「一人を楽しめる」と人生は豊かになる

人生:スピリチュアルブログ

安岡 正篤 「易経講座 運命を開く知恵 人間学講和」を今読んでいるのですが、備忘録がわりに書かせていただきます。役立つ情報だとも思いますので。

おみくじの本当の意味

易ではよく大小というのですが、これは陰陽を表わす言葉であります。小は陰で統一含蓄を表すから、形量的には小になります。反対に陽は分化・発展ですからどうしても大になる。

おみくじの大吉小吉も吉の大小をいうのではないので、陽的が宜しい、陰徳が宜しいということです。大吉が出たと喜び、小吉だと情けないというのは誤解であります。

したがって中吉は、これは矛盾を克服して一段進歩するがよいということ、相対的段階にあってはいけないということということになる。ほどよい真ん中という意味ではない。

安岡 正篤 「易経講座 運命を開く知恵 人間学講和」 p132~133

これ、お恥ずかしいことに、私まったく勘違いしていました。大吉が大きな吉で小吉は小さな吉だと思っておりました。

でも、違うんですね!
大吉は「陽であることが吉」で、小吉は「陰であることが吉」で、中吉は「中庸へいたることが吉」という意味なんですねー!

家康の教え「夫婦は一緒に寝るな」

子どもが増え、家庭の数が増える、親戚知己との付き合いが増える、種々と事面倒になって来た時に、時々家族から脱出することを考えないと、いいお父さまになってしまって、そのうち意気地がなくなって、(注:尾崎)紅葉の名句にも、子を持ってわれ老いにけり秋の月、どうにもいかんようになる。

最も親しいもの、最も愛するものから、最も逃れることが必要で、家康も、娘を嫁にやった時に、しばらくしたら夫婦は必ず別々に寝よ、というている。さすが家康だと思う。

しょっちゅう夫婦同衾しているようなことでは、天下の大事をなすに足らないので、愛する女房ほど、これからのがれる心掛けが必要です。

(中略)

愛すべきものは愛してそれに溺れない。そして反面には、厳たる自主性・創造性・独立性を持つ。これは厳であります。

安岡 正篤 「易経講座 運命を開く知恵 人間学講和」天山遯 p166 注は記事作成者による

これ、カリール・ジブランの詩と同じことを言っていますよね。以下の詩です。

仲むつまじくても互いに距離をおきなさい、
そして二人のあいだに天上の風を吹かせよう。

愛し合っていても、愛で束縛してはいけない、
二人の魂の靴のあいだに波立つ海をあらしめよう。

互いのカップに注ぎあっても、一つのカップから飲まないこと、
パンを与え合っても、一塊のパンから食べないこと。
一緒に歌い踊って楽しんでも、互いを独りにしておくこと、
同じ音楽に震えるリュートの弦でさえ互いから離れているように。

愛情を与え合っても、それをしまいこまないように。
生の手だけが二人の愛情を納められるのだから。

一緒に立つときも、近くに寄りすぎないこと。
神殿の柱は離れて立っているのだから、
樫も樅も互いの日陰では育たないのだから。

カリール・ジブラン 預言者より

いくら恋しいと想う相手がいたとしても、関係性に依存してはいけないと戒めているのです。家族がいても「一人」であることを持続せねば、魂は窒息してしまうと。

きちんと、孤独を楽しめるようになっておくというのは、人生における大目標であります。「一人じゃサビシイ~☆」なんて言っている人は、年をとるにつれヒタヒタと絶望に満たされていくという静かな、内面的に壮絶な生き地獄生活を送らねばならないからです。

老人になったら、一人で脳内妄想を楽しむことで何時間も時間を消費できるような人が最強です。これなら体が悪くなっていても可能であるし、何より相手を必要としません。

「一人じゃサビシイー☆」なんて甘えん坊な人は、老いると本当に本当に本当に寂しい世界で生きねばなりません。

なぜなら、歳をとるということは「同年代の人が死んでいくということ」だからです。若いうちは当たり前に「世代だよねェ~!」で通じる話が、長く生きれば生きるほど「肌感覚で理解してくれる人」がいなくなっていくのです。

