占いの教科書には「ソフトアスペクトは吉!ハードアスペクトは凶!」「グランドトラインを持ってる人は成功する人!」なんて書いてあったりします。
最近のはそうでもないんですけど、20年くらい前の本は結構書いてあったりしたのでござる。私が松村潔ラブなのは、松村先生は「スクエアはダメ」とか言わないからで~す♥
「ソフトアスペクトは吉!ハードアスペクトは凶!」
でもでも、実際に現実で色んな人のホロスコープチャートを見ていきますとね

グラントトラインが吉って
ちょっとそうは言いきれないかも
って思うんです。
「生きづらさ」を感じるグランドトラインたち
例えばね、最近はすっかり引きこもっておりますけれども、私はプラプラ一人飲みが大好きでありまして、バーで初対面の人とどうでもいい下らない話をしてワッハッハって楽しむのが好きなわけですよ。オイラ人見知りしない、いつでもピーカン丙ちゃんだからねっ♪
でね、ある若いお医者さんが飲みに来てまして、まあはじめは下らない話してたんですけど、そのうち酒も入ってくるとだんだんダウナーになっちゃいましてね。

今の医療体制マジ無茶なんすよ
無理押しつけられてホント辛い
話を聞いていると、彼はまだ研修医なのにキャリア10年くらいの中堅医師が受け持つような仕事をゴンゴン割り当てられ、挙句の果てに次年度から新任で入ってくる研修医の指導まで務めろといわれる始末。

エエーッ!
それはおかしいよっ!!

しかも激務を縫って頑張って論文書いてたら
いつの間にか無断で使われて
上司の名前で発表されてるし……

ヒッ、ヒドイ!
ありえないっ!!

でも逆らったら
医局で生きていけなくなるんです…
哀れに思ったオバチャンは、彼のスマホでホロスコープ作成サイトを開かせ、生年月日を入力させました。(オイラは携帯持ってないから自分ではできない)
で、思ったんです。こんなにひどいパワハラを受けるって、相当オポジションが効いててハードアスペクトが強調されてるチャートが出てくるんだろうな、と。
そしたらどっこい。
グランドトラインででーんのソフトアスペクトばっかりだった!!

あっあっ
アイエエエ~~!?????

やっぱ占いでも
俺って悪いんっすか…

いやっ、違うっ逆っ
メッチャいい星持ってるよ!!

えっマジっすか?
ちょっと嬉しい!
と、彼自身はこれで前向きになってくれたので、それは良かった良かった!なんですけど——。占い師としては「グラトラ持ちがパワハラを受けるって、どういうこと?」と「???」で頭がいっぱいになっちゃったわけです。
彼はとてもいい子で、行きずりに会った占い師が無料で占ってやろうと思うくらいの好青年だったのですね。確かに、それはグランドトラインぽい。
だけど、現実生活は追い込まれていて、とても「さすが大幸運のグラトラ持ち!」とは言えない。
私の父親もグラトラ持ちだけど、でも、確かにパワハラされやすそうなタイプには見える。権威に従順なロボット気質なので。
他にも、グランドトライン持ちで引きこもり歴15年の女性を、私は知っています。彼女は、ものすごく繊細で優しい人です。まさに「同期のサクラ」の主人公みたいな。
ゆえに荒波狂うビジネスの最前線では、とてもじゃないけど生きていけませんでした。

なんで大幸運といわれる
グランドトライン持ちが
こんなに生きづらさを抱えるのだ?
私の疑問は募るばかりでした。
なぜ「ソフトアスペクトは吉」とされるのか
そもそも、なぜソフトアスペクトが「良いもの」でハードアスペクトが「悪いもの」なのでしょう。
それを知るためには、西洋占星術の歴史を紐解く必要があります。

ニコラス・キャンピオンの世界史と西洋占星術。この一冊で中世から現代までの西洋占星術の流れを知ることができる優れものです。(残念ながら、オカルト好きにとって一番楽しい古代編 A History of Western Astrology Volume Iは日本語には訳出されていません)
この本を読むとわかるのですが、そもそも、西洋占星術が人の生年月日を使って「ホロスコープ」を作るようになったのは、そこそこ時代が流れてからです。古代から連綿と行われてきたことではありませんでした。

