東洋の五行陰陽思想の奥深さに触れたくて、四柱推命の本を何冊か当たってみました。
そして、全部「違う、そうじゃない」で終わりました。

書いてある内容が間違っているわけではありません。四柱推命の本には、ちゃんと占いの仕方が書いてあったんです。「印星がたくさんあると行き遅れがちだよ!」とか「正官が二つ以上あると何回も結婚して離婚するよ!」とか、そういうことがズラズラズラーっと書いてあるんですね。
要するに、四柱推命で「そういうこと」を知りたい人が世にはたくさんいるってことですね。うんうん。需要に対して供給しているわけです。ビジネスとして正しい姿ですね。
だけど、わたしが求めていたのはそれじゃない。
わたしが求めていたのは「五行というものは一体何か」「陰陽というものは一体何か」つまり、東洋哲学の根本を示す五行陰陽説の根っこを押さえる解説書が読みたかったんです。
すなわち、こういうことです。
「この公式を使えばこの解が出るのは分かった。だけど、なぜこの公式が組み立てられたのかの理由がわからないから納得がいかない。帰納法(実例からの判断)じゃなくて演繹法で説明してくれ(あふれる丙み)」
「財星があれば家庭運がいいというのは分かった。だけど、財星は(夫を破る)傷官から力づけられる(パワーを与えられる)のに、傷官があったら家庭運悪い意味わかんないじゃん。傷→財で財が強まるから、むしろ家庭運パワーアップじゃん?」
「つか命式内に正官が一つあったら結婚運が良いとかいうけど、正官一つもないのに結婚して添い遂げてるばあちゃんとかおるし、正官一つの命式だけど独身の女性もおるでー?日柱傷官なのに夫と仲良い女性だっておるでー?全っ然、当たらないじゃないっすかー!」
そこを「当たらないからダメ」じゃなくて、「そもそもその理論の出どころはどこなんだ」って話なんです。そこが知りたい。
これ、西洋占星術だってそうなんです。ホラ、よく雑誌に「2020年のあなたの運命!」とか書いてあるでしょ?でさ、なんか一つの星座をピックアップして「12年に1度のラッキー年!」「2020年の幸運ナンバーワンは○○座!」とかいうじゃないですか。

あれ、ただ単に木星の運行みとるだけですからね。その年に太陽合木星になる星座を「ラッキー星座!」って言ってるだけっす。
「いやいやいや、何をおっしゃるウサギさん。太陽合木星ならハッピーって、なんて乱暴な。あんた木星が悪い方向で出たらブクブク太りまくるわ調子に乗って大風呂敷広げて収集つかなくなって周りは大迷惑被るわ、ネイタルで太陽とアス多い人は却ってドカーンバキーンてブレーキ壊れちゃって大変だぞぉ~?リアル・プリウスミサイル!!!」って話なんです。
だけどね、まあ、雑誌の星占いなんて多くの方は気楽な気持ちで読んでるだけでしょう。だからそこまで目くじら立てて「精度が低い!」とか言わんくてもいいとは思うんです。いいんです、ライトな占いはそれはそれで。「あっ、今日の双子座3位~♪」って軽く楽しめばよい。
だけど、「雑誌に12年に1度の大幸運期って書いてあった割には、あんまパッとしなかった…」って人もいると思うんです。そういう時に「ああ、それは木星みてるだけだからね」って理由がわかってれば納得いくんですよ。「これで 大幸運期なら、来年はどれだけ悪いの?」って落ち込まずに済む。
わたしは四柱推命でも、たとい外れたとしても「ああ、それはここを見てこうだからそう言ってるんだろうな」が知りたいわけです。つまり五行陰陽説を深く理解したいわけですよ。
でも四柱推命の占い本には、そんなこと書いてない。
「異常干支の壬午は霊感が強い」とかそんなことしか書いてない。
壬と午が出会ったら霊感が強くなるのはどうしてなのか、つか、蔵干は?蔵干で分かれてくるんじゃないの?午の蔵干が丙か丁か己か(正気か中気か余気か)、どこでとるかで性質も変わってくるはずでしょ?そもそも十二支というのは時間経過を示すものなのだから午だからって丙己丁全ての蔵干を同時に持ってるわけではないし、時の経過によってどれか一つになるわけでしょう。それは水と火の剋、土と水の剋どっちのことをいってるの?というか水にまつわる剋には霊感を強める作用があるってこと?だけど壬午だけ?え?え?なんで??水と火の交わりを霊性の交わりとしているの?どういうことなのそれは。
みたいに、果てしなくクソ面倒くさい疑問がドワーっとわいてくるわけです。
ここで西洋占星術だと松村潔先生がズバッと「木星は拡大するという作用があるだけで、それが確実に幸福に結びつくわけではない」と本質を突いてくれるので「そういうことかー!」ってスッキリして一件落着するわけです♪
でも、四柱推命において、そういう本質を突いた研究をしている本になかなか巡り合えませんでした。

