「死んだら全部おしまい。死後の世界なんてない」
こういう考え方で生きてると、結局絶望に辿りつくしかない。ので、スピリチュアルな死後の世界ってあるかもしれないな~って思っといた方がいいよ~ってことをスピリチュアルって、大事だよで書きました。
「人間なんてただの脳の電気信号に過ぎない」という考え方は、すごく危険です。
なぜなら、それは精神疾患を抱える人への差別にもつながるからです。
精神病患者は危険人物!?

精神疾患の原因は何かと問われたときに、対象となったどの国の人も「科学的不均衡」や「脳の障害」や「遺伝子」を挙げるようになってきた。この世界的な変化は、メンタルケア関係者や製薬会社や支援団体が苦労して勝ちとったものである。
しかし残念ながら、専門家や支援者は概念上のバトルに勝利しつつあると同時に、汚名に関する戦いでは敗北しつつあった。一九五〇年代から九六年にかけてアメリカで行われた周囲の受け止め方についての研究では、精神疾患の患者が危険だと考える人が年を追うごとに増えていった。同じくドイツでは、統合失調症と診断された患者に近づきたくないという人が一九九〇年から二〇〇一年の間に増加した。
クレイジー・ライク・アメリカ: 心の病はいかに輸出されたか P208 ※太字は記事作成者による強調
つまり、心の病が「脳内化学物質の出力不足(または過剰)」とか「遺伝で起こるもの」とか、そういう学説を信じている人は「精神病者は危険人物。キチガイ。関わりたくない。社会から隔絶しろ!!」と考える率が高いということです。トルコでも、 統合失調症を「魂や内的自己の異常」とスピな視点でとらえるのではなく、脳の異常や遺伝が原因だととらえた人のほうが、「患者は攻撃的であり、コミュニティの中で自由に暮らすべきではないと見なす傾向にあった」(P209)
「遺伝子的要因悦はいびつな形で広まってしまった。精神疾患の発症は個人の性格に起因するのではないために、自分ではコントロールできず、症状の進行も抑えられないのではないか、との見方が強くなったのだ。(中略)このせいで、患者がリスクや脅威とみなされるようになった」
クレイジー・ライク・アメリカ: 心の病はいかに輸出されたか P209
と、ペンシルバニア大学の研究者、ジェイソン・シュニッツカーは記している。

わたしは大学の一般教養で精神医学の講義をとっていました。もちろん講師は精神科医の先生が来て教えてくれました。
その先生は、しょっちゅうプリプリプリプリ怒っているのが印象的でした。なぜ怒っているかというと、ニュースを見て憤っているのです。
「まったく!今回の事件でも結局『頭がオカシイからそんな犯罪をおかすんだ』と犯人を精神病扱いだ!! 君たち、誤解するなよ。ほとんどの精神病患者は攻撃的ではない!犯罪なんかおかさない!精神病患者を誤解しないでいただきたい!!!」
こうやって、先生は何か猟奇的な事件があって、それが精神疾患のせいにされるたびにブリブリ怒っていました。1990年代のことです。
その頃は「うつは心のカゼ☆薬のんでなおそっ♪」キャンペーンが徐々に浸透していった時期でした。まだ、周囲に向精神薬を飲んでいる人やうつ病だという人はほとんどいませんでした。

有名な南条あやさんのブログ(高校卒業後に自殺)を読んでも、「自分とは違う世界の非日常」でした。
だって、SPEEDのRiseを聴いても「人は心に太陽を持ってるはずなのにわたしには日は昇らない」的な感想しか思い浮かばないって、「この子なんでこんなに暗いんだろう」くらいにしか思えんかったですよ。優しい年上彼氏もいて、死ぬことをやめてほしいって思われてて(20歳になったら結婚予定だった)、なんで死にたいんだか全っ然理解できねぇ~。むしろ幸せの絶頂じゃね?(90年代 恋愛至上主義ギャル並感)
RISEきいたらメッチャ上がるじゃん!!
「そうだよ!陽は沈みまた昇るんだよ!大丈夫!!!」ってメッチャ明るくなるじゃん。まさに「心に太陽を持っている」ように!
というかんじで、「うつ」というのは日常的に周囲の人に見当たるものではありませんでした。
理解できないものではあったけれど、嫌悪の対象ではありませんでした。
しかし、上のアメリカやドイツの調査にならうように、00年代~10年代を経て、わたしは
「メンヘラと関わりたくない。メンヘラ無理」という精神疾患に対する忌避感情を募らせていくのです。
「メンヘラまじうぜえ」そう吐き捨てるようになるまで

