占いは宇宙とつながるためのツール(型)である

ホロスコープ

占いを「体得」する

わたしは2019/11/2発行のメルマガで以下のように書きました。

占いというのは、武道でいうところの「型」なんです。
型を学んだ方が上達は圧倒的に早い。
型を学ぶことは良いことです。

だから、占術も役に立ちます。
しかし、それはあくまでも入門であって
一通り学んだら自分の中に落とし込んで体得する必要があります。

だから、ずうっとずうっと占いに頼っていてはいけない。
最終的には、森羅万象(運気)を自分の感覚で
体得できるようにならねばならない。

「占いは己から出られません」
本当にこの言葉の通りです。
己を出て宇宙(森羅万象)にはつながれない。

この占いを「体得する」というのは、占いの一般論を自分の個人論へと消化していくということです。

例えば、「相性の悪い組み合わせ」というのがあったとして、そういう相性の悪い人ばかりと引き合う場合。
「一般的には相性の良い相手と一緒にいるのが良いはずなのに、自分の魂は相性の悪い相手との関係から、何かを学び取ろうとしている。それは何か?」
そう考えていけば、見えてくるものがあるのです。

ここで占いの本に書いてある通りに「相性が良い○ 相性が悪い×」と見てしまうと、魂の求めているものが理解できません。自分の奥深いところからの衝動を正しく受けとれません。

本当に人間の人生を深く読み取り、きちんと占いの世界を理解している占い師さんは、「運勢が良かったら○ 悪かったら×」なんて浅薄な読み方はしません。「木星はラッキーな星で土星はダメ!」なんて読み方はいたしません。「丙午の女はダメ」とか「Tスクエアのある人は不幸」なんて読み方しませんよー(私怨かいw)

「なるほど、あなたにとってそれは必要なのね。じゃあなんでなのかしらね」という魂の視点からリーディングしてくれます。だから個人鑑定に高いお金を払う価値が出てくるわけですよ。占い師本人の人生観や宇宙観をブレンドして鑑定してくれるわけですからね。

占いの本通りに人生は展開しない

じゃあ古典的というか一般的な占いはダメなのかというと、それも一概にそうは言えません。雑だし荒いけど、原石ではあります。何より当たろうが当たらなかろうが、気軽に楽しめます。
それを「自分仕様」に磨いていくのが「占いを体得していく」ということです。

例えば、わたしは東洋の干支を使った占術(四柱推命とか算命学とか)だと、もうエネルギー値が高すぎて高すぎてもんのすごい状態です。

冠帯-帝旺-帝旺!
いつでもやる気!!元気!!勇気!!

オレはやるぜやるぜやるぜ!
【画像】動物のお医者さん 動物のお医者さん 1

もう回転数マックスでキュルンギュルン常に回ってます。
「やるぜやるぜやるぜ!!アタイはやるぜ!!!」

なので、うちのサロンは「メンタル弱い人は向かないですよ」ってお断りしているわけでございますよ。
「鬱で無気力でやる気が出ません、どうしたら人生は楽しくなるのですか」とか言われても、アタイはそんな状態を心から理解できないのですよ。アタイ、常にフルスロットルだからさ。ごめんなさいネ?

そんなフルスロットル状態がいいかというと、一概にそうとも言えません。
エネルギー値が高すぎて、周りの人と半周、下手したら周回遅れくらいにズレます。

私は「兆し」を受け取るのが大変得意で、私が「いい!」と思ったものは必ず流行るし、「こうだよね」と思ったこともそうなります。
ただし、10年~20年後くらいに。

つまり、本人が一番「こうだー!」って思ってる時に、周りの人はまだそうは思ってないんです。超アーリーアダプターなんです。周りから見ると「何言ってんの?」っていう。

「兆し」ってそういうものなんですよね。夏至のときに一番太陽の力は強くなるし、実際紫外線が一番強くなるのも6月の夏至の時期なんですよ。だけど、現実に一番暑くなるのは8月でしょう。天と地の間で、2か月ずれるんです。

私は6月の時点で「暑い!暑い!」って言ってるようなモンなんです。
で、周りとは「何言ってんの、まだそんなに暑くないよ」ってズレるわけ。
8月の暑さを6月の時点で感じとってるようなものなんですね。

西洋占星術でいうなら、サビアンで「雪におおわれていない土地にあるソリ」(おうし座8度)持ってますからね。周りの人が必要性に気づいていない夏のうちから、冬に向けて用意しておくのですよ。みんなは「そんなもの役に立たない」って笑うけど、私は必要になるのがわかってるから。みんなが見向きもしなくても、コツコツコツコツ、牡牛座らしく地道に準備するんですよ。

みんななんで気づかないのかな?
明らかに、将来そうなるってわかってるのに。

ちゃんと先まで見通して、子を作らない。
幸せに育てられないなら、子を産まない。

強運期は、辛い

でね、そんなエネルギー値の高い私は、占いでいうところの「強運期」がスゲーつらいんですよ。
ホラ、四柱推命だったら大運や流年で冠帯-建禄-帝旺巡ってくるときとか、0学占いで運期のグラフがガーって高まるときとか。