だから基本に立ち返って、とりあえず四書五経から勉強を始めました。易経を勉強すると、確かに陰陽の理解は深まりました。だけど、易経は陰陽は深く扱いますが、五行は専門には扱わないんですね。火(離)とか水(坎)とか一見同じものがあるようで、適応範囲が微妙にずれていたりもする。分かれているパーツが五ではなくて八なんです。

やっぱり五行!
五行専門で深く論じている本はないのか!!!
と探して、ようやく見つけました。「五行大義」です。

こちらの癒しと救いの五行大義は中国の隋の時代(6世紀後半)に編纂された「五行大義」の解説本です。現代の人が書いているので、とっても読みやすいです。
真に、「人々の憂いを癒したい」「人々の苦しみを救いたい」と思うのであれば、むしろ「五行大義」で述べられている徳論を真っ先に説くべきであり、凶を意味する空亡や刑・害・破のもともとの意味を教え、無用な憂いから人々を解放すべきなのである。
癒しと救いの五行大義 まえがきP5
この五行大義、あの伝説的な陰陽師、安部清明が重用していた本だそうなんですよ!
でね、面白いエピソードが紹介されてるんです。「八幡宮の御体を新しい像にすべきか、本宮(岩清水八幡宮)へ移し替えたほうが良いか」というテーマについて、二人の有名陰陽師が占った結果――
安部清明:五行大義を鑑みて、本宮に移し替えるべきである
加茂在憲:五行大義に基づくと、移すより新しい像を作ったほうが良い
同じ「五行大義」を根拠にして、全く正反対の占断を下しているのですよ!!おっもしろぉ~~い!!!
平安の世にあっても、すでに「五行大義」の理論を熟知しているからとはいえ、その解釈、すなわち占断は、占者によって異なるということである。これは、「五行大義」の解釈やこれを活用する際の統一的な決まりごとは存在せず、あくまでも占者の熟練した占技占断によっていることを意味している。
癒しと救いの五行大義 P20
ここでね、「占い」にしか興味のない人は「なんだよ、東洋の占いダメじゃねーか。信用できない」ってなるかもしれません。コナンみたいに「真実は一つ!」って言いたくなるかもしれません。
だけど、わたしは「どこをどう見て占断したのかが知りたい!!」と思うのです。どちらにも理はあると。
だって、二人とも、超~有能陰陽師なんですよ?どーまんせーまん!
西洋占星術だって、同じことが起こるんです。
「N海王星とT土星がコンジャンクションになったら」
1 夢が破れる
2 夢を現実的なアプローチで実現させる方法が見つかる
↑全然違う結果を述べてますよね?(詳しい理由は11/23発行のメルマガを読んでください)
でも、これどっちも確かにそうなんです。その人自身がどういう心持で夢と向き合っていくかで、結果(現実)なんて変わってくるわけですから。素粒子は思念によって変わる。
つまり、「じゃがいもとにんじんと玉ねぎ」を渡されたときに、それをカレーにする人もいれば肉じゃがにする人もいれば、ホワイトシチューにする人だっている、ということですよ。

「じゃがいもとにんじんと玉ねぎがあるからカレーが作られる未来しか見えねえ」ってことじゃないんですよ。同じ素材があったとしても、調理の仕方によってできる料理(未来)なんていくらでも変化するのです。シンプルなポトフ(スープ)にもできるし、手の込んだビーフシチューにだってできる。
ゆえに、ほとんど同じ命式やホロスコープ、まったく同じ遺伝子を持つ一卵性双生児が同じ人生を歩むとは限らない、って話です。
実際、わたしの母親は一卵性双生児で、伯母と母は全然タイプの違う男性と結婚しています。チャラ男なギョーカイ人広告マンと朴念仁なカタブツ公務員。真逆すぎるw
だけど面白いことに相手が「長男」ってのは共通してるんですよ。そして祖父も本家の長男な。そしてオイラの兄属性(戊)好きな。素材は同じだから「この範囲内」ってのは似てくるんだけど、細部まで同じになるとは限らないという話ですな。
人生は占いで決まるわけじゃない。確かに持ってる素材は決まってる。だけど「料理」をするのはあくまで自分。持ち合わせた素材で何を作るかを選択するのは、あくまでも自分。
ただ、占いでは「自分は今どんな素材を持っているのか」がわかるから、美味しい料理を作りやすく(自分の歩むべき道を行きやすく)なるって利点はあるのですよ。
じゃがいもとにんじんと玉ねぎを生のままでゴロンゴロンと漬物にしても、ちょーっと、あんまり、美味しくはならんですよね?「じゃがいも持ってるなら、生で食べるより火を通そうよ」って話になりますよね。
占いはそういう意味で実に有用なんです。自分の能力の使い方がわかる。