なぜそうなってしまったかというと、「実際に関わったメンヘラがうざかった」この一言に尽きます。
だけど、90年代のメンヘラは別にうざくなかったんです。
彼ら彼女らはひっそりと病んでいるだけであって、理解はできないけれど、別に嫌悪感もなかったのです。むしろ「関わらないでください」オーラが出ていて、うっかり話しかけちゃったら「ご、ごめんね?」ってこちらが悪いことしちゃったなと申し訳なくなるくらいでした。

それが「うつは心の風邪!落ち込んだら心療内科を受診しよっ!ちゃんと薬を飲めば大丈夫♪」キャンペーンが浸透してきた00年代では、周りにもチラホラ「精神安定剤を飲んでいる」という人を見かけるようになってきました。
「うつ病は恥ずかしいことなんかじゃない。ちゃんと病院を受診してお薬を飲めば大丈夫」という感じで、鬱であることに対してポジティブで堂々としている人が増えたんですね。クスリの売り上げ倍増で製薬会社もホックホク♪

そんな中で、一部の「かまってちゃん」が「うつ病だっていえば人から優しくしてもらえる!!」と学習します。もちろん、一部ですよ、一部。
彼女らは、堂々とリストカットの跡を見せ「わたしってカワイソウでしょ。大切に扱わなきゃ壊れちゃうんだゾ☆」と病みアピールを始めます。ゴスロリ全盛期だったのもこの頃ですね。
これが、わたしには鬼門だったのです。
「え、まじウザイ。なんなの。意味わかんねえ」
彼女らの承認欲求の強さ、空気の読めなさに、ただただ圧倒されました。
「関わりたくない」
心からそう思いました。
だって、スゲーめんどくせんだもん。コミュ力低いし。
彼ら彼女らがそう振舞ったのは、本人の本質的な性格ではなく「時代の要請」だったのではないかと、今になっては思います。例えば、週刊誌が「死ぬまでSEX!!!」って煽るのが、実際に現代の高齢男性の大多数が年老いても性欲が衰えていないわけではなく「セックスに執着することで性産業で金を使え!オトコを引退するな!」という金ヅル教育消費活動への啓蒙であるのと同じです。
00年代は特に「うつは恥ずかしいことじゃない!」という啓蒙が強かったと感じています。
それにのって、承認欲求の強い人が「うつだって言えば私も大切にしてもらえる!!」と思って、病んでるアピールをはじめたのでしょう。
そして、「うつは本人のせいじゃない!脳の化学物質がちゃんと分泌されないだけなの!!」という「生化学的理由」「遺伝子的理由」に帰結したことで、ますますそのイメージを悪化させます。

え、それじゃ脳が狂ってるヤバイ人間ってことだよね?
は? 遺伝的な要因もあるの? うわぁ…
それって、子ども作ったら精神病んでる子ができるってことでしょ?
↑こんくらいのガチで「メンヘラヤバイ。欠陥人間を社会に出すな。あいつらはキチガイだから関わりたくない」くらいの差別感情が醸成されてしまったのは、先のアメリカの調査でもドイツの調査でもトルコの調査でも明らかです。
「精霊が憑いている」と解釈することで病は本人のせいではないと、統合失調症の患者を家族の一員として自然と受け入れているザンジバル(アフリカ)とは大違いです。
わたしが「まじうぜえ、関わりたくない」と思ったメンヘラは「ただのかまってちゃん」である可能性もあります。本当の精神疾患の患者さんだったのではなく「ファッションメンヘラ」。だって、ガチのうつ病患者さんってマジ一歩も動けなくて寝てばっかりだったりするって話じゃないですか。
データでも示されている通り、精神疾患を「脳内ホルモンの分泌が悪い」とか「遺伝子的な脆弱性が原因の一つだ」とか、そういう切り口で見ることによって、精神疾患の患者さんは社会的により冷たい目で見られるようになりました。
これって、たいへん不幸なことだと思うなぁ……。
そして、わたし自身も「病んじゃっててぇ~」とか「もう死にたくってぇ~」とかメンヘラアピールしてくる人に対して「『ァタシの想ィドォリにならないナラ今スグ死ヌ!』と脅迫されるのでは」と警戒してしまうようになって、悲しいです。
昔は手首を切った友人に「そんなに辛かったの…言ってほしかった…ううん、気づけなくてごめんね?」ってショックを受けて痛む心があったんです。
けど、クソメンヘラどもに「どうせ私が死ねばいいって思ってるんですよね」とか「ホラ、本当に切りますよ?血見ます?」とか「もう正論はいいです。今から死にます」とかウザく絡まれたせいで、そんな柔らかきピュアな心は霧散してしまいました。
いやまじメンヘラ無理。あいつら怖い。関わらないに限る。人生壊されるもん。
リストカットの跡を見たら逃げろ!! 奴らは疫病神だ!!!
障らぬリストカッターに祟りなし[家訓]
本当に心の病を抱えている人なんて、そんなにいないと思うのです。落ち込んだり不安になったりするなんて、それは人間としてむしろ正常でしょう。
いや、今の社会は逆に多数派が病んでて狂っていない人のほうが少数派なのかも。だけど、その場合だって薬を飲めばその状態が変わるなんてありえない。社会全体を変えないと。悪いのは人間を使い捨てにする社会システムなのだもの。
結局のところ、製薬会社が病名つけて薬飲ませるターゲットを増やしたいだけでしょう。発達障害だって、薬漬けにするカモを増やす手段にしか見えねぇ。リタリンとかコンサータとかストラテラとか、普通にシャブやで?