0学占いのグラフ

あのね、↑これが嘘こいてるとかいうわけじゃないっすよ。
確かにそうなんですよ。「周りから見たら」。

だけど、私の場合、ベースからしてエネルギー値MAX(算命学で言ったら天南星+天将星×2だゾー…)でギュルンギュルンだっつーのに、後追いの運期までそんなにガーって入ってきたら
「ああっ、もうダメっ、オーバーヒートで焼ききれちゃうぅぅうう!!!」
って状態になるんです。

まさに火旺の「夏」。

がんばれ地球 がんばれ地球 ぼくーは限界だー

それなのに、当然運気的には華やかな時期ですからね、周りから見ると「うまくいってる」「成功してる」と見えるのです。
本人的にはもう運が周りすぎててヒートアップしすぎてて「勘弁してえええええー!!」って赤い靴を履いて踊り狂ってる状態(Presto from summer…)なんですけど、周りから見ると「いいですよねー」「成功者ですねー」「自分もNozomiさんみたいになりたいです」って見られる。地獄か!!!

私自身が幸せを感じられるときとは、「人生の生きている意味を感じられる」とか「心の深くにふれられる」とか「深い天啓を受けて魂の意志を感じて涙する」とか、そういう「やはり命には意味があるのだ」と感じて充実できるときです。

私が幸せになれるのは、実は「運気が悪い」と一般的に言われる時期なんです。
0学でいうところの0地点。四柱推命でいうなら絶とか胎とか「エネルギー値が低すぎて現実的にはまだ花開けない」時なんです。

華やかな時ってあんま幸せだと感じられない。
地味に生きてる時こそが、幸せのとき。
私にとって「冬」は癒し(滋養)の季節。まさにこの調べ↓

い、い、癒されるぅ~~~~♪

能町みね子さんも、疲れた時には北に行くのです。
北(冬・陰)は癒し。

だから私は「帝旺は(真逆の)胎を生きてこそだ」というのですよ。実体験から。
七冲こそ癒しでしょ?冲は凶じゃないよ。正反対のものを見ることでより深く人生の宇宙が見えるんだよ。
西洋占星術でも正反対のオポジション(ハードアス)を使いこなす人は、器が大きくて心性が豊かであることと同じですよ。

自分の中に矛盾をきちんと内包すること、つまり自分の中で矛盾しているところがあることを潔く認めることは、二元性の超越にはなくてはならないステップです。両極が必要なのですから。

薄っぺらい木星と、深みを見せてくれる土星

西洋占星術の木星=好運期の扱いも、自分的には「ちょっと違う」と感じます。
雑誌では太陽に木星が来た時に「12年に1度のラッキー年!」なんて言ったりしますけど、私にとっては「???」なんでございやす。

ちなみに2020年に木星は山羊座を運行しますので、その論法だと「山羊座がラッキー星座!」ってことになります。2019年は射手座が12星座で一番ラッキーな星座だったのです。どうですか、射手座の皆さん。2019年は、12年に1度と言えるレベルのスーパーラッキー!な一年でしたか?

確かにT木星が来るとパーッとします。太陽だけじゃなくて、T木星の入ってるハウスやアスペクトを作る惑星は「パーッ」とします。スポットライトが当たってキラキラ輝くようです。それを世間では「運気が良い」というのでしょう。

しかしながら、私にとってT木星というのは「ハリウッド映画」なんですよ。
極上のエンタテインメントで、面白くて刺激的で、パッと気分が晴れる。だけど後には何も残らない。

逆にT土星が来た時には、しんどくてしんどくて「ファイトぉー!!いっぱあーつ!負けるもんかー!!!」って歯を食いしばって壁を乗り越えなきゃならない試練が起こります。
だけど、土星が通り過ぎた後には一皮むけた自分が残るのです。「わあ、私、すごく成長できた。過去の自分よりも、一回り大きくなったな!」と実感するのです。

だから、確かに木星が来てるときは楽しいし気晴らしになるし、「運気が良い」のかもしれないけど、後から見ると「あれはいったい何だったんだろう(むしろちょっと愚かで恥ずかしい)」という気分になるわけです。

「不運」って言われる土星は、確かにしんどいけど、後からふりかえると「この試練があったからこそ、今の自分があるのだ」って自分を好きになれる、誇りに思えるようなことが起こるんです。だから、私は土星、大好きー!!!

一般的な占いのいうことも間違いじゃないんです。そういう運期の強い時ってのは、確かに現実的に花開くんです。
だけどね、「本人がその状態に幸せを感じるのか」ってのは、また別なんですぜ?

したがって、「こういう時期は自分にとってはこういう意味合いの時期なんだ」という「自分仕様のカスタマイズ」を行うことが大事なんですよ。まずは鵜呑みにして「運がいい」「運が悪い」って思ってみていいんです。だけど、そこから「あれ?でも私ってこの時期こうだったなあ」「私にとって意義深いことが起きるのって、不運っていわれる『沐浴』の時期が多いなあ?」「サターンリターンがあったからこそ、私は本当の自分を生きられるようになったなあ。土星って、自分にとっては恵みの星で、不運の星ではないかも?」なんて検証していってほしいのですネ。

それで「自分なりのロードマップ」を作っていく。
それが「占いを体得していく」ということです。

自分ならではの人生、自分ならではの幸せを生きる!

