魚座はウオちゃんでウオウオウォウ

ホロスコープ

こんな頭の狂ったような題名の記事にアクセスしてくださり誠にありがとうございます。

鍋パで魚座トーク

私は過日、魚座の強い友達と鍋パをしまして、魚座トークをしました。

Nozomi
Nozomi

やっぱさー、ホラ
魚座の人って内に
カオスを抱えているわけじゃん

ウオちゃん
ウオちゃん

は!?
カオス??

Nozomi
Nozomi

氷山みたいにハッキリわかりやすく形にできるところはめっちゃ小さくて、意識できない水面下にはどわー!!ってすごいカオスがあるじゃん
言葉にはできない、よくわかんないんだけど、なんかあってぐるぐるしてて、すごい混沌とした膨大なエネルギーが奥からグワーって上がってくるわけじゃん!

ウオちゃん
ウオちゃん

ああー!
あるあるー!
めっちゃグワーってしてる!!

Nozomi
Nozomi

そう!「グワー」なんだよ!
言葉で明確にはできないけど
「グワー」があるんだよ!!

それこそ魚なんだよ!!

と話してて、思ったんです。
「そうか、だから私は家族の中でカオス、混乱を味わっていたのだ」と。
私の育った家庭は、実に魚座的空間だったのだ、と。

魚座家庭で育った私

魚座って、エネルギー値ごっつ高いです。
というと「は?魚座ってソフトで人当たり柔らかくておとなしいじゃん」という反応が返ってくるでしょう。確かに、目に見える部分は大人しいです。だけど、心の中、精神的には12星座中エネルギー値MAXなんです。張るのは蠍座くらいか。

蠍座のエネルギー値の高さは「突き抜ける激しさ」だけど、魚座のエネルギー値の高さは「どこにでも満ちていくから物質的なものは飲み込まれて非局在的な存在に到達してしまう」というものなんです。

魚座の心の中にはもう二元性から解放されつつある領域が渦巻いているんです。だからそれを物質的観点で表現すると「カオス」になるわけで。わけわかんないわけです。もちろん魚座本人もわけはわからんだろうけど。わかんないけど「ある」んです、確かに。

でね、私ね、実は育ったのが「超絶ウオウオしている家庭」なんですよ。
自分以外の家族メンバー、父母妹、全員魚座生まれ。

父→太陽・火星・水星・(月)
母→太陽
妹→太陽・火星
私→無し

↑こんだけ魚座に入ってるんですよ。ウオウオしすぎィ!そしてオイラの魚座の虚無っぷりよ……。

今まで全然気づかんかったんですけど、サターン・リターンの子の記事を書いて「え?なんか、おとん、魚多すぎん?え?そういや母ちゃんも妹も全員魚やん」って今更ハッとしたんです。

私は牡牛~射手の間に全惑星がありまして、山羊~魚という「成熟のプロセス」にいるサインに惑星は全くありません。トランスサタニアンを除くなら、牡牛~獅子の間に集中しています。つまり、春~夏のサインに集中しているのです。これは四柱推命の地支でもそうです。春(卯)~夏(午)。パーソナルカラーでも見事に、スプリング寄りのサマー(ブルべ)です。

ディグリー占星術で見ても「お前単純脳筋やな」判定受けそうなくらい若い度数が多いです。
サイン入りたての、フレッシュさ!何の疑いもなくそのサインの象徴を信じている真っ直ぐな瞳!イノセンス それは、いのち。ああ、年食ったオバちゃんには眩しいぜ……。

つまり、私は季節で例えるなら春~夏の質。まっすぐで健やかにぐんぐん伸びてはいくのですが、熟れて練れてはいないわけですね。

そんなオイラが現世ギリにとどまってるくらいの成熟エネルギーである魚座でウオウオしている家族をウオウオ理解できるのか。
いや、無理っちゃろ。つか、無理だった。

今思うと、私はウオウオな彼らの内包する「カオス」に気を配ることが無かったのです。「え、言いたいことあんならハッキリ言えや。なんで言わんの」でイラついて終了。火星魚の男性と付き合ってた時も同じイラつきを経験しました。ハッキリ言わんのですよ。

でも、魚座のカオスを明確に表現する言葉などないのです。一部分は芸術的な手段で表すことができるかもしれない。だけど、それを完全にこの三次元に顕現するだなんてできない。だって、もう魚座は物質世界から足半分はみ出てる存在なんだもの。そう、スピリチュア~ルだぜ☆

アタイのような太陽蟹-月牡牛だなんて「超物質的」人間が「なんでハッキリせんの、ハッキリせえや」つっても、できねんだべさー!!※シュタイナーに言わせると蟹座は唯物論者です。つか、なんでこの仕事やってんの?核爆アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー.(,,゚Д゚)<逝ってよし!

