世界を広げる本の読み方

ビジネス:スピリチュアルブログ
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私は、よく人にこう質問されます。

Nozomiさんってどうやって
読む本を選んでるんですか

私は「エッ、本って、向こうからやってきませんか」と、ものすごく役に立たないフワッとした回答をしてしまいます。申し訳ないです……。
ですが、本当に言葉通りで、読んだ本から数珠つながりで次の本に導かれるという感じなのです。

必要な本は必要な時にやってくる 偶然はない

人生の問題に直面していて、ぴったりのときに、ちょうどぴったりの本を手に入れ、ぴったりのページを開き、まさにぴったりの答えを得たとすれば、それは偶然だと思いますか?

おおぜいの人が同じ本を読むとき、本当にみんな同じものを読むのでしょうか?

そもそも読者に詩人を理解する義務があるのでしょうか、あるいは詩人に読者が理解できるように書く義務があるのでしょうか?

小説でカフカが言わんとすることが、評論家がその小説を解釈して述べることであるとすれば、なぜカフカはそれをはじめから書かなかったのでしょうか?

本に登場する人物は、その本が読まれないとき、なにをしているのでしょうか?

エンデのメモ箱 愛読者への四十四の問い

例えば、松村潔さんの西洋占星術の本を読むことで「へえ、ユングそんなこと言ってたんだ。この機会に元型論を読んでおこうかな」「シュタイナーってそんな主張してるんだ。西洋占星術についてつながりがあるのは星と人間かな。読み返そう」「プラトンの主張した数のロゴスについて理解しないとアスペクトの解釈も深められないな。よし、ティマイオスをおさらいしなくっちゃ」と、3冊くらいズラズラズラっと「次に読みたい本」が出てきます。

ちなみに私が現在「次に読もうと思っている本」リストは以下の通りです。

…………。
確かに、こう並べてみると、「どういう基準で選書しておるのだ」と疑問を持たれるのも当然かもしれませんね…。

まあ1冊目は「あーはいはいミリオタですもんね」で納得いただけるでしょうし、4,5冊目あたりなども「スピリチュアリストとしての多元宇宙の法則に関する勉強なんですね」とわかりやすいのではないでしょうか。

上に挙げた本も大体「何らかの本を読んでいて『そうか、じゃあ次はこれを読もう』と思った本」です。数珠つながりに出てくるのです。1冊読んだら「参考文献」の中にあるもう一冊を読むという感じです。

私は部屋に物がゴチャゴチャとあるのが嫌な人間です。それは本も例外ではありませんから、図書館で借りるか電子書籍で済ませます。

なので、割と本を読みますが、「部屋に本がいっぱいになって置き場に困る」なんて悩みはよく理解できません。「紙で手元に置いておきたい!!」と思う本は100冊読んで1冊くらいなので、本棚は小さなもので収まっています。

読んだ本の内容をすべて覚えている必要もないと思っています。もちろん仕事で使う内容については頭の中にインプットしておくことは必要です。ですが、私が主に読書体験に期待しているのは主にシンクロニシティであって、刺激を受けることによってインスピレーションで降りてくるものなのです。

読んでいると「ビビビッ!」と来て「あー!そうか!そうだったんだ!!だから私はあの体験をしたんだ!あの出来事の意味は、そういうことだったんだー!!!」とアハ体験をするわけです。

そのために本を読んでいるようなところがあります。
もちろん、本じゃなくてもいいです。アニメでもドラマでも映画でもよいです。

そうやって、本を読むことで「自分の人生に納得する」という面があるのです。
魂の道の奥深さに納得するというところがあります。

憧れの人の読む本を読むことで、世界は広がっていく

私は基本、小説が苦手です。

特に村上春樹とか3ページ読んだだけで「んが―!!無理!!!何が言いたいんだよお前は、スカしやがって!!!」とブチ切れてしまう質です。文学的な美しき詩情というものは、私のような粗野な人間の前では「ウジウジウダウダすんなや!!! ハッキリせえ!!!」で終わります。

世の中の物語というのはウジウジウダウダしているからこそ広がるものなのです。なんでもスッキリスッパリ解決してしまったら、何にも面白くありません。まったく、私の脳筋ぶりにも困ったものですね。

しかし、そんな私がおとなしく小説を読むことがあります。
尊敬する経営者の先輩がその本を読んでいることを知った時です。

経営者の先輩からビジネス書を勧められたことは、実は、一度もありません。
面白いことに、私が「この人みたいになりたい」と思う経営者の先輩は、文学や芸術に関する繊細な感性を持ち合わせていたりするのです。

つまり、実務的なビジネス書ではなく、芸術的な作品から、自らの経営哲学を磨いている人が多いのです。

私は尊敬する先輩に対しては、その人に少しでも近づきたくて「どんな本が好きですか?」「どんな映画が好きですか?」「どんな音楽を聴くのですか?」と無遠慮に根掘り葉掘り聞きだします。

全くもって図々しいことこの上ない後輩ですが、素敵な先輩方はそんな不躾な後輩に惜しげもなく、学びのエッセンスを分け与えてくださいます。

だから、あんまり映画に興味がないのに、唐突にスゲー古い映画を見ていたり古い音楽を聴いていたり、好きでもないのに文学作品を読んでいたりするのは、だいたいそういう先輩の影響です。

Dietrich and Cooper in Desire, 1936
Pau Casals: Bach Cello Solo Nr.1, BWV 1007 (8.1954)

ある先輩から遠藤周作のイエスの生涯が良いと聞きつけて、読みました。

その先輩は理工学部出身で、クリスチャンでもなく、しかも経営している会社も女性向の業種だったので、このセレクトは意外すぎました。

ですが、手にとってみて「ああ、ああ……そうか……」といたく心を打たれました。

この作品は、イエスを一人の人間として掘り下げ、その苦悩に光を当てたものです。それはつまり、「人の上に立つ人間はいかに孤独なものか」ということを如実に語っていたのです。

経営者は孤独です。誰も自分の本心など理解してくれません。
イエスも孤独です。弟子たちは自分を慕ってくれます。でも、自分の本当に伝えたいことを理解してくれる弟子は残念ながらいないのです。

そんな孤独の中を、しかしながら真理を地上に降ろすために歩まねばならない。イエスの道は宗教者の道ではあるけれども、経営者の道と驚くほどに似ています。

「はあー!なるほどなあー!」と私はうなってしまいました。
「どんな道を選ぼうと、魂は磨かれる」というのは、こういうことなのかと。ビジネス(実業)を魂の修行のために使うこともできるというのは、イエスの道と経営者の道の共通点を見るならば明らかなことです。

この一冊は、そんな深い真実を教えてくれました。
私が自分の好みのみで選書していたならば、けして手に取ろうとは思わなかった本です。「好きを大事に!」してたら、この深い感動には出会えませんでした。

尊敬している人が、どんな本を読んでいるか。
それを知ることは大きな視野を広げてくれるものです。自分の好みじゃ手にしないような本を、人は読んでいるからです。

ですから、「この人のようになりたい」と思う人が身近にいるなら、その人に是非問うてみてください。
「今まで読んだ本の中で、一番感銘を受けたのは何ですか」と。

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