何回も記事を読んだり、瞑想をしたりしていますが、時間軸を飛び越えるという感覚がいまいちよく分かりません。何かヒントをいただければうれしいです。
このことについてはすでにこの世界を抜け出すコツに書きましたが、それを読んでも理解が難しいということですよね。
まず、何度も原文時間軸を飛び越える術を読んでください。そらんじられるくらい、読みこんでください。できれば英語の原文(“The Art of Jumping Time Lines” A Hathor Planetary Message Through Tom Kenyon)も読んでみるとなお良いです。
この方法には5つの段階があります。
1) 自分が入りたい時間軸を識別する。
2) 時間軸を合わせるための振動の状態に転ずる。
3) その状態に自分を閉じ込めて、揺らがない。
4) 新しい時間軸の表出である行動をとる。
5) 辛抱する。
自分がどのステップでつまずいているのかを考えてください。
ジックリ読込んでいくとわかると思うのですが、実はこの方法は結構大変です。スルッと上手く行っちゃってハッピー☆みたいなお気楽な感じにはいきません。だからこそガチなんですけど。
特に、3と5は「揺らがない」「辛抱する」とあります。陰陽でいう陰のフェーズです。
ここ、ちゃんとできてますか?
揺らいでませんか?忍耐は足りていますか?
いくら瞑想しても、ブレブレならダメなんですよ。ドンと構えないと。丹田に気を収めて、どっしりと構えてください。丹田を鍛える意味であなたも武道をやるといいと思いますよ!!!(脳筋最高☆)

そもそも、なんでこんな「揺らがない」だの「辛抱する」だのって出てくると思います?裏を返せば「揺らぎやすい(ブレやすい)」「我慢しにくい」ってことですよ。
そこを、ぐっとこらえてブレずに耐えなければならないんです。つまり、新しい時空に移るには違和感を我慢せねばならないフェーズがあるということです。できてますか?「どうせこんな方法は使えない」「自分には無理だ」とか、ブレてるんじゃないですか?
そして、こういう表現がある以上、周囲との摩擦だって想定されます。
いや、普通にそうでしょう。近しい人が変わったら「どうしちゃったの?」っていうでしょう。「おかしいよ、元のあなたに戻って」とすら言われるかもしれない。
そこをブレずにぐっと我慢しなきゃならないんです。
「新しい時空に行ったら周りの人がすぐ変わってくれて、ありのままの自分を受け入れてくれて、ハッピーになれるかも♪」なんて期待を持ってると、この段階でバッキリとへし折られますよ。
日系アメリカ人3世の理論物理学者、ミチオ・カクさんはこのように言います。
宇宙が徐々に冷え込んでいくなかで、知的生命は思考の速度を落とし、長いこと休眠状態で過ごさなければならない可能性がある。この思考の速度を落とすプロセスは、何兆年の何兆倍も続くと考えられ、それだけの時間があれば量子論的事象も起きる。
通常、泡宇宙の自然発生や別の量子論的な宇宙への遷移は、あまりにもまれな出来事なので無視できる。ところが宇宙の第五段階では、知的生命は非常にゆっくり考えるようになるため、そのような量子論的事象も比較的ありふれたことになるのではなかろうか。彼らの主観時間では、思考の速度はごく普通に感じられるだろうが、実際の時間的尺度はきわめて長いので、量子論的事象が良く起きるようになるのだ。
もしそうなら、知的生命は、ワームホールが現れたり量子論的な遷移が起きたりするのを待つだけで、別の宇宙へ逃げ出せるだろう(そうした生命にとって量子論的な遷移はありふれたことになるかもしれないが、その量子論的事象はいつ起こるか全く予想がつかないという問題がある。いつ入口が開き、どこにつながるかが正確にわからなければ、別の宇宙に移るのは難しそうだ。知的生命は、ワームホールが開いたらすぐ、その特性を十分に調べる時間のないまま、宇宙を出るチャンスをものにしなければならないだろう)。
パラレルワールド 11次元の宇宙から超空間へ P400~401 太字強調は記事作成者による
マイケル・タルボットの投影された宇宙―ホログラフィック・ユニヴァースへの招待 も、時間軸移動のための感覚をつかむヒントを得るためにオススメの一冊となります。
序盤に書かれている魚と水槽の比喩を読んで、私は「これだ!!」と叫びました。
私たちは肉体に閉じ込められることでどれだけ知覚の罠にかけられていることか、それゆえに正しい宇宙の(そして自分の)姿を認知できず、二元性の世界に苦しめられていることか――。
世界は、宇宙は全てがフラクタル(相似形)なのです。
だから、そのフラクタルであることを利用して自分から世界を作ってしまおうというのがこの時間軸を飛び越える技の中枢でもあります。
世界がフラクタルであることを直感的に認知するのに役立つのが、マンデルブロ集合によって描かれる図形です。
必ず「ある形」が繰り返し訪れること、現れることに注目してください。
様々な色、様々な形が現れては消えていきます。ですが、必ず、「そこ」に戻るのです。すべては「そこ」からはじまり「そこ」に終わるのです。
途中現れる曼陀羅のような文様は、はじめの形とは全く違うものに見えます。
しかし、それすら「プロセス」にすぎないのです。つきつめると、「そこ」に戻るのです。