前述の双子の(要するに、ほぼ同じ命式を持った)伯母と母についてみると、より「自分の星をうまく使えている」のは母より伯母に見えます。伯母はイケメンでコミュ強な男(ギョーカイ人なので割とチャライ)と結婚したわけですが、見事に日柱(配偶者の座)の偏官です。広告マンは、忙しい。
伯母は「家庭的」という言葉からは遠く、バリバリ働いて外に出てばっかりいます。長男の家に嫁いだのに、舅も姑もチャラチャラしてあてにならない息子より、しっかり者の嫁にスッカリ頼りきりで、まるで家長のようです。そして気の強い伯母にとって、そのポジションは非常に居心地よさそうに見えます。
逆に真面目な(人心掌握が苦手で出世競争のための社内政治ができないという意味で偏官とは真逆な)男と結婚して専業主婦になった母は、古風な女を演じようとしてはできずにストレス爆発、しかもキャリアへのあこがれも捨てられず夫も出世させられず、かなり後悔のある人生に見えます。(母親の愚痴吐き場・感情のゴミ捨て場にされた長女並感)
「みんなやりたいことやってるのに、私だけが我慢しなきゃならない!!私だって自分のしたいことやりたい!!」
幼い娘の前で泣き叫んだ母の言葉は、魂から絞り出されたものだったのでしょう。
「女なんて我慢ばっかり、損ばっかり!本当は、結婚なんてしたくなかった。こんなの、私の生きたかった人生じゃない!!」
本来はおおらかな自由人気質なのに、世間体を気にして「良妻賢母(今風に言うならVERY妻)」の道へと流されてしまった、そのために、悲しいことに母は自分らしさを生かせない人生になってしまったんです…。
つまり、四柱推命的な言い方をするなら「正財一つも持ってないのにさ~正財的人生めざしても無理だよぉ~~」。
他人からの期待に応える前に、まずは自分らしさ(自分の持ってる星)を大切にしないと、魂は満たされないんですよー……。
そしてそんな母から

あなたは世間知らずだから、わからないのでしょうけれど
女は 結婚してはじめて幸せになれる生き物なのよ
女の幸せは結婚と出産と決まっているんです
こんなことを言われた地獄を書いたのは↓の記事でございます。
普通の常識では、チャラ男より真面目男と結婚したほうが幸せになれると思いますよね。
だけど、そういうのは割れ鍋に綴じ蓋、本人の気質次第なんです。
母のように専業主婦になると不幸になる女だっているんです。
能力のある優秀な女が社会で自分の才能を試せないって、本当に悲劇なんですよね…。
有能で素敵な女性にとって結婚→出産→専業主婦コンボは、地獄への一本道!!
だって仕事って、メッチャ楽しいもーん♪ 家庭に入るとか、絶対無理!!
「人は、何のために生まれてくるのか?」「人は、どうして生きるのか?」
ズバリ、”幸せになるために”である。そして、幸せになるためには、幸せとは何かを理解しなければならない。では、幸せとは何か? 筆者が考えるに、幸せとは、自分らしく生きることに尽きる。自分に備わったアレテー(最も優れた能力・卓越性とか、徳と訳される)を最大限に発揮する営みは、自分らしく生きているあらわれであり、これを古代ギリシャの哲人は最高善と呼び、幸福と捉えていた。
従って、自分らしく生きるためには、「自分とは何か?」「自分に備わったアレテーとは何か?」を知らねばならない。
癒しと救いの五行大義P364
占星術や命学では、↑の「アレテー」がわかるのです。自分のどこを大切にして伸ばせばいいかがわかる。

それが「わたしらしさ」なんだよ♪
で、占った結果が人によって正反対だとしても、根っこを押さえていれば「なるほど」って納得いくんです。「この人はカレーじゃなくて肉じゃが作ったんだな」って。
スピリチュアルな言い方をするなら「神に至る道は一つではない」。
今日、われわれが占いと称するものは、実は人生に教訓を与えるものであり、また徳のある者や上に立つ者とは、「そもそもこうあるべきなのだ。さすれば吉となり、これに背く場合は凶となる」と示すものなので、やはり政治や道徳のみならず、人生哲学・思想に根づくものと認識すべきなのである。
癒しと救いの五行大義 P123
わたしは東洋だろうと西洋だろうと、占いで未来を知りたいわけではないのです。そこのなかにホログラフィックに包まれている宇宙を垣間見たいのです。占いという一見非科学的に見える物の中に、幾何学的な美を見たいのです。Vice versa. 逆も真なり。
なので、この癒しと救いの五行大義は、わたしのその求めるニーズに合った本だと感じています。とてもうれしいです。ヤッター!
そして、この五行大義解説本の次に読もうと思ってるのがマイケル・タルボットの投影された宇宙―ホログラフィック・ユニヴァースへの招待。
ぜんっぜん違うジャンルじゃない!と思われたかもしれません。ですが、わたしにとっては全く同じ線上にあるシームレスな内容だと思っています。
西洋の物理学だろうと、東洋の哲学だろうと、深めていけば同じところにたどりつきます。美しいワンネスがそこにあります。私はそれが見たいのです。