心を取りもどしていく道のり ~ 漫画「えりちゃんちはふつう」

オタク ヒーリング
【画像】えりちゃんちはふつう
えりちゃんちはふつう

藤生神の新刊、えりちゃんちはふつうを読みました。
もうン゛ン゛ッ!(語彙力)となりました。
毒親というワードに心を動かされる方に、オススメのマンガです。

愛される子と、愛されない子

えりちゃんちはふつうは、実際に会ったエピソードを元に構成したフィクションです。
ですが、わたしのようにマザーファッカーズ●底辺BL作家の日常●から10年以上藤生ストーカーをしている身としては、ものすごく血の通ったリアルな話として響いてきます。

もうね、わたしね、藤生さんと20年来の友達くらいの気分になっちゃってるからね。まじでキモイストーカーですよ。

藤生さんがこんなヤンチャなFAX送って締切りブッちぎるような時代からずっとストーカーしてますからね。 20年愛だょ☆ 藤生とNozomiはズッ友☆彡
米兵に「ヘーイ、ファックユー!!」って言ったら「Oh, do you f*** me? Okay! C’mon, fu** me now, baby!!」とか逆に煽られててひたすら笑いましたよ。2010年代じゃポリコレ的に明らかにアウトなラインをガツガツ攻める藤生さんは、まるで藤原とうふ店。

愛される姉兄と、愛されない私。

「愛されない子ども」三番目の末っ子のえりちゃん。親の愛情は姉と兄に向けられて、自分には向いていないことを自覚しています。
兄や姉にかけるお金はあっても、えりちゃんに使うお金はありません。

藤生ストーカーとしては、藤生先生が中卒だというのは知っておりました。

が、その内実がこうだったとわかると、胸が締め付けられる想いです。

でも、マザーファッカーズ1巻時の藤生先生はそうやって憐れまれるのも多分嫌だったんだろうなと思います。

マザーファッカーズの頃には「茶化して描くしかない痛み」を、えりちゃんでは真正面から捉えて描いています。
これをみて、藤生ストーカーであるわたしは、胸が熱くなるのです。
「藤生先生、自分の感情(自分の心が本当に何を感じているのかということ)に目覚めてきている、自分の感覚を素直に表現できるようになりつつある――」

ひいきされた姉は、幸せだったのか?

藤生さんのエッセイを見ていると、イラッとくることもありました。
「どうして負の感情を表現しないの?笑い話にしちゃうの?もっと傷ついてるはずなのに、なんで平気な顔するの?」と。

ひみつのおねえちゃん (バンブーコミックス 4コマセレクション)

ひみつのおねえちゃん(2012年)のころになると世間は「毒親」ブームに沸いておりました。だからひみつのおねえちゃんが出たころは、「藤生さんの親ってどう見ても毒親じゃん!! どうして藤生さんはこんなに優しいの!?親のこと許しちゃってるの!?」って、仏の藤生にイラッとくることもありました。

今回の「えりちゃんちはふつう」では、(一見大切にされていた)姉の現在が綴られてるんです。ひみつのおねえちゃんの後日談が。
現在の姉は、父母を憎んでいるという描写があって、ものすごく納得しました。

私はお姉さんに痛く共感しました。
姉弟の中でひいきされてれば「私愛されてた」とか感じるわけじゃないんですよ。金かければ子どもは愛を感じるわけじゃないんですよ。根っこが毒親なんだから、金をかけようがかけまいが、「毒」は伝わるんですよ。

「ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?」
そんなショッキングな娘の心情を綴る、小説・母の遺産

この小説でも、かわいがられたお姉ちゃんは母から距離を置き、かわいがられなかった妹が母の介護をするのです。

「子どもの愛を絶対にしたいなら、虐待するに限る。虐待した子どもは、親に依存して絶対服従を誓うから」
こんな悲しい言葉を見るたび、複雑な想いになります。

この言葉をなぞるかのように、藤生さんは、親を憎みません。

藤生先生は、けして、「毒親」という言葉を使わないのです。
いや、それ以前に毒を毒だと認識する感覚が、いまだに麻痺しつづけているようです。

わかってくれない人は、わかってくれないんだよなぁ…

どんな親だって、子どもを愛しているんだ!
子どもを愛さない親なんていないんだぞ!

毒親という話題になると、一定数上のような「毒親なんて存在するはずがない派」の人を見かけることになります。
そういう人を見るたび、私は無力感に襲われます。

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