私、一人カラオケを良くします。
といっても、最近はコロナな感じもあって、半年以上しておりませんが。
一人でカラオケ行って何するかって、もちろんベジータ様のお料理地獄のような「自分が歌いたい歌を好きなように歌える」という面もありますが、「歌った曲を録音すること」も大事な目的の一つです。
録音した音を聴くことによって、その時の自分のコンディション(エネルギーの状態)がわかるのです。
録音するときは、1曲を、テーマを変えて何回か歌ってみたりします。
1回目は「普通に」2回目は「感情的に」3回目は「無機質に」
そして、この録音を聴いて「どのバージョンが一番気持ち良く聴けるか、響いているか」を感じます。
1曲で歌いかえるのではなく、ジャンルの違う曲をできうる限り混ぜて歌ってみるのも良いです。どのジャンルの曲で一番自分の声が気持ちよく聞こえるかを感じてみるのです。
その気持ちよく響いているところこそが、自分のエネルギーの出し方として一番適切な方法になります。
例えば、ミュージカルのように感情をのせて歌ってみた曲や演歌、オペラのアリアなどが一番気持ちよく聞こえる場合は「自分はエモーショナルにふるまったほうが良いのだ」ということになります。
クラシックでもあまり感情を乗せずに器楽的に歌ったほうが良い曲、例えば第九や讃美歌なんかが気持ちよく聞こえる場合は、地上的ではなく天上的な発声が良いわけですから、エネルギーを高くしてふるまったほうが良いことになります。
言い換えると、感情的になるのではなく、冷静に自分を眺めて、自分は筒(中空の竹)のようになって無になり空になることで一番美しいエネルギーが出るのだということです。
低音のほうが美しく響いてくる場合はグラウンディングされているほうが良く、高音のほうが美しく聴こえる場合はよりスピリチュアルなエネルギーを大切にしたほうが良いフェーズになります。
別の言い方をするなら、低音が響くときは男性性を重視し、高音が気持ちよく響くときは女性性を重視すると良い時とも言えます。
YOASOBI「夜に駆ける」みたいな、テンポの速い歌詞の詰まった曲を歌っている時が生き生きしているように聴こえたら、今は「早く早く物事を前倒しに行っていくとバイオリズムとして良い時」と言えます。
ヨルシカ 「花に亡霊」のサビのようなゆったりテンポでたっぷりと伸ばされた歌声が心地よく聴こえるときは「のんびりあせらず、同じことをじっくりと熟成させるとき」とも言えます。
これは、時と場合によって変わってきます。まったく同じように歌っているはずなのに、美しく聴こえる曲もその時々によって変わってくるのです。
歌いたい歌と、合ってる歌
歌をやる方はわかると思いますが、「歌っていて気持ちいい曲」と「歌ってて周りの評価が高い曲」って、結構違いませんか?
これは「着たい服」と「似合う服」が違うこととも似ています。
私自身はR&BやHiphopが大好きで、そういう曲を歌いこなせたら、本当にかっこいいなー!って思います。
リアーナとかカッコ良く歌えたら、メッチャ気持ちいいよなあ!!!
ああ…憧れます。
でも、私の声質は高音で楽器的にストレートに声を出したほうがきれいに聞こえるんです。ヘイリーとかサラ・ブライトマンの曲とか、はまる声質です。
音域は広いので、男性曲も原曲キーで歌います。
JOYSOUNDにはヘンデルのメサイア「ハレルヤ・コーラス」が入ってるので、一人でバス・テノール・アルト・ソプラノと4パート歌って遊んだりもします。
でも、やはり私の声が美しく響くのは、大抵の場合高音なんですね。
高音を、感情を乗せず、無になって出した時が一番美しい。
だから演歌なんか本当に苦手です。感情を乗せないとグッと来ない歌は、ダメなんです。歌ってる時はまだいいけど、録音を聴いた時に率直に「キモイ」と思ってしまいます。エネルギーの出し方が合ってない、「違う」んです。コレジャナイ。
もちろん歌いたいなと思った時は、浜崎あゆみを感情を乗せて歌ったりもします。
ですが、それはあくまで自分のエネルギーの発散のためであって、「うまくエネルギーを他者(外側)へと伝えていく」という観点で考えると、やはり私に一番シックリ来るのはクラシック(オペラのアリアのような感情を乗せる歌ではなく、讃美歌のような声楽曲)なんですよね。もしくはカーペンターズみたいなカントリーミュージックも良いです。ひねらないで、まっすぐ。
ビリー・ジョエルみたいに感情を乗せるタイプの歌を私がオリジナルのまま歌おうとすると、やっぱり「キモイ」感じになる。違うんです。もっとフラットに歌わないと。
もちろん、「内側」ではR&Bが好きだし、感情を乗せて歌いたいときもあります。それはそれで、自分でやっていいことです。
ですが、「外側」に効果的に何かを伝えたいときは、私はクラシカルに感情を乗せず、あるがままに透明なままに「おりてきたものを表現する」必要があります。算命学的に言うなら、東の鳳閣星(感情を挟まぬニュートラルな表現)を使う必要があるということです。
算命学で見ると、私の大運は天中殺か異常干支か天剋律という並びでほぼほぼ「普通に生きたらイカン」という圧に満ちております。
「無になった時に一番きれいにエネルギーが出る」という性質も、この大運の並びから見ると非常に納得がいくものです。
私は感情的になっては良さが出ないのです。
(丙午は情的だと開運できません。クールであってこそ開運します)
みなさんも、自分の歌声を録音してみて、どの曲のどんな歌い方の声が良く響くか聴き分けてみてください。
自分がどう生きていったらよいかのヒントが得られますよ!