世界を変えるための思考で、私は以下のように書きました。
「そうは言うけれども、ゆとり教育を押しつけてきたのは大人じゃないか。そこからどう抜け出せばいいんだ」という方に、一読いただきたいのがヴェルナー・ハイゼンベルクの部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話です。
現在に生きる私たちにも具体的に参考になる対話の一つが、「Ⅻ 革命と大学生活」にあります。
背景状況についての説明
引用にはいる前にバックグラウンドを説明させていただきますね。
まず、著者のハイゼンベルクは1901年バイエルン生まれのユダヤ系ドイツ人です。
1918年、第一次世界大戦およびドイツ革命でドイツの王政が倒れ、民主的なワイマール共和国の元で文化や芸術は花開きます。
ワイマール憲法は人権意識の高い、当時としては画期的な憲法でした。1918年にはドイツ国内の大学がユダヤ人学者を受け入れ、ドイツの学術は目覚ましい発展を見せます。
詳しく知りたい方はワイマール ユダヤ人あたりの語句で検索してみてくださいね。

しかし、ご存知のように第一次世界大戦での重い賠償金やインフレーション、ダメ押しの世界恐慌(1929年)によって経済状況が悪化。経済政策で大衆の心をつかんだナチスドイツが台頭します。
1933年1月30日、アドルフ・ヒトラーを首相とする内閣が成立し、ナチスが政権を握りました。この「革命と大学生活」は、まさにこの1933年の対話を綴った章となります。
ナチス党員の若者との対話
ハイゼンベルクはピアノの名手でもあります。
ハイゼンベルクが音楽(芸術)の道に進むべきか物理の道に進むべきかを、どのように考え選択したのかは、この本部分と全体の「Ⅱ 物理学研究への決定」に書いてあります。
ある日、ハイゼンベルク(当時31歳)は自室でシューマンのピアノ協奏曲イ短調を練習していました。
すると、彼の生徒であったナチスの学生がその演奏を聴いているのに、ハイゼンベルクは気づきます。何か話があるのかと声をかけると、学生は「いいえ、ただ音楽を聞いていただけです」ともぐもぐ答えます。さらに話しかけると「先生とお話できたら幸いです」ということだったので、ハイゼンベルクは学生を自室に招き入れます。
学生は、ハイゼンベルクを尊敬しており、年長者として教えや協力を請いたいと話します。「そんなに生き生きと音楽を奏でられるあなたほどの人が、今日のようなドイツを再興、あるいは再建しようとしているわれわれ若者たちと無縁で、しかも無理解に対立しておられるということが、私にはどうしても納得がいかないのです」と、苛だちをぶつけます。
「この前の戦争以来、世の中は年ごとにますます悪くなっていく一方でした。われわれが戦争に負けたことも、相手方のほうが強かったということも、真実です。
そしてそのことは、我々にそれから何かを学ばねばならないということを意味しています。
しかし、それ以後、何が起こりましたか?
ナイトクラブとキャバレーを作りました。
そして骨を折ること、努力すること、犠牲を払うことは全部軽蔑されました。何とばかげたことでしょうか!戦争は負けた!
楽しみたまえ!
ここに酒があり、美しい女がいる!そして経済界では、想像を絶する賄賂が横行しています。払わねばならない賠償のためにか、あるいは、人々は一層多くの税金を支払うにはあまりにも貧しくなったためか、政府の財政が苦しくなったときに、政府はお金を単純に印刷しました。
それがなぜいけないのか、とおっしゃるのですか?
多くの年老いた弱い人々が、それによって彼らの最後の財産をだましとられ、その上、飢えに苦しまねばならなかったのに、それを誰も本気になって心配してやりませんでした。
政府は十分なお金を持ち、金持ちはますます金持ちになり、貧乏人はますます貧しくなりました。
そして最近の一番ひどい背徳的スキャンダルには、いつも決まってユダヤ人が一枚加わっていたということを、あなたは認められるに違いありません。」
「そしてそのことからあなたは、ユダヤ人がある特殊な人間であると見なし、彼らを侮辱的に取り扱い、そして一連の特に優秀な人々をドイツから追放することなどを正当化しようというのですか?
なぜあなた方は、信仰の種類や人種に無関係に、不正を働いたものを罰することを、裁判所にまかせないのですか?」
「なぜならまさにそのことが行われなかったからです。とにかく裁判所はずっと前から政治裁判所になっていて、それはただ昨日の腐敗した状態を何とか永続させようとし、全民族のためを考えないで、ただひたすら今までの支配階級だけを保護しようとしました。
考えて見て下さい、最もひどい買収、醜聞に対してさえいかに寛大な判決が下されたかを」
部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話 P229~230
えーと、この対話にどこか既視感を覚えるのは気のせいでしょうか。
戦争は負けた!
楽しみたまえ!
ここに酒があり、美しい女がいる!
で、でたー!「楽しみたまえ!」
これ、今風にするならこんな感じですよね。
コロナで大変だ!
楽しみたまえ!
このソシャゲで、10連ガチャが可能!
今も昔も「楽しいが大事♪」「好きを大事にしよう☆彡」を本気にしちゃうタイプのチョロイ養分から吸い取るのでありますなぁ~。
首相官邸のインスタだって楽しいが大事っ♪(そしてそれを仕掛けるのがあの幻冬舎セクハラ編集者・箕輪氏の主宰するオンラインサロン・箕輪編集室メンバーであるという何重にも輪をかけた地獄感)

