正解のない道をどちらか選ばねばならない時~先人の対話から学ぶ

人生:スピリチュアルブログ
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世界を変えるための思考で、私は以下のように書きました。

「そうは言うけれども、ゆとり教育を押しつけてきたのは大人じゃないか。そこからどう抜け出せばいいんだ」という方に、一読いただきたいのがヴェルナー・ハイゼンベルク部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話です。

現在に生きる私たちにも具体的に参考になる対話の一つが、「Ⅻ 革命と大学生活」にあります。今回の記事では、ハイゼンベルクが信頼できる年長者に悩みを相談し、意見を聞く様子をご紹介します。

社会を変えたいナチスの若者とハイゼンベルクの対話、基本的な歴史的背景などは不安定な社会でどう生きていけばよいのか~先人の対話から学ぶに書きましたのでそちらをお読みください。

壮年、ハイゼンベルクの悩み

ナチスが政権を握った1933年のドイツ。ユダヤ人であるハイゼンベルクは学術の分野にも政治的な圧力を感じるようになっていました。

う、うーん。日本も昨今、大学における軍事研究について色々と耳にしますね……。工学部の院生が就活したら某有名大企業に「ウチの企業は100%命中する魚雷を作ります!」てプレゼンされてドン引きしたって話も聞いたぞ~。

ここでもこの時代のドイツと今の日本の類似点を感じてしまいます。

京大「軍事研究は行わない」と発表 「突然どうした?」、大学側に聞いた
京都大学が2018年3月29日、公式サイトで「軍事研究は行わない」とする方針を発表した。「本学における研究活動は、社会の安寧と人類の幸福、平和へ貢献することを目的とするもの」であることを理由としている。発表文に詳しい背景は書かれておらず、これだけでは唐突な印象も受ける。京大はJ-CASTニュースの取材に「日本学術会議の...
この国では再び「軍事と学術」が急接近してしまうのか?(杉山 滋郎) @gendai_biz
今年3月、日本学術会議が「軍事的安全保障研究に関する声明」を発表した。50年ぶりとなる再声明である。この国ではふたたび戦争目的・軍事目的のための科学研究が推進されるのだろうか……。
「軍事研究行わない」はずの筑波大が防衛装備庁研究助成を得た理由 市民が抗議 | 毎日新聞
 2018年12月に「軍事研究を行わない」との基本方針を示した筑波大が1年後の昨年12月、防衛装備庁の研究助成制度「安全保障技術研究推進制度」に応募し、採択された。防衛装備庁はこの制度で、将来の防衛分野への応用を期待して大学や企業などの先端研究を公募・資金助成するとしており、学内外から疑問や批判が出

ヒトラー内閣が組閣された1933年の時点ですでに、多くのユダヤ人同僚がドイツからの亡命を選び、外国へと移住していました。時期は前後しますが、ハイゼンベルクの師であるニールス・ボーアアルベルト・アインシュタインエルヴィン・シュレーディンガーもドイツを離れアメリカへと移住します。

そして、優秀な物理学者たちの理論を用いた研究により、かの地で後に広島や長崎に投下されることとなった原子爆弾の製造は成功してしまうのです。もちろん、ナチスも原子爆弾の製造を研究しており、ハイゼンベルクもその政治的な流れからは逃れられない運命にありました。しかし、それは後の話。

ハイゼンベルクも自分が移住すべきかどうかを迷います。大学の同僚たちと抗議の意味で一斉辞職をしてやろうかと考え、そのアイデアを量子論の開祖と呼ばれる賢人、マックス・プランクに相談するためにベルリンへと向かいます。

前門の虎、後門の狼。どちらに行っても厳しい未来しか見えない――
そんなハイゼンベルクへ、年長の賢人はどのような話をしたのでしょう?

年長の賢人・プランクとの対話

プランクは「あなたは政治的な問題で私に助言を求めに来たのですね」と対話とはじめます。

残念ながら、あなた方は大学と、そして教養の高い人間の影響力を極端に過大評価しています。世間はあなた方の抗議について実際上、何も知らされません。

新聞はそれについて何も書かないか、あるいは誰もそれからは真面目な結論に達しないような意地の悪い調子で、あなた方の辞職について書くだけでしょう。

雪崩が一たび動きはじめたなら、もはやその進行に何も影響を与えられないのを、あなたはご存じでしょう。どれだけ多くをそれが破壊し、どれだけ多くの人命を消滅させるかということは、たとえ今はまだ人にはわからなくても、それは自然法則によってすでに決定されています。

