陽の西洋占星術と陰の東洋占星術

占い

この記事は、占いマニア向けの記事です。
「私はどんな性質かな~」みたいなライトな内容はありませんので、マニアの方のみ、どっぷりニッチにお読みください。

天から眺める東洋と、地から見上げる西洋

西洋の星占いと東洋の干支占いを並べていると「本当に陰と陽で鏡だなあ」と思います。西洋の考え方と東洋の考え方が映し出されて、面白いです。

東洋の占術は、時計回りで物事を進めていきます。十二支も時計回りの順に並びますし、季節も時計回りに並べます。

日本では四方位を東西南北(とうざいなんぼく)といいますが、中国では東南西北(普通話ではドンナンシーベイ)といいます。麻雀やる方には「トンナンシャーペー」でお馴染みですね。くらえ、国士無双十三面ライジングサン!!!(※ただし四索)

これも地図を見たらお分かりの通り、東→南→西→北で、時計回りに読んでいるのです。

対して、西洋の占術は逆時計回りになります。
12サイン(12星座)の配置も、12ハウスの配置も、逆時計回りに並べられます。

StargazerSATで作ったグルグル

なぜこの差が出るのでしょう?
それを知る手掛かりが、高尾義政先生の算命学の教科書(算命学原理編)に書かれています。

殷王朝期に成立している五行説および暦術の思考は、地上の中心から天に伸びる天軸の発想に存在していて、この型を念頭に置いて理解していかないと、これ以後の干支思想をつかみ取ることができなくなります。

天軸の発想は古代東洋のもので、少なくとも西洋には存在しない考え方です。西洋における十二星座や十二宮の発生と、東洋の十二支の考え方は、共に十二という区分を生み出してはいても、発想の根源はまったく別個のもので、混同して考えてはいけないのです。

西洋の十二星座の発想は天軸の考え方がなく、天空を大きなドーム型にとらえていて、実に幾何学的な発想をしているのです。

西洋の天文思想は、項を別にして説明するつもりでおりますが、古代の西洋人は常に観測を根底に置いていて、地上と天文の連結がありません。

それに対し古代の東洋は、常に地上を主、天空を従に置いているのです。
古代の中国が天体の観測に力を入れ、あらゆる現象に天文学的法則を取り入れるようになったのは、周代および漢代になってからのことであります。

算命学Ⅱ 算命学原理編 p349~350

つまり、東洋の占いは地図の視点、天から地を見下ろした視点で作られており、西洋の占いは地から天を見上げた視点で作られているのです。見方が、まったく逆なのです!

天から地を見れば、地球は西から東に動いております。右へ右へと動いていく。始点から右へ動くのは時計回りです。
天気図は天から地球を眺めた図ですが、西から東へと動いていきます。天気は西から東に変わっていくからこそ「夕焼けだと次の日は晴れ」と言われるわけです。

一方で、地から天を見れば、天(太陽や星)の方が東から西に動いているように見えます。でも、実際に動いているのは天ではなくて地球です。ですから西から東に本来動いているのですが、地上から見ると相対的に東→西に見えてしまう。真逆なのです。

そう、私たちはまさに真実と「真逆のものの見方」をしながら生きているとも言えるのです。本当は自分(地球)が西から東に動いているのに、太陽は東から昇り西に沈む(ように見える)から、太陽のほうが東から西に自力で動いているかのように錯覚してしまうのです。

だから、意識して自己の視点から抜け出なければ真実が見えない。グルジェフはそれゆえに「自己想起」の大切さを説いたのでしょう。

このあたり、セッションでレインボークォーツが選ばれた方は特に重点的なテーマになりますので意識してみてください。

「現実面でのピーク」をどこに持って行くか

東洋と西洋で、「現実的に一番栄える場所はどこか」「精神面で一番栄える場所はどこか」を考えると、実に興味深いです。

東洋の干支占術で現実的に一番栄える場所は、午だと思います。「土は火母に従う」というように力があり、一番陽の気が強いのは夏であり、午(夏至)だからです。
陽、つまり「現象的に見える(わかりやすく栄える)面」は盛夏の午なのです。

