愛に対して閉じる女性性を癒すプロセス

スピリチュアルブログ
画像:写真AC

具体的に記事にして書いていなかったのですが、地味に地味に日常的に内なる男性性と女性性のワークを続けています。

男性性と女性性の調和した関係~そして見えてきたもの

私の男性性と女性性は「距離があったほうが心地よい」という関係で、別居していました。内なる男性は山で狩りをする自然児で、内なる女性は里山で地に足をつけて生きるシッカリ者でした。

私の男性性は「いじけ」がひどく、「どうせ自分は必要とされてない」「自分は認められていないのだ」と傷ついていました。それによって「自分を認めろ!受け入れろ!」という承認欲求が高まってしまう状態にありました。そしてそのウザい承認欲求をぶつけるものだから「やめて。あなたに近くへ寄られると不快です」と 女性性に拒絶されている状態でした。

サガプリヤ・デロングの あなたの内の男と女 -愛と自由を手に入れる魔法 を読んで、内なる男性性と女性性の不調和に気付いた私は、女性性に男性性を認めてあげるよう働きかけていきました。

そうやって内なる男性性を認めていくと、関係はかなり安定したものに変わっていきました。男性は自分に自信がついたので心の余裕ができ、女性のバウンダリー(境界線)を犯すことがなくなりました。女性も安心して男性と接することができるようになりました。

男性は山の中で生活し、獲物が余った時はたまに女性性に持っていくような感じで、女性はたまに来る男性を受け入れるようになりました。家を心地よく保つには男手があると助かるということもわかるようになりました。本来の男は女の役に立つ生き物なのです。

そして、昨年の晩秋のある日。
私は唐突に「一緒に暮らしている男性性と女性性」を見つけました。
「はっ!?えっ!?一緒に暮らしてる!?うっそ!!」と驚きました。

内なる男性と女性は、空間を共にしてもお互い心地よく過ごせるようになるまで成長していたのです。男性は庭の冬囲いをし、女性はそういう力仕事を引き受けてくれる男性に対して感謝していました。

やがて、私は自らの内なる男性のアーティスティックな才能の開花に気づきました。私の芸術に対する感性というのは女性由来ではなく男性由来だったのです!多分これは珍しいケースでしょう。感性は女性性の担当であることが多いですから。

キラキラ才覚に輝いている男性性に気づいたと同時に、地味に落ちくぼんでいる女性性の重さ(暗さ)に気がつきました。
あれだけシッカリ者で頼りになるように見えた女性性が、ただ毎日のルーティンを繰り返す「安定だけが取り柄のつまらない人」に落ちくぼんでいるように見えたのです。

そして年が明け、私はセックスの最中にエネルギーを通わせようとしない(閉じている)女性性に気がつきました。

欲望や欲求のプロセスについて、注意しなければならないことがたくさんあります。

一つは、それがあなたを未来へと連れていって、あなたは現在の経験との接触を失ってしまうことです。もう一つは、あなたがだんだんずる賢くなって、自分の欲求をかなえる最良の方策はなんだろうと、いつも考えるようになることです。
そして第三に、欲望はその本来の性質からして努力を要求します。私たちは努力することに慣れっこになっていて、別のやり方があることにさえ気づかないのです。

(中略)

一つの深い切望は、肉体的な接触、セックスです。
女性は男性に強く惹かれますし、その逆もそうです。男と女が出会っても、一緒になった時に起こってほしいと願っていることは決して起こりません。

お互いに満たしてもらいたいのに満足の代わりにフラストレーションを感じます。
どうしてでしょうか?

その理由は、どちらも与えるものを持たず、二人とも愛をもっていないのに、双方が相手から何かを受け取ることを期待しているからです。(中略)

満足は常に未来にあって、現在には空虚さしかありません。

あなたの内の男と女 -愛と自由を手に入れる魔法 P66~67

セックスは強烈なエネルギー交換

ところで、私は昔ギャルでした。こういうやつ↓

egg(エッグ)2019AW*Beauty (パワームック)

10年代のギャルはまた違うかもしれませんが、90~00年代のギャルという生き物は、非常に性に対してアクティブな人種でありました。平たく言うとセックスをしまくっていました。