ヒトラーでも、結果の推移はもはや定め得ません。なぜなら彼は確かに、極度の狂乱によって推進する人というより、むしろ推進される人であるからです。彼が解放した暴力が、遂には、彼をますます得意にさせるか、あるいは無惨に消滅させてしまうかどうかを彼は知ることができません。

だからあなた方の計画は、破局の終わるまでは、ただ単にあなた方自身へ反作用を及ぼすだけで――おそらくあなたは、すでに多くのことを犠牲にする覚悟はできているでしょうが――しかしわが国に関する限り、あなた方がしようとしていることの全ては、最もうまく行って破局が終わった後に有効に働くだけでしょう。

ですから、われわれの目標をそこへ向けねばなりません。
もしもあなたが辞職したとしたら、あなたには最も幸運な場合さえも、外国に一つの地位をさがすより他はないでしょう。不運な場合にどうなるかということは、私は想像したくありません。

そうすると、あなたは外国へ移住し、そこで職をさがさねばならない多くの人々のことを勘定に入れなくてはなりません。そしておそらくあなたよりもっと困っている他の人から、間接的に一つの就職口を取り上げることになるでしょう。

あなたは外国で多分静かに仕事ができるかも知れませんし、危険の埒外にとどまれるでしょう。そして破局が終わった後、もしもあなたが望むなら、ドイツへ帰国することもできるでしょう――あなたがドイツの破壊者たちたちといかなる妥協もしなかったということで、良心の呵責なしにね。

しかしそれまでにはおそらく長い年月が経過し、あなたはちがった人になり、そしてドイツにいた人々も変わっているでしょう。そのときに、どこまであなたがこの変わってしまった世界で、よき指導者になり得るかは、たいへんに疑わしいのです。

もしあなたが辞職しないでここに留まれば、あなたは全くちがった課題を持つことになるでしょう。あなたは破局を阻止することはできないばかりではなく、それどころか生き残るためにいつもいつも何らかの妥協をしなければならないでしょう。

しかし、そうすればあなたは他の人々と一緒に不変の島の形成を試みることができるでしょう。あなたは若い人々を自分のまわりに集めて、いかにすればよい学問ができるかということを彼らに示し、そしてそれによって古い正しい価値基準を意識の中に保持させることもできるでしょう。

そのような孤島のいくつかが、果たして破局の終わりまで生き残っているかは、もちろん誰にもわかりません。しかし、そのような精神をもって、恐るべき時代を貫き通すことのできた才能のある若い人々の、たとえ小さなグループでも、終局の後に来たるべき再建にとって大きな意味を持つものであることを私は固く信じています。

なぜなら、そのようなグループは結晶の萌芽を成すことができ、それから出発して、新しい生き方を作り出せるからです。さしあたって、それはドイツにおける科学的研究の再建に対してだけ通用することです。

だが、科学と技術が将来の世界で、いかなる役割を果たすであろうかは誰にもわかりませんが、もっと広い範囲にわたっても、重要になってくるかも知れません。

何かをすることができ、そして例えば属する人種ゆえに無条件に移住を強制されている人々以外は、皆ここに留まり、そして遠い将来のための準備をすることに努めるべきであるというのが私の意見です。

それは、きっと非常に困難で危険があり、そしてやむをえずにした妥協によって後日非難され、そしておそらく処罰されることになるかも知れません。それでもわれわれはそれをやらねばなりません。

もちろん私は、他の決心をしたからといって、誰も避難することはできません。誰かが、ここで起こる不正を単に黙って見ている以外すべがないといった生活にもはや耐えられなくなって、移住したとしてもです。

しかしわれわれが今やここで目にしているような言語道断な状態の中にあっては、人はもはや正しく行動することはできません。われわれがどんな決定を下そうとも、何らかの種類の不正に参与することになります。

ですから結局のところ、誰も自分に頼るしかありません。助言することも、あるいはそれを採用することも、もはや大した意味を持っていません。

ですから私はあなたが何をしようと、破局の終わるまではいろいろな不幸を回避できるなどという希望を持ってはいけないとしか、あなたにも言うことができません。

とにかくあなたが決を下す際には、破局の後の来るべき時代のことを考えて下さい。

部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話 P242〜245

このようなアドバイスを受け、ハイゼンベルクの心は大いに揺れ動きます。

強制的に移住せざるを得なかった友人をうらやましくすら思います。なぜなら、移住せねばならない人は経済的困難を抱えねばならないけれども、「どっちを選んだらいいんだ」と悩む苦しみは味わわずにすむからです。