エッ、じゃあ何やってたの
という話になりますよね。
古典西洋占星術でオリンピック延期の可否を占ってみた
古典占星術ではホラリーという手法を用いて、占いをします。質問を元にホロスコープを作る占星術です。生年月日は必要なく、占う質問の瞬間のホロスコープを見ることで判断します。
例えば、「2021年に本当に東京オリンピックは開かれるのか」を占いたい場合、2021年7月23日20:00(場所:東京オリンピックスタジアム)のホロスコープチャートを出して、そのチャートの状態で占うのです。
ここで重要になってくるのが「吉凶の判断」です。
「できるか」「できないか」をハッキリ出さねばなりません。

これが東京オリンピックの開会式時(2021年7月23日20時)のチャートです。
ホラリーの手法で見るなら、「不可」ですね。海王星と天王星がオポジションの調停に入ってますから「スピリチュアルなミラクルどんでん返しでワンチャン」という見方もできます。けど、ホラリー(古典)はトランスサタニアン使わないので、天王星・海王星・冥王星抜きで見ると、やっぱ、厳しい感じですよね、コレ。
何とかやろうとして頑張りすぎて空回りしそう。「楽しいが大事だよねっ★ネ、こういうの好きでしょ好きでしょ好きでしょ??」って煽りすぎて電通さんが更に顰蹙買いそう。そもそもコレ、組織内に対立軸があって一枚岩じゃないでしょ。安定を重視したい国民感情を無視してワンマンに犠牲を払ってでもやる気があるけど、利害関係が対立して結局は無理そう。森さんはやるっつってるけどさ。
「短期」で見るか「長期」で見るか
さて、中世の支配者にとって重大な関心事の一つは「戦争に勝てるかどうか」「こちらから仕掛けて勝算はあるのか」「隣国は攻めてくる気があるのか、攻めてくるとしたらいつになるのか」です。
そう、これね、大きな声で言いたいんだけど
古代~中世の占い研究ってミリヲタにとってメチャクチャ楽しいぞーっ!!!!
いやまじこれ。だって昔の支配者って占いで国を動かしてたからさ。「あの戦争の戦略はこんな星の配置を読んだ結果だった」とか、マジで面白すぎる。
や、だって占いの本にふっつーにファランクスの話とか出てくるんやで。重装歩兵、槍兵が輝いていたあの時!大艦巨砲主義に通ずるロマンであります!!!(や、ファランクスは役にたっとったがな……)
西洋だけじゃなくてが東洋だろうが同じ。どっちでもいい。
占いのこと調べてると戦争のことばっかだから。軍事好きの血が騒ぐぜ!
例えば、易経でもしばしば軍事的な表現に行き当たります。
上九、晋其角、維用伐邑、厉吉、无咎、貞吝。
晋卦(火地晋)
(上爻、其の角に晋む。維用て邑を伐つ。厲うけれども吉にして咎なし。貞なれど吝)
これは、強い兵力をもって辺境の村を討伐した様子です。確かに力でゴリ押しすることで戦いに勝ちはしたのだけれども、人の道から見て恥ずべきことだとも戒めています。
このように「指揮官が」とか「王が」とか「兵が」とか、そういう表現は古い占いの本には至る所で出てきます。軍事と占いがいかに密接であったかという証左です。
そういうわけで、古代~中世の占い師の仕事は「戦争に勝てるかどうか」って聞かれたときに「勝てます」「勝てません」って答えなきゃならんかったわけです。
そこでスパスパ答えを導きだすためにホラリーを用いた古典占星術で使われたのが吉凶判断、その材料のひとつが「ソフトアスペクト(吉)かハードアスペクト(凶)か」。
だから、ソフトアスペクトは良いもので、ハードアスペクトは悪いものだといわれてきたのです。ベネフィック(吉星)とマレフィック(凶星)も同じく。
確かに、「一瞬」を切り取って、「可能か不可能か」で断じる場合、それは非常に合理的であり最もな判断だと言えましょう。
しかしながら、ホロスコープで人の一生(魂の使命)を読み解こうと思うなら、このホラリー的なリーディングは少々当てのはずれた薄っぺらいものになってしまいかねません。
なぜなら人生というものは、禍福は糾える縄の如し、人生万事塞翁が馬だから。
吉だと思っていたことが五年後には凶になり、凶だと思っていたことが十年後には吉になっているのです。それが人生です。
Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.
人生は短い視点で見るなら悲劇だが、長い視点で見れば喜劇である
(チャーリー・チャップリンの言葉)
だからホラリーのように「ソフトアスペクトだから吉!ハードアスペクトだから凶!」と読んでしまうと、「じゃあなんでグランドトラインがある人が引きこもりになるの」って話になってしまうのです。
先ほどふれた同期のサクラで、サクラはこういいます。
「私には夢があります 一生信じあえる仲間を作ることです」
「短い視点」でみると、この言葉は非常に素敵なものです。何の欠点もありません。
ですが「長い視点」でみると、空気が読めない困ったちゃんの戯言になります。
ホラリーは「短い視点」で見るものです。もちろん、物事を断じる場合は優れた占断方法となります。しかし、人生全体をリーディングしていこうと思うなら、「長い視点」でものを見ることが必要となってくるのです。
心優しきソフトアスペクトの人に渡世は難しい!?
あと、忘れてはならぬ視点として占いの発展は「支配者にとって都合の良いように行われてきた」面があることです。
例えば、四柱推命(中国でいう八字)は人材登用のために用いられてきました。
つまり「臣下として優れている者は誰か」を探すために使われたのです。
だから、帝旺の丙午なんてのは羊刃であって忌み嫌われてきた。だって、そういう人間は帝の権力を覆すことのできる強大なエネルギーをもった人間なのだもの。
だからオイラみたいな輩がディスられるわけでぇース!!!ムッキーー!!!(沸点低)
「五行の偏りが無いのが良い、調和しているのが良い」ってのもそうですよ。
五行の偏りが少なくて調和している人というのは、穏やかな人なんです。臣下として使いやすい。
だけど、そういう人はトップに立ってリーダーとしてオラオラするのは難しい。だから現代で成功している人の命式はかなり偏っていたりするわけです。五行が調和してないほうが爆発的なエネルギーを使えるから。
グランドトラインもそう。穏やかで調和していて人格者と言える。けれども、優しすぎて現代では少々パワー不足。スクエアやオポジションが強い人のほうが、実は出世する。特に今みたいな乱世だと、そうならざるを得ない。
四柱推命でも理論研究に偏らず実践してる人は「五行の調和が命!」「食神があれば一生食いっぱぐれない!」「正官があれば結婚運がいい!」なんて言いません。そうじゃない例をモリモリゴリゴリえげつないくらい見てきてるからです。
私が「神殺が凶ばっかでディスられまくるのが辛い」と愚痴ると、ある四柱推命の占い師さんはこんなことをおっしゃってくれました♥