「型」から真理に至る

前のメルマガの文をまた引用します。

占いというのは、武道でいうところの「型」なんです。
型を学んだ方が上達は圧倒的に早い。
型を学ぶことは良いことです。

この型っていうのは、実は占いじゃなくてもいい。武道でもいい。ピアノでハノン(練習曲)をひたすら弾き続けてもいい。

たぶん、こういうスピリチュアルなブログとか占いの記事とか読む人は「自分」を知りたいと思うのですよ。そしてもっというなら自分(ミクロコスモス)につながっている「宇宙(マクロコスモス)」を知りたいのだと。自分も宇宙であることを体感したいのだと。

あるお客様はセッションを受けた目的をこうおっしゃっていました。

なんか、高揚したいんです

この「高揚」というのは「つながってるかんじ」とか「満たされてる感じ」とか「愛されてる感じ」とか抽象的にふわっとした感覚ではありますが、刺激的な言い方をするならエクスタシーを感じたいとも言えます。

エクスタシーというとセックスやドラッグのダーティなイメージがあります。だけど、「法悦」とか「悟り」とか「至福」とか呼ばれるような宗教的な感覚でもあるのです。

高次な感情はH12で構成されている。これは感動し、崇高な気持ちに打たれることだ。身体が生産する最高の物質である性センターの力は植物の花を象徴とするが、これもH12であり、これはエクスタシーを感じるものといえばいい。

性センターが誤解されるのは、このエクスタシーが男女の性的交流でしか得られないと思い込まれているからだ。これは二極化されたフェイズ4世界特有の性質で、フェイス3にまで割り込むと、この男女二極化がいつの間にか消えてしまう。

エクスタシーと男女の交流はほとんど関係がないとみてもいい。

夢を使って宇宙に飛びだそう P225 太字強調は記事作成者による

悟りに至るというのは、宇宙との一体感を得るということ。ワンネスに至るということ。全てと一つであって、孤独なんてのは実は幻想にすぎないと体感すること。

占いもこの境地に至る一助にできます。「型」ですから。
しかし「型」は「型」のままではダメなんです。深めていかないと、単なるルーティンを繰り返すロボットになってしまう。

「土星が来たら運が悪い」なんてのも、型から出られていない証拠です。生き方が表面的すぎる状態です。しかしながらそれも「プロセスの一つ」ではありますから、そこを通ること自体は悪くありません。とどまり続けるのが悪いのであって、そこにいる人が悪いわけではないことに注意してください。

幼稚園児が10年も幼稚園に通い続けるのは明らかに良くない(もっと先に進むべき)ことですが、4歳児に「お前まだ幼稚園に行ってるのかよ」というのは不適切です。
幼稚園に行くときは幼稚園に行っていいのです。そして、幼稚園児はやがて小学生になって成長していくのだから、「幼稚園児なんて知能が低い」とか馬鹿にするのは間違っているのです。

そして、実は、型は何でもいい。自分に合った型を使えばいい。
地上のどんな手段を使っても、それは型にすることができます。宇宙とつながる(法悦・悟りに至る)手段にできます。

私が最近「つながった!」「一つになった!」「今、ここ、私、今これがしたかった!今ここでいい!私は今まさに正しいところにいる!!!」とエクスタシーを感じたのは、パンをこねてる時でした。

シンプルなパンをこねこねこねこねしてたときに、瞬間ビビビビビビビッと来たのです。「これだ!そう、私、今、ここでここに生きていて、それはすべて正しくてこれでよかったんだ!!」という果てしない意識の拡大、すべてと一つになった感覚(一人でも寂しさなんてみじんもないよ!!)、ものすごく満たされた感覚に頭からつま先までたぷーんとひたりきった状態を味わったんです。

パンこねてるだけなのに。
別に何の特別な石も使ってないし呪術もしてないのに。
スピリチュアルのスの字もない。小麦粉をこねてるだけ。

このふるり舎さんのツイがわかりやすいんですけど、「型」の意味ってここなんですよ。

武道家もそうなんですよ。毎日毎日ただひたすら型を繰り返し稽古することで、ある日いきなり「わかる」んです。昨日まで全く理解できなかったことが、ある日いきなり「ストン」って腑に落ちるんです。それが「型」を繰り返す意味なんです。

「力や才能のある特別な人にしかできないこと」ではなく「誰にでもできること」をただひたすら繰り返すことで、ある日いきなり悟る。それこそが「型」なんです。

数値化なんかできない。理論でなんて語れない。
誰もができることを誰もができるようにやっているだけなのに、ある日気が付いたら宇宙とつながってるんです。自分はすべてで、みんなもすべてで、誰一人として孤独な人なんていない。それを悟るんです。

何を型にしてもいい。占いでもパン作り(家事)でも瞑想でも散歩でも断食でもいい。
特別な能力のある人にしかできないことではないのです。
同じことを繰り返していると、ある日突然、やってくるのです。

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