一方で、西洋占星術で現実的に一番栄える場所は山羊座です。山羊座はご存知の通り、冬の真っ盛りであり、冬至からはじまる星座です。
乙女座で自己の研鑽を終え、天秤座で他者と相対する世界が始まり、山羊座で社会のトップに立ちます。

そして、東洋の干支占術で精神的に一番充実するのは亥ではないでしょうか。一番陰の気が深まる冬の時期です。異常干支として一番霊感が強いといわれるのも丁亥の干支になります。

対して西洋占星術で一番精神的に充実するのは魚座です。これは何と春分点とのさかい目となり、ずいぶんと東洋とずれる形になります。

つまり、この見方でいうと東洋の占いは精神面と現実面がほぼ1:1なのに対して、西洋の占いは精神面:現実面=1:3(3:9)なのです。(ここで物質世界を離れた精神的な星座とは、水瓶座・魚座・牡羊座を指しています)

西洋は物質的な成果(目に見える陽)に重きを置き、東洋は精神的な成果(目に見えない陰)に重きを置いていると見えますが、いかがでしょう。

すっごい気になる「15度の差」

十二支と12サイン、見比べていて
「うーん、気持ち悪い。なんでこうなんだ、なんでなんだー!!!」
と納得行かない点がありました。

15度の微妙なズレです。
十二支と12サインは、微妙にずれているのです。

例えば、山羊座はちょうど冬至にはじまるようになっています。
しかし、十二支にとって冬至は子月のど真ん中にあたります。
黄経にして15度ほどずれるのです。

12サインの決定方法はわかりやすいです。
「春分点になったな、じゃあ牡羊座からスタートだ!」
ね、わかりやすいでしょう。

でも、東洋の暦は春分・秋分、夏至・冬至が月の真ん中に来るように作られているのです。なんでそんなまだるっこしい、わかりにくいことしてんだろう、「春分、ハイ、スタート!」のほうがわかりやすいだろうに、と謎でした。

しかし、東洋の干支を勉強していくうちに「おうそうきゅうしゅう」という考え方があるのを知りました。すべての物事には生まれて育って栄えて衰え死んでいくという一連のプロセスがあるという考え方です。

ですから、子月の場合始まりは「因」であり、やがて栄えて「相→旺」になり、そして衰えて「休→死」を迎え、次の丑月に移っていく――このような考え方をした場合、陰の気が旺になる冬至は、当然真ん中でなければならないのです。

はじまりに冬至をもってくるわけにはいかない、東洋の考え方では、それは不自然なのです。

わかりやすい西洋はやはり陽、(しっかりとした論拠はあるが)わかりにくい東洋は陰であることよなあとしみじみ思いました。

この考え方は「スタート地点の違い」にも表れています。
十二支のスタートは子(旺じて冬至)であり、12サインのスタートは牡羊(春分点)です。

いよいよ春めいてくる、草木が目覚める地点をスタートに置くのはわかりやすい考え方です。一方で冬至をスタートに置くのはわかりにくいです。緑が茂り花が咲き実るには、まだまだ長い時間を必要とします。

しかし、の考え方からすると、はじまりは因(もしくは死)でなければなりません。因は字が示す通り(物質世界という視点では)自由がなく自力で何かをなすことはできません。まるで、深い雪をかぶって休眠せざるを得ない麦の姿のようです。

長い準備をして、はじめて芽吹き茂り実らせることができる。それが東洋的な考え方で、ストレートな西洋思考とはやはり違うものを感じます。表向きの繁栄だけではなく、裏をしっかり見るというのは、陰の文化と言えましょう。

中間のインド占星術はどうなるのか

インド占星術は、東と西の占星術の比較対象として大変興味深いです。
もし馴染みのない方がいらっしゃったら、インド占星術(ジョーティッシュ)研究プロジェクト・Jyotish Researchにて自分のチャートを作ってみてください。

