メルマガ読者様から質問を頂きました。
「肉や魚を食べたくない」と思い、野菜中心の自炊を続ける
→体調が良くなる
→しばらくすると心身の調子を崩して、肉や魚を食べ始めると元気になる
ということを周期的に繰り返しています。
畜産業のドキュメンタリーなどを見て罪悪感もあり、心は「肉食をやめたい!」と思うのですが、体は食べた方が調子がよさそうなんです。
こういった場合、肉食をやめたいと思うのは、心の声ではなく、ただのエゴなのでしょうか。
う~ん、私、父親から「肉が苦手」という体質を受け継いでこういう感じなんで、肉を食べると体の調子がいいといわれても「そうなんだ、私は具合悪くなるよ」ってな感じでわからんでゲスよ。
――と言って終わりたいところですが、正直、これって肉食か菜食かって問題じゃないと思うんですよね。「肉を食べると体調がよくなる」っていうのは一つのシグナルとして表面的に浮き上がってきてるだけで、もっと深いところに問題の根っこはあると思います。
どこが何というのは、ケースバイケースなので、自分の場合に具体的に何が引っかかってるのかを知りたい場合はスピリチュアルカウンセリングを受けてください。
一般論というか、汎用的に言えることしか書けませんが、「肉食」と「菜食」をシンボライズして考えてみてください。肉食というのはグラウンディングで、菜食というのはスピリチュアルです。
あなたは、スピリチュアル(菜食)ドップリになるのが嫌なんじゃないでしょうか。スピリチュアルな世界に対する恐れなどはありませんか?
もしくは、あなたは今の現実の世界(肉食)に対して、「やらねばならないこと」があるのではないでしょうか。だけど、そこを向き合わずに逃げたくて美しいスピリチュアル(菜食)に走っているところがありませんか。ゆえに、一時的に菜食はできてもやはりそこに「やらねばならぬこと」があると肉食に戻らざるを得ない。
菜食=善
肉食=悪
と単純化して見ていると、本質は見えないと思います。アドルフ・ヒトラーだってベジタリアンだぜ。そういう視点から見るHoi2プレイ動画は実に楽しいなァ~。
遊牧民は肉ばっか食って生きてます。日本でも民俗学の本を読んでいると昔の対馬なんかは「麦が取れた時は麦を食う、取れない時は魚が主食(魚ばっか食ってる)」みたいな食生活で生きてたりします。
そういう文化もあるのです。そして、そういう文化の中で生きるということは、自然と「肉や魚を食べること」が必要になってくるわけです。
今の畜産業界はひどいです。だけど、昔からの畜産についても、結構ひどかったりします。チベットでも肉をさばくのは回教徒(ムスリム)の仕事でした。日本でもエタ非人にやらせたりしているし、アメリカでも「ブッチャー(肉屋)」が蔑称になることから、色々とお察しです。
そして、そういう「エネルギーのひどい物」を食べると具合がよくなるというのは、そういう「ひどいグログロドロドロとした現実社会と正面から対峙し、清濁併せのんで生きねばならない」というミッションがあるのではないですか? スピリチュアルでお綺麗に光に満たされて新月にお財布振って神社で水くんで生きてちゃダメなんじゃないですか?
まあ、個人セッションじゃないから、あんまり詳しくはわからないですけれども。
「なんで肉を食いたがるんだろう」って掘り下げてみたらいいと思いますよ。そして、もっと汚く(ある意味人間らしく)生きたほうがいいですよ。
つまり、あなたにはスピリチュアル、あんま合ってないんじゃないですかね。
なんでわざわざこんな次元の低い世界に肉体に閉じ込められて生まれてきたのかって話ですよ。この波動の低い世界でこそやらなきゃならんことがあるのではないですか。清濁併せ呑んで。