資本主義社会は、すべての事象を商品化し、金儲けの対象にする傾向がある。とくにうつ病に関しては、過剰診断が行われる傾向があるが、その背景には、製薬会社とマスメディアが一体化した「患者掘り起こし」がある。
医師としては、できる限り、うつの症状を訴える人に寄り添って、治療しようと考えるので、結果として病名を与え、薬を投与することになる。医師には主観的には製薬会社と結託しているという意識がない故に、問題解決が一層困難になる。うつ病に続いて発達障害も有力なマーケットになりつつある。
「病気ではない」という診断にガッカリする、自称・発達障害者の心理(佐藤 優)

病人は商売道具。金ヅルだ!

なぜわたしがこんな記事を書くかというと、「一回飲んだら断薬するのが大変な薬」「一回はじめたらずっと続けなきゃならない医療行為」は、これからの社会を生きるにできうる限り関わらないようにすべきだと考えているからです。パキシルなんて飲んじゃイカン。いや、SSRI全部イカン。

ね、薬価が上がったら、「定期的に飲んでいる薬」がある人はそれだけで生活詰んじゃうかもしれないの。自分の首を絞めることになるの。
来たよ、来たよwww 医療費抑制のため薬店で入手できる類の薬は10割負担にするんだってよ。要は公的保険の適用範囲を狭めて、マトモな処方や治療を受けたいならAflacとか外資保険に加入するしかないよう仕向けているわけだよ。絵を描いているのはアメリカだね。こうして参入障壁を排除しているんだよ。 https://t.co/wSMASD2vtM
— ゆきのちゃん (@t2PrW6hArJWQR5S) 2019年12月3日
頓服で急性期にだけ飲むのはやむを得ない場合もある。けど、そもそも薬なんて「ずっと常用するもの」じゃない。だって、薬ってのは毒なんだから。
体をケアしたいなら、薬(化学物質)でなんとかしようとするのではなく、もっと根本的に向き合わないと。
メンタルヘルスの薬はやはり断薬が難しい。
なら、はじめから飲まないのが一番です。治療したいなら、薬以外の方法で。

日本のうつ病のところだけ読む。
カスタマーレビュー(クレイジー・ライク・アメリカ: 心の病はいかに輸出されたか)
パキシル常用してるからねわたし、それはそれは興味深かったよ。
これきっと事実で、なるほどよろしくないことは理解した。製薬会社ばかたれだよほんとどうしてくれるんだ。
病人は商売道具なんだなあ。
私はパキシルのんでてよくなったラクになった実感を持ってる、少数派の効果ありグループなのだろう。
もしかしたらのまなくてもいいのかもしれんけど、断薬がきついのも経験済みで、今はパキシルに助けられて生きているので、
今後もしかして処方できなくなるようなことになったら困るなあ…。
まあよい金蔓かもしれんなあ。
まあそのあたりは勝手にやってもらうとして、
私たちは生きのびるために、情報を得るアンテナと判断する知恵がいるのだね。
理不尽な気もするけど、消費者もかしこくならんといかんのだね。
暴力を引き起こす薬
— ✳️ Pecko (@pecko178) 2015年10月1日
3位パロキセチン (Paxilパキシル) 抗うつ薬 断薬症状の激しさでも有名
2位 フルオキセチン (Prozacプロザック) 抗うつ薬
1位 バレニクリン (Chantixチャンピックス) 禁煙補助薬
凶悪犯罪の犯人は事件前に向精神薬を飲んでいた。