アーユルヴェーダライフ・インド占星術(ジョーティッシュ)研究プロジェクト
アーユルヴェーダライフにおけるインド占星術(ジョーティッシュ)研究プロジェクトのサイトです。

パッと見て「紫微斗数だ!」。
チャートを円に書きだす西洋占星術と、四角に書きだす東洋占星術。

更に見ると西洋占星術の見慣れた記号が目につきます。紫微斗数とは違って干支らしきものは使われておりません。しかし、ハウスの並び順は西洋とは逆で東洋式(時計回り)です。

ちなみに、紫微斗数の宮(ハウス)の並びは性別によって時計回りにも反時計回りにもなります。

男性では陽年生まれ(甲、丙、戊年生まれ等)、女性は陰年生まれ(乙、丁、己生まれ等)は、順運と称し、右回り(時計回り)にひとつずつ10年の運が変わっていきます。

 反対に女性の陽年生まれ、男性の陰年生まれは逆運と称し、左回り(反時計回り)に「ひとつずつ10年の運が変わっていきます。

欽天四化紫微斗数の世界-因果を乗り越えて… p38

西洋占星術のホロスコープを見慣れている方は、インド占星術のチャートを見ていると違和感を覚えるでしょう。「あれ?星座がちょっとずれてるぞ…?」と。例えば、太陽牡牛座の人は太陽牡羊座になっていたりします。

そしてさらに見て行くと、東洋占術でいう「大運」みたいなものが出てきます。

西洋占星術でも惑星の年齢域によって約10年くらいのスパンでのテーマを見ますが、その並びは万人共通です。しかし、インドの場合は人によって惑星の消化の順番が変わってきます。その人によって並びが違うという意味で、東洋占術の大運と類似点があります。

インド占星術では60年を一周期「木星周期」として扱います。これは木星の一周するサイクル12年に周期のユガである5を掛けて出している、となると12支に5行をかけて60干支を出している東洋占術と共通点が見られます。

六十年[の木星周期]・五年[周期のユガ]・年・月・日・時間の主宰神の由来と区別を知っている。(注:ヴェーダ時代は五年を周期とする暦が用いられていた。本書では六十年からなる木星周期を五年ずつの十二種類に分けている)(p16)

<木星年の求め方>

20 シャカ王の年数に十一を掛け[さらに]四倍し、八千五百八十九を加えて三千七百五十で割る。

21 その商にシャカ王の年数を加え、六十で割り、[余りを]五で割る。得たものは「ナーラーヤナ(ヴィシュヌ)」をはじめとする[五年]ユガである。余りも[ユガ内の年数に]等しい。

22 [現在の60年周期の中で過ぎ去った]年数に九を掛け、別に十二年ごとに一つずつ順に加える。四で割ると[商は]ダニシュター宿をはじめとする星宿である。年[の木星の位置]は余りの、「度」をはじめとするものである。(p54~55)

占術大集成(ブリハット・サンヒター)1 古代インドの前兆占い

なるほど、わからん。

引用した文章では、この解説の後に木星年による具体的事象が続きます。「○○の年は豊作だよー」とか「××の年から5年間は雨が多いよ!」とかです。

これは中国での干支の使い方と類似点がありますね。ちなみに今年2020年は庚子年なのですが、庚子の年は荒れると昔から言われております。うん、コロナ……。

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「五」という概念

インド占星術と東洋占術で出てくる5と(12と)60という共通項は、西洋占星術には出てきません。実際、西洋占星術で5分割であるクインタイルはマイナーアスペクト扱いです。

人間の手や足の指は五本です。手で日にちを数えると「旬」になります。「8月上旬」というのは「8月のはじまりから10日間」という意味で、これは1から10まで両手で数えた結果なんですね。