彼氏が2~3人いるのは当たり前で、それプラスしてセフレがいて、経験人数は三ケタ。
みたいなギャルも珍しくありませんでした。

そんな文化の中にいて、私は積極的にセックスをしようとしないギャルでした。
セックスが嫌いなわけではありません。むしろ良いものだと思います。しかし「合う人」以外とセックスをするだなんて無理だったのです。

本当にセックスが好きなギャルはこの「合う」という感覚が全然わからないようでした。そんなギャルを見ていると、「私って、セックスという行為自体が 心の底から好きなわけじゃないんだなぁ~」と思いました。

セックスというのは強烈なエネルギー交換なので、軽々しくしないほうがいいということに気づいたのは、後のことです。最近は性依存症が話題に上ることが多くなってきましたので、ご存知の方もいるかもしれません。

30~40代男性が7割、「性依存症」の深刻な実態
私は東京都内にある6カ所でメンタルクリニックを運営しています。池袋本院を中心に、6つのクリニックヘ毎日、約900人の患者さんが通ってきます。その約900人のうち、4人に1人は「依存症」の患者さんです。依存症に…
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/572432/

これは男性にとっても同じで、不用意に合わない人とセックスをしてエネルギーを交換しまくると精神崩壊しかねません。性での問題というと女性が被害者側というイメージがありますが、男性だって無防備すぎるセックスでは精神の深いところが傷つくんです。魂レベルで見るなら、お互いに傷つけあってるのです。すごい不毛です。

バカバカしいきれいごとと思われるかもしれませんが、セックスには愛が必要です。
性欲や支配欲で行うセックスは害になります。精神をむしばみます。
そして、精神だけで見ると壊れやすいのはむしろ男性側なのです。

昨年、池袋のラブホテルで殺人事件がありました。

これ、池袋北口に限らず、ラブホ街あるあるなんですよ。デリヘル(ホテトル)嬢って昔からよく殺されるんですよ。だから送り迎えが付いて運転手にきっちり連絡とるわけで。
売春婦が客に殺されるのは昔からの定番なんです。遊郭やちょんの間で、なんでやり手婆が待機してるかって「女の子を殺されないように守る」という目的もあるんです。そんくらい遊女を殺す、もしくは一緒に死に(心中し)たがる男は昔から多かった。【参考】吉原はこんな所でございました 廓の女たちの昭和史

つまり、セックスで病む男ってのは昔から定番なんです。
今だって、若い頃にセックス中毒になった人は中年になって自殺する人が多いでしょう。おいらギャルだったから、そんな人、たっくさーん見てきたで。

セックスに狂う人間はマジで死ぬ。「やっぱ人生はSEXしてナンボっしょ!」みたいに性行為に執着し快楽を追及する人は、結局最後はキメセク(薬物を使用してのSEX)に行き着くんです。そして立派なヤク中の出来上がり。怖。

ナンパ師(恋愛工学生)も精神病んじゃう人多いでしょう。即れる(セックスできる)ようになって浮かれてヤりまくってメンヘラ化する。見事な転落人生。怖。

ベストセラー作家が告白「セックス中毒とうつで苦しんでいた、あの頃の僕」 | 伝説的“ナンパの神様”が懺悔
10年前、女性を口説き落とすテクニックを解説して世界的ベストセラーとなった『ザ・ゲーム』。著者ニール・ストラウスはその後、乱れきった生活の中で自分を…

ナンパの神様、ニール・ストラウスも結局は鬱になってセックス依存症に苦しみました。「この女性こそが自分と人生を共にする人だ!」という素敵なパートナーと出会っても、ナンパ癖が抜けないため良い関係を築けずに相手を不幸にし、その結果自分も満たされずに終わる。

なんとしてでも愛する女性と幸せな関係を築きたい!
セックスに支配される人生から解放されて幸せになりたい!
ニールは自分と向き合いトラウマを癒すことで、愛する女性と二人で歩んでいく道を選べるようになります。この過程はザ・ゲーム ──4イヤーズに詳しいです。

俺たちの親は瓜二つだ。子どもに無関心な父親と過干渉の母親。(中略)
そう考えると、男女の仲は奇妙なものだ。恋はハプニングではない。絶妙な縁である。
メーカーの異なるパズルのピース同士が、ぴったりはまって対になるようなものだ。

