日本にいると、たまに「中国人は民度が低い」だの「韓国人は汚いことばかりする」だの言う人がいます。(「たまに」ですよ!)
私自身も、祖母や両親が「チャンコロ」「チョン」といった差別用語を平気な顔をして使うのを見て、すごいショックを受けたことがあります。
でも、だからといって日本人が特別「人種差別意識の強いひどい人たち」とは思いません。
隣人なんて大嫌い
ポーランドの友人は「リトアニア人ってばポーランドのことが本当に嫌いで悪口ばっかり言うのよ!」と憤慨しているし、
マレー人の友達は「中国語の漢字(hanzi)って大嫌い!日本の漢字(kanji)は好きよ。とにかく中国って~」と(中国系)シンガポール人への悪口が止まらないし、ブラジル人の友達は「スペイン語にはうんざり!本当にブラジルはポルトガル語でよかったわ」と南米のスペイン語圏と一緒くたにされるのを極端に嫌がるし、とにかくもう、世界中の人は大抵隣の国のことが嫌いなわけです。
イエス・キリストが「汝の隣人を愛せよ」といったのは、わざわざそう言っておかねばならないほど、私たちにとって隣人というものが厄介な存在だから。
近くにいる人とは、どうしても利害関係がシビアになってしまうので、100%大好き!というわけにはいきません。
世の中一番強烈なのは「骨肉の争い」。近ければ近いほど、悪い感情が生まれやすいのは当然です。
遠くにいるあまり関係の無い人とは、それほど利害関係も生まれません。
日本にいて「バングラデシュ人大嫌い!」とか「ギリシャ人は最低だ!」とか「アルジェリアに帰れ!」とか、まず聞かないでしょう。
そもそも関わらない人とは、軋轢自体生まれないのです。
中国人や韓国人のことを悪く言う人がいるのは、それほど私たちが中国や韓国とかかわりを深く持って生きていることの証左でしょう。
人種差別がばかばかしいわけ
スピリチュアルな視点で見ると、「○○人だからどうだ」と決め付けたり差別をすることは、あまりにも馬鹿げていることです。
なぜなら、あなたは過去、日本人ではなかったから。
私も過去に中国人だったことがあるので、中国人の気質(特に東北地方)は理解できます(満州族だったので)。
ヨーロッパで生きていたことも多いので、キリスト教文化圏の思想も馴染みやすいです。
「中国人なんてどうせバカだ」と言っている人が、5世紀前は中国人だったとしたら?
あまりにも滑稽ですよね。だって、過去の自分やその子孫をバカにしていることに他ならないのだもの。
他の民族をひとくくりにしてこき下ろすのは、過去世の自分をあざ笑っているのと同じなのです。
そこまで自分をバカにして貶めなくてもいいのに……^^;
あなたも、ただの地球人
「地球人」なんて結局は同じ。
大好きな人が死ねば悲しみ、仲間に裏切られたら傷つき、嬉しいことがあれば喜ぶ。
もちろん生まれ育った文化や宗教によって、表面的なアプローチや思想はかなり変わります。
しかし、深く付き合っていけば「どこの国の人も結局同じなのだ」とわかります。
だって、究極的には、相手は一つの魂であるのだから。
どこの国にも、気の合う人もいれば合わない人もいます。
「○○人だから」と色眼鏡をかけてしまうと、せっかくの生涯の友や伴侶となる縁を見逃してしまうかもしれません。
ビジネスなどで「表面的な付き合い」をせねばならない場合は、そこの文化的な背景や傾向を十分くんで動かなくてはならない場合もあるでしょう。
でも、「深い付き合い」をするならば、人間はどこにいたって同じです。
地球人は、ただの地球人なのです。
輪廻転生がわかると、争い事ってなくなるのよ、自分のなかで。
差別ってのも消える。
一番手っ取り早い平和への解決方法だと思っている。
・・国が〜とか・・人が〜とかアホくさくなるはず。— アム (@mammadiamina) 2017年9月6日