
私、普通になりたいんです。
普通になれない自分が好きになれない

どうして自分は普通に生きられないんだろうって思います
他の人は普通に生きてるのに
こんなことをおっしゃる方がいます。
私は「??? あなた、『普通』になったところで満たされないでしょう?」と思います。
そもそも「普通」というフワッとした単語を持ち出す時点で、こういう方は「心や魂が真に求めているもの」を具体的につかんでなどおらぬのです。
「じゃあ、あなたにとっての普通って、いったい何?」と問うと、「結婚して子どもが二人いて大学まで私立に通わせられる家庭」とか「年収600万でマイホームを建てて将来の心配がないこと」とか、それ完璧昭和ですやんという基準をおっしゃいます。
令和の「普通」はこれですよ。このマンガ読んでください。
あのね、今の時代に「普通に生きる」ということは、端的に言ってどんどん貧乏になっていくということですよ。昔と比べて今貧乏なら、あなたは十分に「普通の人」です。
お金がないなら、あなたは大変普通ですよ。
働いても働いても生活が楽にならないなら、あなたは非常に標準的な人間ですよ。それ、普通ですよ。
Perfumeの「Dream Fighter」で歌っているように、「普通」の基準が実は普通ではなくて理想に近いのですよね。普通というのはもっと地味でツマンナイ生活ですよ。
健康で長生きするには、宇宙的な影響に対して閉鎖して、ごくわずかしか影響が入らないようにするという工夫が必要です。
すると人生は退屈になります。
楽しくなるにも楽しすぎてはならないのですから。
夕方のんびりとお茶を飲む。
こんな退屈な話はありませんが、これを楽しむふりをしなくてはならない。このためには個人(物質的生存)というものは価値があると思い込まなくてはなりません。退屈を耐え忍んで生きていると癌になるのかもしれません。
松村潔ブログ 20180915 強すぎる第二の注意力
団塊の世代以上の人が「普通が一番」というのはわかるんです。だって、右肩上がりの時代を経験してきたわけですから。「普通」にしていると、ドンドン豊かになっていきましたから。
そういう時代には、周りに合わせて普通に生きて「明日があるさ!」と思えば、なんとかなったのです。
でも、50代以下の人が「普通になりたい」というのは「貧乏になりたい」「余裕のない生活をしたい」「夢のない人生を送りたい」と言っているようなもの。
さて、あなたは本当に「普通」がいいのですか?
「普通」になれば、あなたは幸せなのですか?
今の時代の「普通」というのは平均よりも収入は低いですよ。なぜなら、平均値より稼いでいないほうが多数派なんです。「普通」なんです。
「普通」にしてると、ドンドン堕ちていくのが今の世の中です。
これは物質的基準だけではなく、スピリチュアル的基準でもそうです。
「普通」にしている人は普通に落ちていきます。ディセンション組に入ります。
精神性を磨いていきたいなら「普通」でいてはいけません。標準的な生き方をしている人は落ちていきます。二分化していくのが今の時代の流れだからです。

「普通ではない自分」じゃないと、なかなか満たされませんよ。いつまで「普通になりたい」「普通になれれば幸せになれる」だなんて、フワッとした夢を見ているのですか?
目覚めてください。
もう時間の猶予はそれほどないですよ。
今の時代において「普通」に価値はないです。というか、その「普通」と思っているものは単なる幻です。そもそも令和には存在しません。
まずは今の自分を受け入れて、地に足をつけること。
「普通でいれば安心」という幻想を手放すこと。
それでこそ道は見えてきます。