血縁なんて、そんなに大したものではありません

ビジネス:スピリチュアルブログ

リンデンバウムにいらっしゃるお客様で、実は結構ある相談が「家を継がなくて祟りはないのか」ということです。

うち、6代続いてきた医者の家なんですが
自分で断絶してしまうと、ご先祖様は怒らないでしょうか?

私は個人的には「いいご先祖様なら子孫の気持ちを分かってくれるでしょう!祟るような先祖ならむしろいらんわい!」という罰当たりな考え方です。

ですが、それで「スッキリ!あーよかった!」と思えるような方なら、そもそも相談なぞせんわけですw

でもぉ~
やっぱりご先祖様に申し訳なくって~

こう強く思われるからこそ、相談に来るわけです。
そんな方にはこう言います。

Nozomi
Nozomi

なら、養子をお取りになればよろしい
つまり実質家督を親族(分家)に譲ればよいのです

昔の常識「家を継ぐのは直系子孫でなくても良い」

こういうと、かなりのお客様がビックリされます。
「家を継ぐのは自らの子でなければならぬ」と考えておられるのです。

えっ?
よ、養子⁉
で、でも血がつながってないのに
ご先祖様は怒らないんですか!?

Nozomi
Nozomi

いや、つか
親族なら血がつながってるでしょう

Nozomi
Nozomi

そんなに心配なら家系図をご覧なさい
何代も何代も続いている家というのは
必ずどこかで養子をとっています
養子を取らない家が存続できるなんて1%もないですよ

歴女な<br>お客様
歴女な
お客様

た、確かに!
徳川家だってわざわざ紀伊・水戸・尾張と御三家を用意したのは、そこから養子を取るためだったものね!

Nozomi
Nozomi

その通りです!
直系の「自分と血のつながった子」だけが
ただしい跡継ぎだなんてのは
現代風の幻想なんですよ

実際、戦前の人は「家が続くこと」は重視しましたが、「それが血のつながっている人間でなければならない」という考えは薄かったのです。今より養子を取ることに抵抗がありませんでした。

「子を作らず家をつぶすことが申し訳ない」と罪悪感が大きいなら、養子を取ればよいのです。親族の子と書類上だけ養子縁組をして、家督を譲った形にすればよい。養子にしたからといって実際に一緒に暮らして育てる必要はなく、家宝などがあればそちらの家に譲ればよい。つまり実質、分家を本家にすればよろしい。

重苦しく悩むくらいなら、スパッと「自分は子供作りません!無理です!」と宣言して養子を取られればよろしいのです。それならご先祖様の面子もたちます。

三代目はゲームセットへ導く「クローザー」

安倍三代 (朝日文庫)

栄える家について、昔からこう言われてきました。

「富不過三代」(富は三代続かず)
「三代続けば末代続く」(三代目が家運を傾かせる例が多いことから、三代目が堅実にやれば後は長く栄えることができる)

家族経営企業が100年以上の長い「老舗企業」になる割合は、企業全体の中でも極めて低い数字になっている。(中略)

ツカキグループのオーナーである塚本喜左衛門氏は、(中略)精巧で美しい掛け軸の箱を取り出した。(中略)下段には、懸命に働いて一家を成した初代創業者の図があり、中段は、のんびりと優雅に茶の湯に遊興する2代目の図が描かれ、上段には、落ちぶれた3代目が犬に吠えたてられ、路頭に迷っている図が描かれている。

日本の家族経営企業はいかに「富は3代続かず」を逃れてきたか

この「典型的三代目」が大王製紙創業家三代目であった井川意高もとたかさんです。
裕福なお坊ちゃま育ちで、若いころから京都のお座敷で遊んだり銀座でブイブイ(死語)豪遊。社長になった暁には、会社の金を100億円カジノで溶かし、無事お縄になりました。

こんな略歴だけ見ると「コイツはとんでもない悪者だ!クズだ!」と思われることでしょう。確かにクズです。経営者に会社の金を使い込まれた社員たちは、本当にいい迷惑ですね!

でもね、私、こうも思うんです。
「ああ、この人は、こういうフェーズを演じる必要があったのだろうな」と。
もっとスピリチュアルな言い方をするなら「この人は創業家から抜けるためのクローザーだったのだ」と。

井川さんは著書「熔ける」に、井川家の転落の経緯を詳しく記しています。

熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録 (幻冬舎文庫)

聞くところによれば、私の曽祖父はバクチと女で身代をつぶしたそうだ。そのため、大変貧しい暮らしを余儀なくされた祖父はバクチが大嫌いだったと聞く。ということは、バクチ狂いは祖父や父からの遺伝ではなく、私だけに引き継がれた曽祖父の血なのだろうか……。

熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録 P254

家にも季節があります。春夏秋冬があります。
長い冬を乗り越えて芽を出し、夏の日を浴びてぐんぐんと伸び栄え、秋になって実り、冬になって地に還っていきます。

雅楽の序破急にあてはめるなら、創業者たる祖父は序(起こる)で、二代目の父は破(栄える)、井川さんの曽祖父と井川さん本人は収束させる「急」です。
そして、音楽は急にて終わるのです。

