高尾義政先生の算命学の教科書を読んでいて、「そ、それかー!!!」と自分の性質についての謎が解けた、アハ体験をしたのでシェアさせてください。自刑の話です。
私、職場恋愛とか職場結婚とか、絶対無理派なんです。
クラス内恋愛とかサークル内恋愛とか、友達グループの中での恋愛とかも、絶対無理なんです。これはもちろん、自分が無理なだけであって、人がする分には全くいいと思いますよ。
そう、人がする分には全然「いいじゃん」って思うのに、自分には、絶対にそんなことは起こらないと考えておるのです。
なんか変ですよね。
これ、自刑のせいだったんです!!
自刑というのは、亥・亥、酉・酉、辰・辰、午・午の4種類の組み合わせのことです。私は午月の丙午日生まれですので、宿命に自刑があります。
詳しく知りたい方は自刑で調べてください。
一言でいうと、身内と争いが起こりやすいという形になります。
「身強の自刑はあまり影響が出ない」と言います。確かに私(自刑の午は天将星)も親とは縁を切ったものの、溜めて溜めてブチ切れるまではメチャクチャ争いがあったとは言い難いです。
ですが、やっぱり、「これ自刑だよな~」って思うところはあるのです。
それは、親しくなった人と心の距離ができること。
「親しくなったのに心の距離があるってどんな状態やねん」と思われるかもしれません。自刑は自分への刑、だからこそ身内と刑(ゴタゴタ)が起こるということになりますが、つきつめると「極まっているがゆえに(自刑は季節の極。午だと夏の極み)中庸を保ちにくい、すなわち内面に葛藤を抱えやすい」ということではないかと思っています。
自分の内側のゴチャゴチャが相手(身内)に投影されるがゆえに、相手にイライラを感じてしまうのであると。根は「身内」ではなく「自」なのだと思っています。
よくあるのが、相手はそんなにストレスを感じていないことでストレスを感じるというか、相手は自分と仲が良いつもりだし、確かに仲は良いし親しいのだけれど、自分側としては「うーん、やっぱりわかってもらえないよなぁ」と思っている状態です。
これは全面的に自分の問題であって、相手側に何か非があるわけではありません。
だから、お付き合いしている男性に対して、私は「この人って、自分のこと一番理解してくれる人だよなぁ」と思ったことは一度もありません。

彼ね、私の話を黙ってうんうんって全部聞いてくれるんだ
だから彼といると心が軽くなって楽になれるの

エッ
この世に彼女の話を
聞いてくれる男なんか存在すんの!?

