占いやスピリチュアルに依存してはいけません

占い

私は、神社巡りや祐気取りなどスピリチュアルな手段に「はまりすぎる」ことは好ましくないと考えています。

スピリチュアルにはまりすぎると、人に興味をなくす、目の前にいる人と愛を育むレッスンをないがしろにすることを危惧してです。

日常における縁のある人こそ、「今自分が取り組むべき課題」を示してくれます。「今ここ」にこそ魂を磨くのに一番良い舞台が整えられていることに気づいてほしく、この記事を書きました。

あまりにもスピリチュアル一辺倒、占いのいう通りに動く、ではダメなのです。それでは、スピリチュアル的に完璧にふるまっても、占いの示す星通りに動いても、心は満たされません。

どうしてそういうことが起こるのか。
それはここの世界が二元性の世界だからです。
魂の統合には、陰も陽も、両方必要だからです。

占いやスピリチュアルばかりだと、精神一辺倒で天に偏りすぎます。いわゆるグラウンディングが弱い状態になり、現実的に愛をめぐらすことが下手くそになってしまいます。

私がこのブログで「グラウンディング~グラウンディングしろよぉぉー」としつこくしつこくしつこーく書くのも、スピリチュアル好き(つまり天に偏る人)はグラウンディングが弱い人が大変多いからです。

これが地に偏っている人、目に見えるものにしか価値を置かず心をないがしろにする人に対してなら「もっと目に見えないものを大切にしましょうよ」と言います。そういう人はグラウンディングしすぎだからです。

バランスが偏りすぎることが問題であって、天と地、どちらにも価値があります。二元性の世界ではどちらかを善(価値あるもの)にしどちらかを悪(無価値)としたがりますが、そうではありません。

スピリチュアルなことを大切にする。
それ自体はとーっても素敵なことです。
占いやスピリチュアルに頼りすぎて、そればっかりになる、そのことが問題なのであります。

算命学の高尾義政先生はこうおっしゃいます。

生年月日だけで人間の運勢をこうだと、運格、人格すべて決まるわけではありません。
我々が今勉強しているのは一方だけです。

つまり運格のほうを勉強しているのであって、人格までは論じていません。
人格とは心の在り方です。人格の向上をもたらすのは宗教であり、運格とは現象です。運格を上手に活用するのは算命学の世界です。

宗教と算命学を混同しないでください。算命学は一生懸命運格を上昇させますが、人格までは上がるとは言い切れません。

人格は、やはり自分たちの努力で上げていかねばならないのです。

算命学Ⅴ P299~300

占いで運格を上げることも結構なことでしょう。しかし、同時に人格も磨かねば片手落ちです。占いだけで完璧に幸せになるのは無理なのです。
陰も陽も、両方必要なのです。

そして、占いやスピリチュアル好きの人はどーうしても、そっちのほう(天)に偏っちゃいます。だって好きなんですものね、しょうがないわよね。好きな方に行っちゃうってのは、これまた人情ってものですものね。

ですから、私はバランスを取るために「グラウンディング~グラウンディングこそが大事なんだぞ~地に足をつけろ~パワースポットや神社に行く前に今日一日を、日常生活を大切に~~」と念仏のようにブツブツブツブツと言い続けるのであります。

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