JICA) が円借款で支援してきた約1600億円規模の都市交通システムの整備事業の中止を命じた。
主要都市コロンボ(Colombo)の渋滞問題における「費用対効果の高い解決策」ではないと判断したという。
政府関係者らが24日、明らかにした。

(中略)

現大統領の実兄で現首相のマヒンダ・ラジャパクサ(Mahinda Rajapaksa)元大統領時代に、
スリランカは港湾、幹線道路、鉄道などのインフラ整備計画のため、中国から巨額の借り入れを行っていた。

 だがこのうちの幾つかは無用の長物と成り果て、膨大な債務が残った。
その大部分は中国からの借入分で、海外のインフラに投資する中国の巨大経済圏構想「一帯一路(Belt and Road)」への懸念をあおるものとなっている。

スリランカ、日本が支援する都市交通整備計画を撤回:AFPBB News
https://www.afpbb.com/articles/-/3306306

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なるほどね~。
JICAの活動が現地の人からウザがられてるわけね。
もちろん日本だけじゃなく中国の援助活動も。

以前のブログ記事で、以下のように書きました。

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昨年の7月、JICA委託でバングラデシュの援助をしていた日本人が、武装勢力に襲われて亡くなりました。
【参考】【バングラデシュ人質事件】「日本人7人の死亡を確認」菅官房長官が発表

亡くなった日本人は国際協力機構(JICA)のプロジェクトに関わっているコンサルタントの男性5人、女性2人。「途上国のために援助を惜しまない人たちが、テロの標的にされるだなんて何たること!自分の国のためにやってきてくれた人になんてことするの!?」と、ピュアなあなたは思ったことでしょう。

でも、私は思ったんです。
「あー日本人だったら殺したいわなー。アメリカとズブズブやねんもんな。JICAでやってくるボラやエンジニアなんぞ、頭の良いインテリほど自国の敵って思うわなァ」
(実行犯の大半は、裕福な高学歴の人間だったそうです)

「私っ、途上国の人のためにっ、何かしたいんです☆」
とキラキラ目をさせていう人が、たまにいます。
私は「え、恨まれたいの?」と返します。

そうすると、相手は決まってびっくりした顔をします。自分がボランティアをすれば、感謝されると思っているのです。自分が善意でやったことで誰かの不評を買う可能性があるなどとは、夢にも思っていないのです。
まあまあ、なんてピュアなんでしょう!!

「誰かを助けたい!」
そんなピュアな思いがなぜ利用されてしまうのか。
組織の裏側を見ないと、その理由は理解できません。

「ピュアなあなたが搾取されるカラクリ」

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ホントこれなんですよ。
国際援助の多くは残念ながら「援助に見せかけた搾取」なんですよ。
純粋な善意をもってJICAにいく人は、その搾取の片棒を担がされちゃうってわけ。

詳しくカラクリを知りたい方は、ジョン・パーキンス著「エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ」をお読みください。(札幌市の図書館には蔵書があります)

アメリカも日本も中国もやってること自体はだいたい同じです。
もちろん国内でも「援助に見せかけた搾取」の相似形が見られます。
病気を治すフリして薬漬けにして依存させちゃったりするでしょ。

リンデンバウムにいらっしゃる方は、本当にいい人が多いんです。
なんか、ピュアな人が多いんです。それこそJICAに行きたがるような。
だから、「もっと物事の深いところを見てください」と言わねばなりません。

善は悪の別の形なんですよ。
良かれと思ってやったことが、相手の害になるかもしれない可能性を考えてください。
善悪で動いていては、いつまでも二元性にとらわれたままなんです。

善を肯定し悪を否定しないでください。
善も悪も、同じものであることを知ってください。
そうしてはじめて、二元性から解き放たれるチャンスが訪れるのです。

どんなことでも、やりすぎるとバランスを崩してしまいます。
でも、じゃあ「どこまでやるならちょうど良いのか」というのもはじめっからはわかりません。やりすぎたときに気づいて、「そこまで(仕事は、恋愛は、趣味は、セックスは、結婚生活は、家族の絆は、等々…)人生において重要なことじゃない」と修正すればよいのです。

善の中には悪があり、悪の中には善があります。どんな善の中にもやりすぎると悪の形になっていきます。途上国援助が却って相手国の健全な発展を阻害してしまうように。

そういったときに、「やりすぎ」に気づいて修正せねばなりません。つまり、今まで正しいと思っていたことを「実は違うかも(途中までは良かったんだけど、やりすぎたかも)」と認識し、習慣を変えていく必要があるのです。

習慣を取り換える方法はとても単純である。

第一に、悪いことにもどこかに良いところがあるということ。
これは陳腐に聞こえるかも知れない。しかし、もしあなたから見て否定的と思われる何らかの現象の中に肯定的な部分を見つけ出すことを目的としたら、労せずに習慣の取り換えが実現するだろう。それをゲームにすればよい。

そのゲームに常に興じていたら、有害な習慣は新しい習慣にとって代わられるだろう。(中略)

第二に、万が一、どこをどう探しても喜ぶべきところなどありえないような災難に本当に見舞われてしまったら、ソロモン王から例を引こう。

王は何か言葉が刻まれた腕輪をはめていたが、その部分が内側を向いていたので、何が刻まれてあるのかは誰にも分かたなかった。王は災難や解決困難な問題に直面したときに、腕輪を回して、次の言葉を読んでいた。

「これも通り過ぎるさ!」

「振り子の法則」リアリティ・トランサーフィン―幸運の波/不運の波の選択 P161~162

この言葉。まさに仏教のヴィッパーサナー瞑想と同じですね。
感情にはまり込み過ぎない。感情はやっては過ぎていく雲のようなものだから、ただただ眺めていれば良いという考えです。そうすることによって、感情を感じつつ(抑圧することはなしに)溺れず適切に物事に対処できるようになります。

カッとなってやってしまったことにあとから後悔する、だなんてことがなくなるんですね。
この瞑想を試してみたい人は、ウ・ジョーティカ『自由への旅』をお読みください。

ウ・ジョーティカ『自由への旅』
ウ・ジョーティカ師(Sayadaw U Jotika) "A Map of the Journey" 本文の全訳です。

あなたが悪いと思っていることや人にも良いところがあって、良いと思っていることや人にも悪いところがあります。この考えによって、両極がそろって二元性を超越できるのです。

絶対的に善いものはなく、絶対的に悪いものはありません。
あなたは受け入れられないかもしれないけれど、殺人でさえときには必要なカルマになることがあります。もっとマイルドな例でいうと、病もそうです。病も善になる場合があります。

全てのことは、善でもあり悪でもあるのです。
ただ、必要だから起こっているのです。

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