メルマガ読者様から以下の質問を頂きました。

以前よりリリスとして生きる、賢い人は脱恋愛脱結婚、というような一人で生きる術の記事が多くありましたが、自立した上での異性のパートナーシップについてもう少しヒントが欲しいです。
まず、誤解があるようなので訂正させていただきますね。
「リリスとして生きる」=「一人で生きる」じゃないですよ?
リリスとして生きたって、仲良くなれる人はいるし、スターシード同士で通じ合ったりするでしょ?
コミュ力さえあれば可能です!!
コミュ力は今の時代に必須の万能選手です♥
コミュ力は愛だねっ♪♪♪
大事なのは、「他人に興味を持つこと」ですよ。
自分に興味のない人は他人にも興味がわきません。
まずはセルフネグレクトをやめること。そうすれば、他人に対しても自然と興味がわいてきます。
私は「恋愛しない結婚しない」も「男性とのパートナーシップのある生活」も、割と矛盾の無いものだと思っています。
「自立した上での異性のパートナーシップ」
まさにこの言葉の通りで、そういうパートナーシップは一般的な恋愛のように甘くはないからです。むしろ友人関係のほうに近いくらいまである。
多分、ここで混乱が起こってしまう人というのは、パートナーシップに対して「一緒にいて寂しくない」とか「二人でいれば幸せになれる」とか、そういうイメージが(意識的にしろ無意識的にしろ)存在するのではないかと思います。
あのー、パートナーがいれば孤独じゃないかといったら、そんなことないんですよ。
パートナーがいたほうが、却って孤独を感じる瞬間は増えますよ。
「やはり、この人と一番深いところではわかりあえないんだな」って思いますもん。
一人でいればごまかせるところが、二人でいたらごまかせないんです。相手という鏡に映して、よりビビットに見せつけられる。二人で一緒にいるということは、本当に孤独なことです。
鈍い人ならわからなくて却ってノンキに幸せでしょうけれども。長年の不満が鬱積している妻の気持ちに気づけなくて熟年離婚を突きつけられる団塊世代の夫のようにね。
親友やパートナーに対して「この人とは仲がいい。馬が合う。だけど、そんな相手でもわかってもらえないところはわかってもらえないんだ」そう孤独を感じるからこそ、自分の内面に入って行けるという面はあるのです。OSHOのいう通りです。
私が彼らを深い愛の中に送り込むのは
— OSHO bot (@osho_bot_jp) September 6, 2020
彼らが満足するようにではない
誰ひとり満足したためしなどありはしない
私は彼らを本当に渇かせるために
ただ神だけにしか満足できない
ほかの何ものにもできない、というほどに渇かせるために
彼らを深い恋愛の中へ送り込むのだ
相手を巻き込むときには
— OSHO bot (@osho_bot_jp) September 8, 2020
(男女)関係を持つときには
関係というのは自由の中でのみ育つものだということを覚えておくがいい
けっして奴隷にならないこと
そして、けっして誰をも奴隷にしたりしないこと
これが信条であるべきだ
だから、ここでいうパートナーシップは恋愛的なものでも「ゼクシィでハッピーウェディング♥」的なものでもありません。そういう固定観念を持って来られると「男は要らないって言ってたのに男と一緒にいるじゃないか」という話になります。
そして、大前提として、自立したパートナーシップには精神的な自立が必要です。場合によっては経済的自立も必要となります。依存的に「一緒にいたいの!一緒にいられなきゃ寂しい☆」みたいになっちゃう人は、ドロドロの共依存的な関係しか作れないです。
恋愛脳の人とかセックス依存症の人も、良い関係は作れないですね。アラサーになっても「性欲強くて」みたいなことを言う人は、大抵精神病んでるんです。そういう人がアラフォーになるころまでにガンガン自殺していったのを、ギャルだった私は現実で見てきています。
「SEXしないと生きてる価値がない!」
「人生はSEXしてナンボっしょ!」
「セックスしないと落ち着かない」
↑こういう人は大抵精神を病んでいて、自殺します。本当に。自分はポジティブにパリピぶってるつもりなのかもしらんが、死亡フラグが立ってて怖いです。
でも、「あなたは性依存症だと思うよ」っていっても、「何言ってんだよSEXは生物としての基本だよ!」って否認されるだけ。ダメなんです、本人が「自分はおかしい」って気づかないと……。
なので、セックスや恋愛に依存するって本当に良くないことだな!って思ってます。セックスや恋愛に耽溺することを、私は積極的に否定します。もちろん、今の時代は不倫も絶対NG!です。
セックスは瞑想を通して消えていく。
— OSHO bot (@osho_bot_jp) September 6, 2020
だがこれはそのエネルギーを破壊するものではない。
エネルギー自体はけっして壊れない。
エネルギーのかたちが変化するだけだ。
もはやそれは性的ではないだけだ。
そのかたちがもう性的でなくなったら
そうなったらあなたは愛情ゆたかになる。
まったく性的でなくなった人
— OSHO bot (@osho_bot_jp) September 7, 2020
そのエネルギーだけが内側で動いている人は
自らの中に歓喜をもつようになる。
その歓喜はその人自身のものだ。
そのような人こそ
はじめて愛することのできるようになった人
その愛は絶えまなく降り注がれ
絶えることなくわかち合われ、与えられる・・
その上で、パートナーと一緒にいていいことがあるかというと「官星の~」に書いた通りです。魂の修行のための鏡として、お互いに磨いていくことができます。
そして、「パートナーが欲しいけどどうしたらいいかわからない」という人は、男性性と女性性の記事を読んでいただきたいですね。自分の内側の男性性と女性性が仲良くできれば、自然と外側(現実)でも異性との縁に恵まれたりしますから。
根本的な問題って、結局そこなんですよね。
異性嫌いは自分の内なる異性を受け入れていないということ。男嫌いでも女嫌いでも、根は同じ。「クソオス死ね」とか「まーん(笑)」とか裏垢で煽ってる人は、結局自分の内なる異性のことが嫌いなんですよ……。そういうのって、悲しいですね。
まずは、自分自身にとって一番の理想の恋人にならねばなりません。自分が男/女だったら、ぜひとも一緒にいたいと思うような理想の恋人に。
内的なエネルギー現象があって、それが理解を通じて消えるようなものだったら、それは罪だ。
— OSHO bot (@osho_bot_jp) September 6, 2020
もし理解することで深まるようなものだったら、それは徳だ。
理解が深まるほど正しいほうは根を下ろす。
セックスは消え、愛が深まる。
怒りは消え、慈愛が深まる。
貪欲さは消え、わかち合いが深まる。
陰と陽を揃えて、両極を統合する。
そのためにも、内なる異性との和解、受容は欠かせないものだと考えます。