「誰かに一目ぼれしたら、背を向けて逃げろ」と言われたことがある。
だから、逃げた。
けれども、急いで戻った。
そして今、仲良く並んで座り、新しい人生を一緒に歩もうとしている。
(中略)
こんなに短時間で、しかも比較的スムーズに、イングリッドは俺に追いついた。現在二人で学んでいるのが、夫婦関係のセラピスト、ハーヴィル・ヘンドリクス博士の言う「長期にわたる男女関係においては、幼少時代を完結させることを目的とするべきである」という趣旨だ。 精神科医のエリック・バーン博士の言葉を借りれば、「愛は天然の心理療法」である。

ザ・ゲーム ──4イヤーズ Door5 自由
ザ・ゲーム ──4イヤーズ
パンローリング株式会社 (2017-02-11)

やはりモテは悪い文明!!粉砕する!!
だって結局、恋愛工学生や死ぬまでSEX老害が生まれるのって「モテれば自分の価値を世間に証明できる」って考えから生まれてるわけでしょ? なら「モテ」という概念を粉砕すればいいんだよ。

人を不幸にするモテ文化は死ね。
AneCanもGGも、めでたく死んだぞ。MADUROは「不倫しまくり若い女を抱くヤンジー(ヤンチャジジイ)になろう!」から「妻が一番!家族って最高♪」雑誌になったぞ(つか、どうした…)。
ナンパ文化も早く死のう。港区女子も絶滅しとこうぜ。

「死にたい女」を餌食にするSNSナンパ師の狂気 他人事で済まない「座間事件」の手口
神奈川県座間市のアパートで男女9人の遺体が見つかった事件は、10月で発覚から2年が経った。被害者はSNSで知り合った自殺志願のある女性ばかり。ジャーナリストの渋井哲也氏は「SNS上で『死にたい』とつぶやいた人の相談にのる形のネットナンパを繰...

私は合わない男の人とセックスをするだなんて、ただただ気持ち悪くて嫌でした。基準は「魅力的な異性かどうか」ではありません。エネルギー的に合うか合わないかです。

でも、世の中には「エネルギー的には合わないけどいい人」「エネルギー的には合わないけどイケメン」「エネルギー的には合わないけど金持ち」という人間がいます。
そういう人を振ると、周りのギャルから「どぅして!?付き合ぇばィィじゃん!絶対ゥチなら付き合ぅ!!!」と非難轟々になります。

直感で「ピン」とこないからって相手を振るだなんて、ひどい行為だ。
もっと相手の中身を知るべきだ。
付き合ってみたらいい人かもしれないじゃないか。

なるほど、それにも一理ある。
そう思った私は、告られたら振らずにとりあえず付き合うことにしました。

でも、やっぱダメなんです。「違う」んです。
相手に魅力があるかどうかじゃない。「エネルギーの型が合わない」のです。もちろんセックスをするだなんて、絶対絶対無理。血液の型が合わない骨髄移植みたいに事故る。

こんな風にして、私は昔からセックスに対して消極的な人間でした。合う人といたす分には良いのですが、合う人なんて非常に希少種でめったにいない。10億人に1人くらいしかいない。経験人数100人とか絶対無理。ありえない。

「異性を家にあげる=性行為に同意している」という考え方がありますが、私としては違和感を覚えざるを得ません。私は実際に自分の家か男性の家(共に一人暮らし)に行って、ベッドで一緒に寝てもセックスはしないということを何度もしています。
さあ、ぐうぐう寝るぞ!川の字で!!

「サシ飲みOKなら当然暗黙の了解でOK」という考えも意味が分かりません。
だって男友達とサシ飲みなんぞフツーにするわいな。大人数だと話しにくかったり相談しにくいこととかあるでしょうよ。「その人だからこそ」話したいことが。なら、サシ飲みするでしょ。もちろん、キスもセックスもしません!