「金持ちはますます金持ちになり、貧乏人はますます貧しくな」り、「経済界では、想像を絶する賄賂が横行」。うーん、これはどこの国の話なんだろう?


「考えて見て下さい、最もひどい買収、醜聞に対してさえいかに寛大な判決が下されたかを」
司法がグダグダであてにできないとか、えっと、どこかの国でもあったような……?

国家は貧しい人々のことを心配してやったでしょうか?
部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話 P230~231
誰も飢えることはないように、立派な社会的な配慮がなされているのだと主張するでしょう。しかし貧しい人々に、それ以上彼らの世話をやかなくてすませるために、彼らが飢えることはないだけのちょうどぎりぎりのお金を与えることだけで十分でしょうか?
10万円(特別定額給付金)のことかー!!

生活保護のことかー!!!

なあ兄ちゃん、ベーシックインカムも実施されたらそんな感じになってしまうん…?(不信感)
過去十四年間にわたって各人はただ自分の懐のためだけに働きました。ちょっとでも他人を追い越すことができるように、隣の人よりいくらかでもましな洋服を着ること、居間の調度をいくらかこぎれいにととのえること、それだけが生きがいでありました。
そして国会の議員諸公は、できるだけ多くの物質的な利益を、自分の属する政党のために絞り出すこと以外には、何をしようとする意思も持っていませんでした。
ただひたすらに自分自身の富だけをますますふやそうとして、各人が他人の利欲を非難しました。社会一般のためということについては、誰一人として考えてみもしませんでした。
部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話 P231
この学生は言うのです。ナチスはそうした、と。労働者によりそい、労働者と共に在り、労働者と生活した、と。インテリやユダヤ人資本家が貧しい人たちに対して何もしなかった時に、俺らナチスは行動していたのだ、と。
ちなみに、ナチスの正式名称は「国家社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)」といいます。労働者党なんです。Arbeitとはアルバイト、労働のことです。
ここでハイゼンベルクは学生に「ところであなたは、あなた方の指導者アドルフ・ヒトラーを信頼できる人であると信じているのですか?」と率直にたずねます。
「あなたには、ヒトラーがあまりに単純に見えて気に入らないだろうことは、私に想像がつきます。しかし、彼は素朴な民衆に話すので、彼もその人たちの言葉を使わねばなりません。
私は彼が信頼できる人であるということを、あなたに証明してみせることはできませんが、しかし彼がわれわれの今までの政治家たちよりは、うまくやるのをあなたはやがてごらんになるでしょう(後略)」
「たとえその点であなたが正しかったとしても、強制による他国の譲歩を、あなた方の運動、あるいはまたヒトラーの本当の成功と呼ぶべきかどうか私にはわかりません。
なぜなら、そのような無理やりに手に入れた変化のどれもが、ドイツに再び多くの敵をこしらえ、そして前大戦のスローガン”敵多ければ誉も高し”がわれわれをどこへ導くと思いますか。
