映画「行き止まりの世界に生まれて」という映画がただいま上映されています。札幌では10/2~サツゲキで観られるそうなので、行こうかなと思っています。

多くの女性たちは「女らしくしろ」「女のくせに」という圧力に長い間苦しめられてきました。しかし、女性は戦後フェミニズム、ウーマンリブの潮流に乗って「女らしくしろって強制は不当だ!」と(もちろん完ぺきではないにしろ)随分と声をあげやすくなりました。
でも、男性は「男らしさ」の枷を外すことが女性よりも難しい状況にあるように見えます。何よりも、この映画のテーマにもなっているように父親から暴力を振るわれて育った男子が暴力の連鎖を繰り返してしまうような「トキシック・マスキュリニティ(有害な男性性)」、こんな貧困たる男性性の発揮の仕方しかできないならば、人生は暗転していくと言わざるを得ません。
私は父親が自殺した男性と付き合っていたことがありました。彼は口下手な人でしたので、そんなに自分の父親について抒情的な何かを言葉にしたわけではありませんでしたが、その経験は紛れもなく彼の生き方に陰を落としていることは間違いありませんでした。
彼は、多分、怯えていたのです。
「いつか、自分も、父親のように首をつってしまうかもしれない」と。自殺した人間の血が自分の中にも流れているというのは、一種の呪いです。
彼はすぐに心を開くことができませんでした。私に対しても「恋愛できる状態じゃない」とすぐに別れようとしたり、離婚歴があることを付き合ってから半年するまで言えなかったりしました。
多分、「こんな俺と一緒にいたって幸せになれないから、やめたほうがいい」という自己否定があったのでしょう。そのたびに私は「別れないよ」と踏ん張りました。
離婚歴を秘密にされていたことも、もちろんショックでした。隠されていていい気持ちがするものではありません。
だけど「でも、今はもう、私のこと信頼してくれたから、言ってくれたんでしょう。ありがとう」と言いました。彼が心を開いて打ちあけてくれたということを大切にすべきだと考えたからです。
こういった、男性性を教えてもらうべき相手(父親など)からネガティブな教えしか受けられなかった場合、どうやってリカバリしていけばよいのでしょう。これは、男性だけの問題だけでなく、女性の問題でもあります。女性の中にだって、男性性はあるのですから。
算命学の大家・高尾義政先生は、父親の愛情を受けて育った娘は、夫婦の危機にあっても粘り強くたえ、持ち直すことができると言っています。逆に、父の愛を知らぬ女性は離婚しやすいと。
代々木忠さんの言葉を見ていると、本当にそうだなあ、と思います。
娘が中学2年になったとき、僕は彼女にこんなことを言った。「お父さんに対して秘密を持ったってかまわない。警察のご厄介になってもいい。ただし、どんなことが起きようとも、そこから何かを学びなさい。どんな出来事にも感謝できるような人間になれ。もし、どうしても自分ひとりでは対処しきれない場合には、お父さんに相談してくれ。僕には命に代えてでも君を守る準備があるから」。
娘は「お父さん、わかった。ありがとう」と言った。僕はそれですごく解放されたのを覚えている。(中略)
いま娘たちは母親の顔をしている。
幼稚園のとき出産のビデオを見た姉には、小学校4年と1年の、僕にとっては孫である男の子が2人いる。下の娘が産んだ孫は、先月3歳の誕生日を迎えた。彼は保育園に通うようになり、お昼寝が習慣となっている。
ひと月ほど前、わが家に遊びに来たとき「お昼寝の時間ですよ」と娘に促されると、「ジイジも」と僕の手を引いた。
昼寝用の布団に3人で横になり、娘が子守唄を歌う。♪ ゆりかごのうたを カナリアがうたうよ
ねんねこ ねんねこ ねんねこよ ♪僕も幸せな気持ちでウトウトしかけたとき、孫が「ママ」と娘に手をやって、「うまれて、きてくれて、ありがと」と言った。きっと自分がくり返し言われている言葉、そして思い。
週刊代々木忠 : アーカイブス038 父の仕事
こんな風に父から愛されたら、その娘は健やかに育ちます。ちゃんと言葉にして伝えてもらえたら、そして行動で示されたら、娘は男性に対する信頼を育むことができます。
なにか苦難があった時も、ドンと構えることができます。
父は自分を愛してくれたという信頼感、ベースがあるからです。
もちろん、近しい人間に対する影響が一番顕著でしょうけれども、友人や同僚、仲間に対しても、こういった「男性性への信頼」というのは愛をもたらしていきます。
こんな素晴らしいパワーを得る機会を、暴力的な父親から育つ子どもは失ってしまいます。逆に、攻撃性の暴力的な使い方を刷り込まれてしまいます。
そこで、自分の中の男性性と上手く折り合えない、上手な使い方ができない男性は占いをやってみればよいのです。

は?
なんでそこで占い?
と思われたかもしれません。
でも、「男らしさを押しつけられるのが息苦しい」という場合、まず一旦は旧来の男性性ワールドとある程度の距離を置ける時間を取る必要があります。だから占いです。
といっても、古来の宮廷の占星術師はほとんどが男性なんですけどね……。民間の占い師は女性も多かったでしょうけれども、そもそも軍略として使われる占いなどは男性占術師が多かったはずです。
だから、意外と男性にも占いって楽しいはずなんですよ。特に戦略として使う場合は。
だけど、今の時代の占いって女性向け媒体取り上げられる「女性向けコンテンツ」でしょう。だからこそプライベートでこっそり趣味に占いをやれば「男らしさ」のくびきから逃れることができるんです。
私はもっと男性こそが占いに興味を持ったほうが良いと思っています。占いに抵抗があるなら東洋医学でもかまいません。陰陽五行説を勉強していくと、自然と宇宙のリズム(つまり占いで言ってることと同じこと)がつかめるようになってきます。
すると、視野が広がるのです。
視野が広がると何が良いって、自分の今の悩みがちっぽけに見えてくることです。

海に行って、浜辺から水平線を眺めて、ふうーーーっと息を吸い込む。
そうすると、何だか自分がちっぽけな存在に感じませんか。だけど、別にそれは嫌な気分じゃない。むしろ大きな海に抱かれたような安心感さえ感じるものです。
占いをやるメリットというのも、同じようなものです。
宇宙のリズムを知っていくことで、自分の小ささを知る。そうすると「なんだ、自分がこんなことで悩んでてもしゃあないな」と自分の小ささを笑える気分になる。
否定するんじゃなくて、受け入れられるんですよ。自分の小さき存在を。
そのためには、何かやたらと常識外れに「大きなもの」と接する必要があります。占いはその手段にできます。
だから、男らしさに苦しむ人ほど占いをやってみればいいのです。
なんかホッとするから。小さい自分に苦しむのではなく「人間って別にそんなもんじゃね」とある意味突き放して冷静に眺められるようになるから。