「そもそも男と女の間に友情なんか成り立たねえよ。下心無しに親しくするなんてありえない」という方は、もしかしたら性依存の傾向があるかもしれません。 セックス依存症になりました の第3話から一部ご紹介します。

「付き合う=セックスをする」という考えも良くわかりません。私が今まで付き合ってきた男性の中で、セックスをしたのは2割くらいしかいません。付き合ってもセックスしないことも多いのです。なぜなら、型が合わないから。合わないならしない。

恋愛工学の↓セックストリガー理論とか、まじで嘘なんで信じないでくれます?

これは依存的なメンヘラにしか有効じゃないっすよ。逆に言うならメンヘラには、効く。だから恋愛工学生はメンヘラとのセックスを重ねて精神を病む。だって、メンヘラと性行為を行うということは「病んでるネガティブなエネルギーをドバドバ受けちゃう」ってことだもん。怖…。

男だろうが女だろうがセックスに執着すると、ろくなことにならんのです。

色(恋愛やセックス)に溺れてはいかんよ。それで自分の闇を洗い出したいというなら、仕方ないけど、茨の道。遊び人がセックス狂いの果てに無残な姿になって死んでいく様子を見てきた私には、とてもではないけれども推奨できません。

別の言い方をするなら、それくらい性のエネルギーというのは強烈で力があるということです。人を狂わせて死に至らしめることもできるほどに。死と性を司るのはどちらも冥王星であるという事実は、非常に示唆深いものです。性は死の別の表現なのです。

性センターのエネルギーを健全な方向へと生かすことは、男にとっても女にとっても非常に重要な課題です。上手くできれば、力強い愛の循環を生んでくれるのだから。

当たり前ですが「セックス=悪」ではないのです。
「今の社会状況ではそうなる場合が多々ある」というだけの話で。

傷ついている自分に気づきたくない、何も感じたくない

さて、私は性エネルギーの中に飛びこんで「閉じている女性性」を発見しました。
セックスに対して閉じているという説明だと、語弊があります。じゃあセックスに対して開けばたくさんの男とまぐわりたくなるかというと、そうではありません。開いてもやはりエネルギーの合う人でなければしたいとは思いません。

問題は「合う人と交わっていてすら閉じている」ということです。
つまり、根本的には閉じているのはセックスに対してだけではない。相手のエネルギーに対して閉じているのです。

閉じている女性性に気づいたら、次は面談です。
「お時間いいですか? 折り入ってお話があります」です。笑
右目をつむって体の左側(女性的側面)に意識を向け、内なる女性性と話をします。

男性性と女性性、そして「客観的に眺める自分」の椅子を用意して、女性性のところに座りました。

(このセラピーの詳しいやり方は、 あなたの内の男と女 -愛と自由を手に入れる魔法 をお読みください。簡単に説明するとゲシュタルト療法のようなものです)

Nozomi
Nozomi

あなたはなぜ閉じているの?

閉じないと、相手のエネルギーが流れてくるから

Nozomi
Nozomi

流れてきてもいいじゃない
何か問題があるの

だって、流れてきたら
相手が傷ついていることが感じ取れてしまうから嫌

Nozomi
Nozomi

???
傷ついていることを感じとると何か問題があるの?
傷ついていてはいけないの?
それとも、「男は傷つくな、強くあれ!」みたいな願望があるの?

相手が傷ついていることが見えると
それが鏡になって共鳴して
自分が傷ついていることがわかっちゃうから嫌

Nozomi
Nozomi

???
自分が傷ついていることがわかるとダメなの?

嫌なの
何も感じたくない

Nozomi
Nozomi

えっ
で、でも
女性性は感じやすい柔軟性こそが本質でしょう?

閉じていたいの
何も感じたくないの
傷ついているのが嫌なんじゃなくて感じるのが嫌なの

Nozomi
Nozomi

ど、どうして……?
あなたの感じていることは
まさに人生に必要なことなのに

だって、正しく認識したら
私は感じとってしまうもの
父親が娘に向ける性欲を

Nozomi
Nozomi

そこかー!!!