エッ

エッ
まあ~認知の歪みも大概ですよね。女の話を黙って聞ける男はおるわい!!
私も、ちゃんと考えてみたらそういう「話を聞いてくれる男友達」は思い浮かぶのです。友達だったら、「この人は話を聞いてくれる」という信頼感は持てる。でも、恋人に対しては「まあ話通じないわな」と思っている。
職場恋愛・結婚や趣味のサークル内での恋愛が考えられないのは、職場や趣味が合う人は話が通じるんです。つまり、わかってくれるんですよ、共通項があるから。
だからこそ、私はそういう人と付き合えない。
オタ活だってそうですよ。
私、同じカップリングやキャラを好きな人と、どうも仲良くなれないんですよ。他カプとか他キャラを好きな人のほうが不思議と仲良くなれるんです。同担拒否ではありません。でも、なーんか、不思議と距離ができちゃうんです。
私、こんだけ村上春樹が嫌いな(3ページめくった時点で、何が言いたいんだかサッパリ理解できなくて放り投げる)のに、小説嫌いなのに、不思議と文学好きの人と仲良くなったりハルキストの経営者と仲良くなったりするんですよ。「1Q84の何が面白いんですか?」とか聞いて解説してもらったりするんですよ。
女装男子に対して、メイクが嫌いな私は「男なんだからメイクしないで済むのに、なんでわざわざ化粧なんかすんだ!?」と全く理解ができません。だからこそ、その心を知りたくて女装男子と仲良くなったんです。そしたら恋愛感情と勘違いされて困ったこともありました。いや、あなたの心の動きに興味があるのであって、肉体関係が欲しいわけではないのでございます……。ややこし!
おかしい。
おーかーしーいー!
何だその不可思議なロジックは!
で、これが自刑による現象だって話なんですよ!
自刑というのは家庭の中での争いです。争いがあるということで(注:開運するための)条件になっているのです。
だから何度結婚しても、あまりいい配偶者に出会わないというのは自分に原因があるのです。
結婚するたびに文句ばかりいう配偶者ならば、それがこの人にとって条件が合っているのです。
家庭運が悪くてはじめて伸びていくわけです。
このように家庭運に問題がある人というのは、環境、世界が全く異なるところから配偶者を選ぶと良いのです。
また、なにを話しても通じない人と一緒になっても条件に合うのです。人間というのは、すべて自分の持った条件が合えば満足するわけです。
人間には自然から与えられた範囲という役目というのがあって、それが全うできれば運命的な満足になるのです。しかし、そこには人間の感情の部分というものがあって、役目がそうであっても自分はやりたくないというものが沢山あるのです。
算命学Ⅶ p36~37 注、太字強調は記事作成者による
そこでいろいろ悩んでいくことになるわけです。
そういうことだったのかー!!
私、本当に話がかみ合わない人とばっかり縁があるんですよ!
「なんでそんな人と付きあってんの?」って言われますけれど、「だって好きなんだもの」って話なんです。
これが自刑!
OK、納得!!
ホントその通り。私、自分と世界の違う人と一緒にいるのが好きなんですよ。話がかみ合わなくても。それが自然なんです。
多分、自刑のある人が「話の合う人」と一緒にいると、話が合うだけに「なんでわかってくれないのよ!!」って争う形になると思うんです。だから、争いたくないなら「話しても通じないわな」という人と一緒におればよいわけです。
でもさ、世界の違う人と一緒にいたら楽しくない?
たぶん、多くの人は楽しくないのでしょうね……。
私は、自分と違う世界を生きている人の話を聞くのが大好きなんです。「へえー!へえー!そうなんだー!」と、ふんふん聞きます。自分はそうは思わないし、自分はそういうことは好きではなくても、その人はそれが好きなんだということで、「そういう人もいるのだ」と知ることができるのが楽しいのです。
ですから、バーにいって初対面の人と話をするのが大好きというのも「あなたの世界をあなたの視点から私に教えてください。それはとても刺激的なのです」ということなんです。
そういうと大抵の人が「自分の話なんてつまらない」といいますが、私にとっては「差異」こそが楽しいわけであって、例えばゴミ収集の回収の人だって、私の知らないコツを知ってるわけですよ。
「木曜日にはこのルートで回る時とこのルートで回る時がある」とか、ごみを集めるときのコツとか、現場の人じゃないと知らない話があるわけです。私の知らない世界がそこにはあるわけです。そういう話を聞くのが、私はワクワクして楽しくて仕方がない。
だから、昔釧路で漁師やってたじいちゃんの話とか「えー海ってそうなんだ!面白ーい!」って聞くわけですよ。そしたらお酒もおごってくれたりすんのね。笑「ここは俺が出すぜ姉ちゃん、ホラ好きなもん頼みな」って言ってくれるわけよ。別にそれ狙いじゃないけど、お互いに盛り上がって楽しい時間が過ごせるっていいじゃないですか。
私にとってはその「差異」こそが二元性の担保になっているのだと思います。二元性を保ってこの世界にい続けるには、「自分と違う人」が必要なのです。
だから、身近にいる人は自分とあまり話が合わないほうが良いのでしょう。うーん、面白いなー!
例えば、友達はスティーブ・ライヒとかミニマルミュージックが好きなんですけど、私には前衛芸術すぎて良さがわかりません。
私はシルミドという映画が最高に好きなんですけど、もうメチャクチャ泣けるんですけど、あらすじを言ったり予告編動画を見せただけで大体の人にドン引きされます。
あと、ヒプマイをプレゼンした友達、もしくは好きな友達は一人として(私と同じ)バスブロ推しにはなりませんでした。趣味合わない!!
リアルにドリカムの「あなたの好きなのは好きじゃない!」です。
でも、そのほうが「想像もつかない毎日がおくれると思わない!?」って話で面白いんだよな。
「それぞれの引力が違えば 広がっていく♪世界はもっと!」
つまり、箱推しで「みんな好き♥」ばっかになると、世界はツマンナクなるってことさ!!
ちなみに私はモンティ・パイソンのフィンランド観がめちゃくちゃ好きですよ。湖もサウナも白夜も出てこないフィンランド。笑う。
It’s the country for me! スオマライネン激おこ案件。
自刑というのは、見方によっては「本当ならば一番の理解者であってほしいはずの近しい人と分かり合えない」という苦い体験を通して、「相手には、どうしても自分にとって理解できない世界がある」ということを尊重する気質を伸ばしているとも言えます。
自刑を通した体験で得られるものというのは、異なる価値観への寛容さ、多様性への寛容さではないでしょうか。そして、わかりあえない孤独感から「自分のことを受容するのは自分自身の仕事、自分の感情に責任を負ってマネジメントするのは自分しかいないのだ」という精神的な自立を成し遂げることも可能と言えましょう。
あー、自刑、あってよかった♥♥♥
自刑ってば超happy♥♥♥