そのことは、我々がなんとしても前大戦から学ぶべきものであったはずです」
「それでは、あなたはドイツがおとなしくこれから先もずっとみんなからばかにされ、あざ笑われる国に留まるべきだと思われるのですか。もとはといえばただ最近の戦争に敗れたというだけのことから、この戦争のすべての罪は、ドイツだけにあったのだということを、人々が捏造し、その罪をなすりつけたがために、そうしたすべてのことを甘受しなければならなくなった――それらのすべてをあなたは辛抱できるものと思われるのですか?」
「われわれはその点についてお互いによく理解しあうことができません。(中略)私が言わんとすることをもう少し正確に説明しなくてはならない。
デンマーク、スウェーデン、あるいはスイスのような国々は最近百年間戦争に勝ったことがなく、軍事的には比較的弱いにもかかわらず、ともかくもよい生活をしていると思います。彼らはその固有の民族性を、強国へ半ば依存するこの状態においてうまく保持することができました。
われわれも同じような努力をすべきではないのでしょうか?
われわれはスウェーデンやスイスよりはずっと大きく、そして経済的により強力な民族であるということで、あなたは反論されるかも知れません。われわれは世界の動向に、それにふさわしいより大きな影響力を持つ権限があると。しかし私はそれについてはいくらか遠い将来のことを考えて見ることにしましょう。
部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話 P232~234
ここでハイゼンベルクは、今の世界の構造の変化はヨーロッパの中世から近世への移行時期と似ていると述べます。そういった流れを見ると、オラオラバッチバチで周りの国といがみあうよりも軍備を手放して経済的な努力で友好関係を結ぶべきだと説きます。「軍備の増強は、おそらくただ他の国々の抵抗力を強めるだけで、最終的な効果としては安全性の現象にしか役立たないでしょう」と。
えーっと、ハイゼンベルク先生ちょっとそのご高説、戦闘機爆買い大好き♥な、どーっかの国にも言ってくれませんかねぇ……?

政治的な運動を、彼らが声高に宣伝し、そしておそらく、実際にもやろうとしている目標でもって、決して判断してはならないし、彼らがその実現のために使用する手段によってのみ判断すべきものであると私は信じています。
分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話 P235 太字強調は記事作成者による
政治的な運動を目標(マニフェスト)で判断するのではなく、政治家がその実現のために使用する手段によってのみ判断すべき。アマゾンのレビューでも取り上げられていた一節です。
確かに、「日本を良い国にしたい」という目標に対して「じゃあ障害者は生産性がないので死んでください」という手段を用いた植松聖死刑囚のケースを見ると、この言葉の重要性が身に染みますね。
つまり、言ってることがいくらきれいで正しくても、やってることが汚かったらダメなんだよーって話です。

↑往々にしてこういうことも起こりがちですしね。
アベノマスク業者はめっちゃ儲かっとるし、今回の持続化給付金も結局実務は民間に委託してるって、ちょっとどうなってんのかな~って思っちゃいますね~。