閉じていた女性性が現実にもたらした気づき

この後、傷ついた女性性、閉じてしまった女性性を癒すプロセスに入りました。

男性性は女性性を包み、自分の心を感じるように力づけました。昔の彼にはまず無理な芸当です。成長したなぁ~……。というか、男性性がここまで余裕ができてきたからこそ、女性性も自分の深みに眠るものを解放できるようになったのでしょうね。

ここで私は男性エネルギーの素晴らしさを味わいました。
癒しというと女性エネルギーのイメージが強いかもしれませんが、男性エネルギーによる癒しもあるのです。

そしてそれを可能にする「男の余裕」とは、かくにも大切なものよ……。
恥ずかしながら自省なのですけれども、いくら自論が正しくても女は男を徹底的にコテンパンに追い詰めてはいかんのだよ……。常に逃げ道は用意してあげないと。ああ、反省反省。

さて、内なる男性と女性は外側の現実を反映していることが良くあります。ミクロはマクロです。

この閉じていた女性性を見て、具体的には「傷ついている相手から目をそらす」様子を見て、私は「ああーっ!だからそういうことが起こってたんだー!!」と声をあげました。

私ね、男性からね、スンッって切られることを繰り返していたんですよ。
付き合う男の人付き合う男の人、私の心の中の柔らかい部分、つまり傷ついているところを見ると目を背けて逃げちゃう、ってパターンを。

だから、私は男の人に対してすごく不信感があったんです。
「何か私の心の深いところを見せると、男はすぐ逃げる」と。

Nozomi
Nozomi

なんで?
なんで一番大切なこと話してるのに
そんなに冷たい反応するの?
私の気持ちわかってくれないの?
ひどいよ!!!

これは、私の女性性の「傷ついたところを見たくない」「何も感じたくない」「不用意に感情を揺さぶられたくない」を、相手に投影していただけだったのです。なんてこったー!!

もっというならば、交際相手だけではなく父からもそういうリアクションをされていました。父は何か言うと「うるさい!だまれ!」という人だったので。

でもね?でもね?世の中には「女の話を聞いて共感することのできる素敵な男性」もおるわけですよ。友達のパートナーがそういう人だったりするわけですよ。ほら、中島梓さんの夫だって編集長まで出世してたってーのに 妻のために仕事辞めて主夫になって育児に励んだり、妻が演劇やりたいって言ったらプロダクションの社長になって支えたり「妻の感情に寄り添える素敵な男性」というのは、確実におるわけですよ。

現実に存在しているそういう人を見ても、私はポカーンとしてたんです。なんか別世界のことみたーい!って。
でもね、それって自分が閉じてたから引き寄せられなかっただけなんだよねー。
相手の人格の問題じゃなくて、自分のコンディションの問題だったんだよ。

ハァー。
内なるエネルギーが「閉じていた」から、「そういう現実」になっていたのだね~。
だから心の底では「そういうことが起こる」って思ってて、「どうせ信じられない、男に自分の心は受け入れてもらえない」って思ってたんだね~。だって、自分が閉じてたんだもんね~。

な~る~ほ~ど~!!
おこるべきことが普通に起こっていただけだったのだ。うんうん。
すごく納得しました。

閉じていたら、愛は廻らない。
周りの人が愛情深い人たちであってすら!
男性性と女性性の学びって、深いですね。面白いわー。

彼らはあえて出会おうとしなくてもいいのです。ただ自分が進む道で、毎瞬毎瞬、未知へと踏み込んでいく、それぞれが不安定でいるという勇気を持つだけでいいのです。(中略)彼らが道の途中で安全でいられるという保証はありません。その逆です。でも一つだけ確かなことは、彼らは成長するということです。

「成長」という言葉で、私が言おうとしているのは、それぞれの中で内なる愛、自己充足、幸福の核心が拡大して、さらに広がり続けていくことです。「成長」という言葉で私が言おうとしているのは、彼や彼女の各々の自然な衝動への信頼がとても深いために、もはや対極の願望が制約や拘束として取り込まれることはないということです。しかしそうなるためには、彼らはまずお互いを手放さなければならないし、自由にならなければなりません。それは簡単そうに聞こえますが、抵抗もそれなりにあるでしょう。(P299~300)

永続する愛は可能なのですが、あなた自身の誠実なコミットメントと、成長しようという意欲と、助けになりうるテクニックや人生の状況を用いて積極的に実験してみようと思う気持ちが必要です。

そのコミットメントさえあれば、あなたの旅はワクワクするものになることを保証します。(P302)

あなたの内の男と女 -愛と自由を手に入れる魔法
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