上の略歴だけだと井川さんは「どうしようもないボンクラ男」ですが、非常に頭脳明晰で優秀な方です。フツーに筑駒→東大です。
ただ、「そういう側面」を演じることを役割としてあてはめられただけなのです。

私はビジネスには全身全霊で打ちこんではいたが、決してそれが好きだったわけではない。常に我が身を襲うプレッシャーから自由になれれば、こんなラクな毎日はないだろう。大王製紙で仕事をしていて「楽しい」と思ったことは、実を言うと一度もない。自分の仕事だから、もっと言えばそれが与えられた使命だからやっていただけの話だ。矛盾しているように聞こえるかもしれないが、私にとって大王製紙での仕事は苦痛でしかなかった。

暴君ににらまれながら経営者として働く日々は、もうすでに終わった。ビジネスマンとしてのキャリアが無になった今、私には不思議なほど寂しさはない。むしろ、大王製紙を追われてからの私は性格がずいぶん明るくなったと周囲の友人は言う。

熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録 P257~258

重責から解放された井川さんの現在の顔は、大変晴れやかなものとなっています。

【画像】 井川意高さん|人生の失敗|通販生活®カタログハウス

ね、もうなんか「ツルッ」としてるでしょ。「憑き物が落ちたよう」でしょう。「熔ける」の書影と比べてみてください。

熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録 (幻冬舎文庫)

今の顔のほうが、ありのままの自然体ですよね。
これが、本来のニュートラルな井川さんの姿なのでしょう。

先発→中継ぎ→抑えでゲームセット。
三代で「運気」というのは一回りするものです。つまり、「創業家は三代までしか持たない」というのはごく自然のこと。三代目が特別ボンクラでクズ人間なわけではない。ただ単に「クローザー」で試合を終わらせる役割を負っているだけなのです。

易経には「地天泰」という卦があります。天と地の気が交わって繁栄という名の果実を結ぶ、大吉中の大吉な卦です。しかし、その地天泰の卦ですら、平和で安泰なる世が極まった上爻では城壁が崩れ去る、つまり平穏な世の終わりを告げることになります。

平らかなるものにしてかたむかざるはなく、往くものにしてかえらざるはなし。
くるしみてていにすればとがなし。うれうるなかれ。それまことあり。(地天泰)
 
平らなものは必ず傾き、去ったはずの閉塞の時代は必ずかえってくる。

泰平の時はとかく安易に考え、安泰が永遠に続くという錯覚にも陥りやすい。
泰平の世を傾かせるのは、そういう怠りと油断、危機管理能力の欠如である。
 
時は生々流転して、一時として変わらないものはない。
盤石の安泰はなく、人の心も、世の中も時とともに変わっていく。

「易経」一日一言 (致知一日一言シリーズ)

繁栄が極まれば、衰退がやってくる。それが自然のことわりです。
ずうっと不変で栄え続ける一族など、いないのです。

他所から血を入れるからこそ「三代でつぶれない」

細雪

父は、晩年に隠居して家督を養子辰雄たつおに譲り、次女幸子にも婿むこを迎えて分家させたが、三女雪子の不仕合せは、もうその時分そろそろ結婚期になりかけていたのに、とうとう父の手で良縁を捜してもらえなかったこと、義兄辰雄との間に感情の行き違いが生じたこと、などにもあった。いったい辰雄は銀行家のせがれで、自分も養子に来る迄は大阪の或る銀行に勤めていたのであり、養父の家業を受け継いでからも実際の仕事は養父や番頭がしていたようなものであった。

谷崎潤一郎 細雪 上巻

以上は谷崎潤一郎の「細雪」の一節です。この小説は大阪の船場、戦前の裕福な商家の風俗が良く記されていると評されます。商家は昔から養子を取って家を継がせることが良くありました。若手の中で一番優秀な人間を主人が見極めて、娘と結婚させるのです。

乳母日傘で育った心優しい息子を生き馬の目を抜くビジネスの世界に放り込むより、ハングリー精神旺盛で優秀な若者に家を継がせたほうが安泰なのは当たり前です。血は娘が継げばよい。

実利的な商家では、女系であるほうが効率的な面もあったのでしょう。
武家は対照的に男系であることが大切でした。
うーん、財(女の星)と官(男の星)の違いってココだね!実益の女と理念の男。

近江商人の家族経営企業の「老舗」の伝承を支えてきたのは、もう一つ非常に独特な「別家制度」にある。簡単にいうと、家族経営企業を支えてきた外から来た優れた奉公人が財産と名前をもらって独立する制度だ(中略)別家の中でも特に優秀な者は家族経営企業の本家に婿入りし、後世の祭祀を受けるものまでいた。

日本の家族経営企業はいかに「富は3代続かず」を逃れてきたか (3)

接ぎ木することで、元の木がもっと生き生きとする。そういう時期は、どんな家にも必ずやってきます。元の木の生命力だけにこだわるなら、地に還るときが来るのを素直に受け入れればよろしい。
だから、自分が継げなくて家をつぶすのが嫌なら「接ぎ木」すればよろしいのです。

本当にその家が「続く」必要があるというならば、天は跡継ぎを用意するものです。
そして、その後嗣は自分の血を受けている必要はないのです。大切なのは、縁です。

タイトルとURLをコピーしました