本来、5というのは、かように生活に密着した大切な数のはず。なのに、西洋の占術ではあまり重要視されないように見えます。

東洋の方位の考え方では、四方の東西南北だけではなく「中」、つまり「自己の場所」が存在します。しかし、西洋の方位は東西南北のみで「観測者の地点」がありません。ゆえに、方位をみる時東洋は五点、西洋は四点という差異が出てきます。

これは本当は5大元素だったはずのものを「五感では感知できないものを否定する=エーテルを除去する」ことによって4大元素(火・地・風・水)にしてしまったことと関連するのではないでしょうか。事実、ティマイオスにはエーテルに対応するプラトン立体が示唆されています。

【画像】Wikimedia Commons

キリスト教も、初期の教義では輪廻転生を否定していませんでした。しかし、のちのち権力者にとって都合が悪かったらしく聖書は改ざんされ、初期の教えを守るグノーシス派は異端として弾圧されてしまいました。

仏教もヒンズー教も輪廻転生を否定しません。西洋の物質主義と東洋の精神主義という差異は、実はエーテル体を否定することで五大を四大にしてしまったことからはじまっているのかもしれません。

さて、東洋の占術と西洋の占術を眺めてみて感じた由無し言を気ままに綴ってみました。しかしながら私の知識も浅薄なものですし、間違いもあるかもしれません。もし違和感を感じる点、付け加えたほうがわかりやすく親切だという点などございましたら、コメント欄でご教授いただければ幸いです。(下にコメント投稿欄を解放しておきます)

コメントは承認制です。
この記事の内容(東洋と西洋の占術における理論的な比較文化)に沿っているコメントのみ承認いたします。

学術的向上を目的としたコメント欄の解放となりますので、占術に対する専門知識のない方のコメントはご遠慮ください。単なる感想もコメントいただく必要はありません。

繰り返させていただきますが、「違和感を感じる点、付け加えたほうがわかりやすく親切だという点などございましたら、コメント欄でご教授いただければ幸いです」。ご理解いただきありがとうございます。

コメント

  1. Nozomi Nozomi より:

    ヘリオセントリックは時代が下ってから出てきた占術であることは間違いないと思います。
    しかし、年代的にはっきりといつからということは不勉強ながら存じません。

    そもそもがこのような占星術というものが発展してきた長い間、キリスト教の教義もあって天動説が優勢でありました。ヘリオセントリックなんて考え方がでてきようもありませんでした。

    ただ、もっともっと時代を遡っていきますと宇宙人との交信によって正確な宇宙の姿を把握していた文明が散見されます。
    記事中に紹介したプラトンの「ティマイオス/クリティアス」にもアトランティスについての記述があります。

    ギリシア時代には少なくとも、まだ「宇宙からみる地球はどうなっているか」という概念が残されていたのではないでしょうか。松村潔氏も、古代ギリシアにはまだ神がいたということをおっしゃっています。

    そもそも占星術というのは地球人的な視点から見た「型」でありますので、ジオセントリック・チャートによって地球的な「型」を習得したあとに、さらにそれを発展させ宇宙的な存在へ至るためにヘリオセントリックという技術が地上に降りてきたものと私は考えております。

    古代文明には普通にあった宇宙人的観点を取り戻すためのコズミックな技術、それがヘリオセントリックではないでしょうか。
    そう考えると、中世にはまだこの技術は早かったのではないかと考えます。必要なときに必要なことは明らかになる、という意味です。

  2. より:

    こんにちは。
    興味深く拝見致しました。

    西洋占星術では
    ジオセントリック…天動説(地から見上げる)
    ヘリオセントリック…地動説(天から眺める)
    と言われていまよね。

    私はヘリオセントリックを知って半年ほどで、知識量はのぞみさんには及ばないのですが、ヘリオセントリックの考え方は、近代になって出てきた考え方なのでしょうか?私は英語が不得意なため海外の文献などを読むのが難しいのですが、、

    もしよろしければ、のぞみさんなりの解釈をお聞きしたいと思いました(^^)

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