どちらが絶対的に正しいわけではない。どちらを選んでも苦労する、少なくとも当面の間は。
そんな残酷な人生の岐路に立たされたら、どんな人でも苦しまざるを得ません。

どちらが正しい道であるかということをより明確にするために、私は問題を繰返し繰返し新しい形で設定してみた。

もし自分の家庭で家族の一人が伝染性の病気にかかって瀕死の状態にあるときに、それ以上、病原菌の伝染を防ぐために家を立ち去ることが正しいのか、あるいはたとえ、もはや希望はなくても、病人の看護をすることが正しいのか?

部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話 P245

なんか、コロナ禍を経験している今、このハイゼンベルクの架空の設定(思考実験)は妙にリアルに迫ってくるものがあります。

実際に、イタリアや中国ではこんな問題を目にしました。無症状の息子が実家に帰ってしまったがゆえに高齢の親を死なせてしまうような悲しいケースも耳にしました。

本当に「この手の問題」は絶対的正解がないのです。こういった状況において「最適解」などというものは幻想であります。後から「これが正しかった」なんて言えるのは、もう過ぎ去ったことだからであって、渦中の人間には不可能なのです。

もしも逆に移住することに決めたとすると、自分の行動を一般的な最多数の者にもあてはめられるように行動すべきであるというカントの要請と、どのようにして調和させることができようか?

確かにすべての人は移住することはできない。
しばしば現れてくる社会的な破局を逃れるために、われわれはこの地球上を一つの国から他の国へと、いつも休みなくさまよい移るべきなのだろうか?

長い目で見たときに、他の国々に行ってもこのような、あるいはこれに似たような破局の被害をほとんどこうむらないですむわけにはいかないであろう。結局、われわれは生まれと、言葉ならびに教育によって一つの決まった国に属しているのだ。

そして移住するということは、精神的均衡を失って、ドイツを先の見通しさえつかないほどの破滅にまでおとし入れようとしている一群の狂信的な人間どもに、戦わずしてわが祖国をゆだねてしまうということではないだろうか?

部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話 P246

うーん、スピリチュアル的に言うならば第1チャクラのテーマ、つまり部族(国)への所属の問題でありますね……。

「ユダヤ人だから(ナチスに)殺されるかもしれない」という問題を抱えている人はここをご覧の方にはまずいらっしゃらないでしょう。けれども、「自分の所属している組織(家族・企業・国)との間に問題を抱える」という経験は、現代日本でもよく見かける問題です。

そんな問題に対して、プランクは「遠い将来のための準備をすることに努めるべき」と説きます。誰もが頼れるのは自分だけであるとも。そして「あなたが何をしようと、破局の終わるまではいろいろな不幸を回避できるなどという希望を持ってはいけない」と戒めます。

これ、今の視点から見ると相当新しくないですか。「希望を持ってはいけない」なんて、スピリチュアル系なら余計に、どっこにも書いてないですよね。「どんな時も希望を捨ててはいけません!」ですよね。

ですが、当時すでに75歳だったプランクは「歴史の大きなうねりの中で生きることは、どういうことか」を知っていました。もう、「破局」を避けられないことを知っていたのです。目の前の壮年の優秀な科学者にでさえ、逃れることはできないことを。

しかも、「非常に困難で危険があり、そしてやむをえずにした妥協によって後日非難され、そしておそらく処罰されることになるかも知れません」そこまでわかってるのに、その上でやらねばならないと。

歴史のうねりは否応なしに人を巻き込んでいきます。プランクはそれを雪崩に例えています。そういう流れが来たら、どうしようもないのだと。

私も占術研究が好きなので、言わんとすることが良くわかります。世の中には流れがありサイクルがあります。「壊れるとき」には壊れるしかないのです。それを壊さないようにがんばっても、却って壊れた後にスタートする新しいステージに上手く移っていけなくなるだけなのです。

最適解はない。なら、どちらを選ぶ?

ハイゼンベルクは結局、移住を断念しドイツに残ることを選びました。あなたが彼の立場だったら、どちらの選択をしましたか。もしくは、あなたの人生で起こっている第1チャクラの課題にとりくむとき、どう選択しますか。

繰り返しますが、最適解はありません。
ただ、あなたが選んだものが、人生を作ります。

※何度も版を重ねているような本なので、図書館に蔵書があると思います。

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