母はね、私を見て「ずいぶんと自分の考えに自信があるんだね」と渋い顔をしていました。私はフツーに自分の考えをフツーに口にしたりフツーに実行したりしているだけなのに、それが母にとっては気にさわるようだったのです。

今から思うと、単細胞で猪突猛進型の娘が太陽魚の母には理解しがたかったのでしょう。水瓶-魚に惑星が集中する母にとって世界というものはもっと「様々な要素を含む大きなもの」であり、視野が広くて色々な要素が目に見えている分「迷ってしまって簡単には選択できない」状態だったのでしょう。

前半サイン+初期度数にばっか星があるアタイは単純だからねー。
「あっ、これやりたい!ハイやる!ハイやったー!」で終了だから。脳筋。

でも、母は家庭において権力者でした。
だから、母が「随分と自信があるのね」と不機嫌になるたび、私はショボショボとしぼんで自分の意思を通すことをやめてしまいました。つまり、母の「カオス」に飲み込まれる形になったのです。そうすると、母は娘が自分の世界から飛び出ていかないので満足気でした。

魚座の真の宝は内側のカオスにこそある

このように、日常で接する人に「エゴによってカオスに取りこもうとする(それによって孤独感を紛らわし、依存関係に持ち込もうとする)魚座の悪い面」が出てしまっていた場合、どうやって付き合っていったらよいのでしょう?

基本は「自分のペースを乱さないこと」。これにつきます。
魚座のペースは基本、見えないのです。わけわからないのです。合わせようと思っても、なかなか合わせられるものではありません。イニシアチブを握ってしまって「自分はこうやりたい!」と意思を示して魚座側に合わせてもらうほうが得策でしょう。

しかし、合わせた魚座のほうは自分の内側のカオスのエネルギーを吐き出すこと(相手に投影すること)ができなくて消化不良を起こしてしまう可能性があります。その場合は、そっと距離をとって相手を一人にする、もしくは自分以外の人とかかわってもらう時間を取るとよいでしょう。

水のタイプは対人関係では拒絶される立場になることが多いのだが、これは主として自分の小さな世界さえ心地良ければ、パートナーが成長するためにもっと刺激的で知的な土壌を必要とするかもしれないなどとは、考えもしないことに起因している。

水には他人を通じて生きようという傾向があるが、これは常に危険性の高い行為だといえる。それが他人に及ぼす影響は、樫の木に寄生するやどり木のようなものである。やどり木はその主人を窒息させてしまうのだ。

リズ・グリーン 占星学 P125~126

魚座自身は近しい人から「一人の時間をとったほうがいい」といわれると「拒絶された」「自分は必要とされていないのだ」と感じて傷つくかもしれません。
そうではなく「一人で自分と向き合う時間こそが、内なる膨大なエネルギー(カオス)を使いこなすためには必要なのだ」と知り、他者ではなく自分と向き合うことで大きな宝を得られることを理解してください。黄金は常にあなたの内にあるのです。

内観や瞑想によって自分と向き合うことは「大いなる源」とのつながりを感じさせてくれます。表面的なことばかりを言いたがる俗社会の人たちへの失望も和らぐことでしょう。
そして、魚座が自分の内面のカオスを理解するのに役立つのが神話、すなわちアーキタイプ(元型)に触れ合うことです。神話に触れることで、言葉にできないエネルギーを形に変換していくヒントが得られるでしょう。

魚座の「わかってもらえない孤独感」を癒すには

リズ・グリーンは占星学の中で、水のエレメントの対になるのは風だと書いています。水の感情は風の知性により、風の知性は水の感情により、より洗練された形になるのです。
これを魚座でいうならば、自分の内のカオスをできうる限り自分で認知し他者にわかりやすく表現することが「風の力で洗練させる」ことになるでしょう。文章でも歌でも絵でも、手段は何でもよいのですが、そのカオスをできうる限りこの世界に具現化する。そうすれば、部分的には「わかってもらえる」。

魚座の物質世界における孤独感というのはかなりのものです。いや、だってそうでしょう。そんなカオスがあるだなんて誰もわかりませんもん。(下手すると魚座自身もわかってなかったりするでしょう)

社会で生きていこうとしても、あまりにも自分の感覚(カオス)とマッチする場面が少なすぎて、「これが社会ではスタンダードなのである」という基準を丸呑みにしてしまう魚座もいます。自分の基準はあてにせず、常に「○○さんがこう言っていたから」で動くのです。けしてマニュアルから外れることはありません。無秩序ゆえに二元性から解放されていく魚座のプロセスのはずが、ルールにガチガチに縛られてしまうのです!

