女は理で磨かれ、男は情で磨かれる

人生:スピリチュアルブログ

8/15のメルマガにも書いたのですが、あまりにも金言すぎると思うのでブログでもご紹介させてください。高尾義政先生の言葉です。

女性の情というのは相手を駄目にしますが、その代わり薄情であればあるほど運をつかみます。
また逆に男性は薄情ですと、成功はなかなかできません。

これはバランスということで、男性は縦線ですから理的世界です。
つまりバランスを取るには情的世界であったほうがいいわけです。
女性はその逆です。

算命学Ⅶ 

これ、マジ金言だと思いませんか。
いや、本当にそうだと思うんですよ。

女の情は相手を駄目にする。夫や恋人ももちろんですが、子どもも情をかけすぎると窒息して無気力になり、マザコン男のようにダメになってしまいます。

一方、情の薄い男も見どころがない。
良いことも悪いことも両方しているけれども、それでも私が田中角栄・元総理大臣が好きだなーと思うのは、厚い情を感じさせる人だからです。

情が厚い男はもちろん冷徹なライバルから足を引っ張られて貶められる機会もあります。しかし、やはり徳分があるので多くの人から慕われるんですよね。

運命の常識と一般の常識というのは、微妙なところでちがっているのです。

算命学Ⅷ p82

この言葉の通りです。常識で考えたら情の薄い女なんて幸せになれないと思うでしょうし、感受性豊かな男なんか出世しないと思われるでしょう。
でも、小池百合子さんを見て下さい……。

女帝 小池百合子 (Amazon)

小池百合子さんが男だったら、都知事まで上り詰めていたか?
私はそうは思いません。薄情な女、政界渡り鳥だからこそ、女帝になりえたのだと思います。

そう考えると、あまり出世していない目立たない女性政治家は結構性格が良いのかもしれません。自殺しちゃった三宅雪子・元衆議院議員なんて、ピュアで真っ直ぐでしたよね…。

写真AC

もうすこし身近なことでいきましょうか。

例えば、男の方から「好きだ」「好きだ」とやってきて、女の方では別に好きでも何でもなくて「まあ、そこまで言ってくれるなら」と思ってOKして肉体関係を持ち、付き合う内にだんだん好きになって、本気で男に惚れたとします。

こうなったときに、男が「俺の気持ちをわかってくれたんだ!ありがとう!」とその女を大切にするかというと、大抵の場合、違うわけです。
むしろあれだけ「好きだ」「好きだ」と口説いていた女を蔑ろにしだして、浮気したり連絡がマメだったのがサッパリになったりするわけです。

つまり、女が情をもって男を愛しだした途端、関係は良くないものに変容してしまうのです。女が情的なのはダメなわけです。

横軸(情)ではなく縦軸(理)を持ってこないと、中庸にならないのです。
恋愛依存がダメだっていうのはここですね。恋愛依存の女は情に溺れますから、バランスを欠く、つまり存在の美にならぬのです。

愛しすぎる女たち (中公文庫)
ロビン ノーウッド
中央公論新社

データを見ながらブログ運営をすると行き詰まる理由

これも縦線(理)と横線(情)の理論で行くとわかりやすいです。
データを駆使してブログ運営をすると行き詰りやすい、つまり、爆発的な人気は得られなかったり、やる気がなくなってしまったりしやすいのです。

あと、グーグルのルールに振り回されて軸がブレブレになるのも、ブログ運営あるあるです。SEOとかまじくだらねえ~。

なぜなら、ブログというものがそもそも多くは「理」でできているものです。ブログ運営にはプログラミングの知識も必要ですし、ネット自体がそもそもデジタル媒体ですし、見せ方を工夫するのも「理」で行います。

だからこそ、内容は「情」でなければならないのです。そうでなければバランスが取れません。中庸になりません。

別の言い方をするなら、理系の人ほど情熱的にふるまったほうが人気が出るし、文系の人ほど理知的にふるまったほうが評判が良くなります。理と情のバランスが取れるからです。

理系の人が理知的にふるまっても何も面白くないし、文系の人が情的にふるまっても陰気な根暗に見えてしまいかねません。どちらかを陽にするなら、どちらかを陰にしてバランスを取ると良いのです。

8/8発行のメルマガでも「理論と実践の調和が大事だ」ということを書きました。これも陰陽をそろえることによって中庸に導くという考えです。

陰と陽の調和というのは難しいもので。理論と実践の調和というのも難しいものです。頭でっかちに理論だけではだめだし、実践だけでも志がないと魂が磨かれない。

最近占いの記事を多く書いていますが、ちょくちょく「占いばかり頼るとダメだよ」ということをはさむのも、この理論と実践の調和が大切であることと同じです。
占いは武道における型と同じなのです。
型ばかり稽古しても実戦では役に立たないし、実戦ばかり重視して型をおろそかにすると心が育たない。

どちらも育てねばならないのです。

でもスピリチュアルや占い好きの人はど~うしてもそっちに偏りがちなので
「日常生活の目の前にいる人が一番魂を磨いてくれる人なんだよ」
とクギをさすのが大事なわけです。

だから、占いは(特に後天運、西洋のトランシット)「結果論」で見るくらいが、良いと思っています。

「後から見たら、占いで出ていた通りだったわ、占いスゴイ!」
くらいがちょうど良いのであって、未来を細かく見て「今月は申月だから、こう動きましょ」なんてのはやりすぎだと思うのです。

そうじゃなくて、もっと自分の中のアンテナを育てないと。
型に頼ってないで、自分の内なる生命力、フォースを目覚めさせないと。

そう思うから、お水取りとか祐気取りとかにも、あ~んまり良い顔ができないわけです。

そういうの楽しいでしょう。
はまっちゃうでしょう。
だからこそ、依存しちゃいがち。

一番大切なのは、占いがなくても自分の感覚で動いていけるようになることです。
つまり、易を学んだとして、その万物のサイクルを自分で体感できるようになる
理論がなくとも理解できるようになるのが理想であります。

理性も感情も、どちらも大切です。
陰も陽もどちらも大切なように。
だから、どちらもそろえたほうが良い。

そういう意味で、女は理性を磨き、男は感情を豊かにすることでよりバランスが取れるということでしょう。

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