浜崎あゆみ / M

「やっぱあゆだよねー!」「だよねーウチらの青春だよねー!」なんて会話は、2070年まで生きのびている人には難しいのです。「浜崎あゆみですか?平成ってそういう歌手がいたそうですよねー」と若い人に気を遣ってもらえるかもしれませんが、90年代のあゆのキラメキを瞬時に理解できる人は、既にほぼ鬼籍に入っているのです。

King Gnu – 白日

令和の若者だって同じです。King Gnuだって米津玄師だってOfficial髭男dismの話だって「昔はそういうアーティストがいたんですね」と「知らない人が大多数の時代」が来ます。

今は311を体験した人が多数派ですが、30年もしたら「あの震災を知らない世代」が社会の中心になってくるんです。
「戦争を知らない子どもたち」ならぬ「震災を知らない子どもたち」です。

『戦争を知らない子供たち』 ジローズ

そう、自分の過ごした「時代の空気」を共有できない人が多数派になっていくのです。
生きれば、生きるほど。

だから、「共感」をベースにいつまでも生きていこうとすると、老年期に地獄を見ることになります。若年期には全然OKなんですけどね。周りの人は大抵「自分が今まで生きてきた時代」を知っていますから。

若い人はまあいいにしても、30を過ぎたなら人間は「孤独」というものを大切にし、孤独であることに価値を、重きを置かねばなりません。

これは周りに人がいるかいないかは関係ありません。
周りに人がいたとしても「自分の気持ちはわかってはもらえないもんなあ」とぼんやりと思うこと、そしてその状態をなんとかして「わかってもらおう」とはしないこと、孤独を受容することができればOKです。

これができている人は老年期が来ても何も怖くありません。体が動かなくなっても何も怖くありません。「わかってほしい」と期待することで傷つきもしません。身体的に不自由になっても自分の内側に素晴らしいマイワールドを構築することができます。

なのに、60~70歳くらいまで友達や家族とキャッキャ「共感」「わかるー!」で生きてきた人は、同年代の人たちが死に出すと本当に暗い世界に放り込まれることになります。最悪、妻に先立たれて自殺するとかしかねません。

ですから、恋愛依存は悪なのです。

恋が始まって3カ月くらいは確かに、相手のことばかり考えても当然かもしれません。でも、3年以上付きあっているというのに「彼のことがイチバン!」「あの人がいなきゃ生きていけない!」みたいな人は、ヤバイです。

それ、依存入ってます。
不幸まっしぐら。
恋愛依存、やめよ? 精神的に自立できないって、大人として恥ずかしいことだよ?

「家族のために生きる」も人によっては50代くらいまでは必要かもしれませんけど、老年期に入ってまで「家族のために!」とか言ってたら、却って若い人たちの足を引っ張る迷惑な老害になってしまいます。

「一人は楽しい」を強がりではなく言えるようになったら、老境も健やかに過ごせることでしょう。若いうちから「一人でいる時こそ人生で最も楽しい時間である」という感覚を、少しずつ育てていくことが肝要です。

算命学の教科書にも、男の子は集団遊びをさせ、女の子は一人遊びが上手になれば心配ないと書かれています。

これは男の人は友達とつるむのが苦手な人が多く、女の人は一人でいるのが苦手な人が多いことからでしょう。そして、女の人は比較的長生きするので、孤独に強い性質はゆくゆく大変な宝となるのです。

「さびしいさびしい、いつも一緒じゃなきゃヤダ☆私の気持ちわかってくれなきゃヤダ☆」とか言っている甘えん坊の女性は、子供の頃や若い時は可憐で愛いものですが、老いた時には周り(若い人)のお荷物になるということですね。

スピリチュアル的に言っても、「ワンネス」に到達するには孤独が必要です。すべてつながっているという感覚を、全く自分は孤独ではないという感覚を得るのに孤独が必要なのです。

矛盾しているように見えるかもしれませんが、二元性の世界というのはそういうものです。

だから、夫婦でベタベタ一緒に寝るなという家康の言付けは、実に含蓄ある教えと言えます。結婚したからって他人は他人、それを自覚しちゃんと相手と距離をとる、つまり孤独を大切にする人こそ、魂が磨かれるのです。

生々これが易、限りなく生々の道を歩むのが人間の道であるが、世の常としてそれに背いて、生々と変易していかない。
到るところ人生は悩みであります。

この悩みをいかに救うか。
これが易であります。

安岡 正篤 「易経講座 運命を開く知恵 人間学講和」 p197
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