今の世を渡っていくにはねえ
羊刃があったほうがいいのよ!
羊刃ある人は強くて戦えるもの
でーすーよーねー!!!!!
「羊刃がある人はダメ!」なんて織田信長(W帝旺でW羊刃)に謝れよって話ですよねー!!! 鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス!!!!
でもね、羊刃がダメっていうのも「扱やすい臣下」を探すためなら正しいのです。羊刃持ちなんて、部下に欲しくないもんね!黙って三歩下がって付いてくる貞淑な妻を求めてる人には不要よね!わかるー!!!
大体さ、「羊刃は時柱にあるのが一番悪くて年柱にあるのが次に影響が強くて日柱が一番影響が弱い」ってのも、これ支配者にとって都合のいい解釈じゃん。
社会的に影響が出てくるようなポジションだとディスって、プライベートに影響する日柱だったら「大丈夫だよ☆」って、ソレお前の権威を脅さないから大丈夫ってだけだべやー!!! そんなのごんぼほっておだってる子どもと同じだべさ!!!
つまり、個人の幸せなんか考えておらぬ。権威を守ることが第一なのじゃ。
しかし、現代の個人占断で一番大切なのはその人がいかにしてその人らしく幸せに生きていけるかなのじゃ。支配者視点に惑わされてはならぬのじゃ。
「帝視点」なら正しいんですよ。伝統的な占断も。古典的な占いの本に書かれていることは「帝(支配者)視点」なのね。だから性格キツイ配置はもれなくディスられる。オイラはディスられる。ハーイ、知ってたーー!!!
でもさー、性格キツクないと15年も個人でビジネスやって飯は食えんのじゃよ。
性格のキツさ、メンタルの強さこそが私の宝物♥なのです♪
羊刃LOVE♥♥羊刃の力こそが私が望む人生に導いてくれる♥♥

まあ、コロナ騒動が終わったらの話だけど、札幌で白髪交じりの着物のオバサンがバーカウンターで一人でジンのロックを飲んでたら、話しかけてみるとよろしいぞ。
気分が乗れば占っちゃうぜ~☆彡
札幌はそんなオバンのいる街なのだ。