魚座が社会に適応していくために、ある程度やむを得ないプロセスかもしれません。しかし、ずうーっとこれをやっていると、せっかくの魚座の良さが死んでしまいます。悲しいことに「自分の感覚」を価値のない邪魔者として認識するようになってしまいます——。

魚座に月がある場合は余計に「現世的に生きよう」とチャレンジすると、挫折を味わうでしょう。表面的には与えられた役割を上手くこなせてすら「結局自分のことはわかってもらえないんだ」という失望を抱かざるを得ないのです。
魚座は簡単に連帯感を持てないんですよ。カオスの言語化が難しくて。


牡牛
「これ美味いから食ってみー!」
「わーウマーイ!」
「イエーイ!」

gemini
双子
「この本面白いから読んでみ」
「えっ、すごい面白い!」
「イエーイ!」

cancer

「つか、どこ住み?」
「宇都宮」
「一緒じゃん、イエーイ!」

↑こういう単純さは魚には望めない。確かに魚座だって美味いもん食ったら美味いし面白い本読んだら面白いし近所に住んでたら親近感がわくんですけど、「でも、そこじゃない」んですよ。「そうじゃなくて、もっと、もっと深いところでつながりたい!!」なんです。もっと深い衝動(つまりカオス、二元性のない混沌=太極)を分かち合いたいんです。溶け合いたいんです。もう物質的な形を保つのではなく、精神体として生きていきたいのです。

思えば、魚な父も母も妹も、多分溶け合いたかったのだろうなと思います。
だが、脳筋なオイラと溶け合うのは、無理な話で。すまんな。

そんでチャートで見てたら父親と母親、母が私に愚痴るほどは仲悪くはないんですよね。「あーこりゃあお互い一緒にいたがるわー。あんだけ悪口いってても離婚せんはずだわー」って配置なんです。絶妙に。いわゆる「相性がいい」。そしてそれを象徴するかのように私のネイタルチャートでも太陽と月はセクスタイルなわけで。

なんだよ!仲いいんじゃん!
娘に夫の愚痴いうなよ!オイラ単純だからそのまま受け取るだろうが!!
あーバカバカしい。これだからツンデレは面倒くさいんじゃー!!!

父はそもそも自分の魚成分をメッチャ殺す(とことん周りに合わせまくって自分の感覚を殺す)方向へ行ってしまっていました。結果、エネルギー的にショボショボでした。人としても魅力が無い。
あたりまえだよ、太陽のエネルギーを使わん人間が魅力的になんかなれるもんか。どんな人だって自分の内なる太陽を使ってこそ、その人ならではの輝きが出るんだよ。

ああ、太陽期(25歳~35歳)の過ごし方というのは大切です。太陽期の真っただ中に訪れるサターン・リターン(29~30歳ころ)をどうやって乗り越えるか。周りの圧力に負けず、「自分」を見つけ出し救い出せるか。
父の場合、サタリタで病気になったことがメチャクチャ大きな「本当の自分を取り戻す」チャンスだったのになー……はぁー。もったいない。

確かに魚座は火の星座のように能動的に「行くぜオラー!」はできない。だけど、自分の中のカオスと瞑想や内観でふれあって、寝ている間に夢でもう一人の自分と話をして、言葉にできないそれをふわぁって乗りこなせば(いわば、水の中を泳ぐ魚のように!)、自ら動かなくても現実が自分の望む形になっていくという奇跡を体験できるのです。まるでフィクサーのように。

魚座の力で世界を変えたいと思うなら、瞑想や内観で自らの内側に触れること。内側から変わること。外側(他者)に期待をするのではなく、自分の内なるカオスのエネルギーに期待すると裏切られない。そこが一番強烈なソースなのだから。

占星学
占星学
posted with amazlet at 20.01.02
リズ グリーン
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