そしてハイゼンベルクは「この手段は残念ながらナチス主義者の場合も、共産主義者の場合も同じように劣悪で、このことは、張本人たちが彼らの理念の説得力をもはや信じていないということを示しています」とバッサリ切り捨てています。
でも、現在の状態に絶望しきった若者にそんな正論は救いにはなりません。清く正しく美しく品行方正だった青年運動では結局何も達成されなかったじゃないか、と思うばかりです。
「いったい以前の体制の代表者や、現在の革命について文句を言っている年とった教授方の中の誰か一人でも、善意ある手段で目標に導いてくれるような、もっとよい生き方をわれわれ若者に示してくれた人があったでしょうか?
いかにすれば、われわれがこのみじめな状態から、他の手段で抜け出すことができるかを、われわれに教えてくれた人は一人としてありませんでした。あなたもです。
われわれはいったい、どうすればよかったのでしょうか?」
「そこであなたは暴力を使うことにくみし、そして革命に参加しましたね。――破壊すれば、そこから何か良いものが生まれてくるかも知れないという無意味な幻想の下にね。
(中略)”もし一つの革命が、不倶戴天の仇敵を支配者にすることにならなければ、それですでに一つの大きな幸運である”と。われわれドイツ人がこの尋常でない幸運に恵まれるに違いないとどうして言えますか?
われわれ年長のものが(中略)何も助言を与えなかったのは、それはわれわれがーー人は自覚をもって真面目に仕事を果たすべきだといったような、よい手本が、結局は善として作用することを期待すべきであるという――まったく平凡な助言以外には何もないという全く簡単な理由からです。」
「そうでしょう。あなたはいつでもきまって古い過去の、昨日のものだけを望まれます。(中略)それではもはや若者たちを説得することはできません。そんなことでは、世の中に何も新しいことは決して起こらないでしょう。
それでは何の権利があって、あなたはあなたの学問において新しい革命的なアイディアの味方をすることができるのですか?
相対性理論でも量子論でも、やはりすべてのそれまでのものを極端に打破したではありませんか」「(前略)一つの重要な目標に限定し、そしてできるだけ小部分の変更にとどめることこそが問題なのです。それでも、どうしても変えねばならなかったそのわずかなものが、後になると、変化を起こさせる力を持つようになって、ほとんどすべての生活様式が自然と変形れされるようになるのです。」
「しかし、なぜあなたはそれほどまでに古い形式に固執するのですか? 古い形式が新しい時代にもはや適合しなくなって、ただ一種の惰性でもってなお維持されているということが、よくあるでしょう。なぜ、そんなものをそこで直ちに克服しまうべきでないのですか?
たとえば、教授方がいつまでたっても、まだ中世的なガウンを着て大学の祭典に現れるのは、ばかげたことであると思います。それはやっぱり切り捨ててしまうべき古臭い無用の長物です」
「もちろん私は古い形式にこだわっているのではありません。しかし、おそらく、それによって表現される内容にこだわっているのです。(中略)
この古い形式はきっと民衆の階級的段階づけの時代に、その源を発したものでしょう。その内容は、それよりももっとずっと古く、学があり、優れた思考力によって、さまざまなむずかしい問題について適切な助言を与えることのできた立派な人々のグループは、人間社会にとって特に重要であるという経験に対応しています。」
部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話 P236~239
この説明に若者は納得できない様子でした。尊敬していた年長者と理解しあえないことに「われわれは今、やっぱり孤独です。」とつぶやきます。(そして、結局その孤独を埋めてくれるのは、ナチスなんだろうな…ああ……)
ハイゼンベルクは彼のために再びシューマンの協奏曲を演奏します。その演奏には、彼は満足したようでした。結局、若者の心をひと時でも慰められたのは、言葉よりも音楽でありました。
↑バレンボイムのこの録音、超好きです。エネルギー的に好き。音が気持ちいい。あんまり協奏曲は好んできかない(器楽曲のほうが好きなのだ)けれど、これは聴いていたいと思う録音です。
答えを出すのではなく思考することの意味

この対話では明確な答えはありません。私たちは歴史を知っていますから、ユダヤ人のハイゼンベルクがこれからナチス統治下でどんな苦難に遭うのかを知っています。
この対話に最適解を求めるのではなく「じゃあ自分だったらどう尋ねただろう(答えただろう)」と考えてください。答えは自分の心の中に求めてください。
そして、この種の問題において「最適解」はありません。常に何かは間違っていて、何かは正しいです。白でもなく黒でもない、それこそが現実世界というものです。ハイゼンベルクの師、ニールス・ボーアの言葉の通り。
正しい主張の反対は誤った主張である。
部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話 P165
しかし深遠なる真理の反対もまた深遠なる真理であり得る
この章では、今度はハイゼンベルクが信頼できる年長者に悩みを相談し、意見を聞きます。長くなりましたので、そのご紹介は正解のない道をどちらか選ばねばならない時~先人の対話から学ぶで。
※何度も版を重ねているような本なので、図書館に蔵書があると思います。