死を考えることは、どう生きるかを考えること

人生:スピリチュアルブログ

6/2に放送されたNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」。
昨年11月末、新潟の52才の女性が安楽死を選択し、この世から旅立ちました。その様子を追った衝撃のドキュメンタリーです。カメラはどこまでも実直に、彼女の死の瞬間まで生々しくとらえています。

彼女は安楽死を選んだ
NHKスペシャルの番組公式サイトです。

「自分は死ぬんだ」って、考えたことありますか?

この番組を見て、わたし個人としては彼女の立場だったら同じ選択をしただろうなと思います。そして、「こんなに大切にしてくれる家族がいるのに、死を選ぶなんて間違っている!」という意見があるのも納得できます。

こういう問題は、意見が一つに収束するとかえって危険です。賛成があり、反対があり、賛成寄りの反対があり、反対よりの賛成がある。グラデーションがあったほうが、良いのです。偏ると危ない。

大切なのは、自分でどう感じ、黒~白(賛成~反対)のグラデーションのどこに自分が位置するかを自分で選択することです。
大抵の人は、黒でもなく白でもなくグレーなんです。だけど、黒に近いグレーか、白に近いグレーか、自分がどこにいるのかを感じておくことが大事。 スッキリするよりモヤモヤしていたほうがいい。

安楽死したミナさんの様子を綴ったルポルタージュ、安楽死を遂げた日本人

安楽死を遂げた日本人

こちらの本の中で、著者の宮下氏は以下のように書いています。

日本では安楽死の法制化は難しいとも書いた。(中略)日本では死を巡る思考が深まっていないようにも思った。医師から余命を宣告され、初めて死と正面から向き合うのが日本人である。宗教的な規範によって死生観が定められ、家族間でも死を話題にすることを厭わない欧米とは土台からして異なっている。

安楽死を遂げた日本人 プロローグ

いや、ほんこれ。それな。
と思わずスラングを使ってしまうくらい、共感してしまいます。

わたしは、本当に問題だと思っているのです。
死を考えないことを。

例えば、「もう死にたいって思っちゃってぇ」というメンヘラちゃんに
「ふむ。じゃあ、あなたはどういう風に死にたい?」
と聞くと、ポカーンとするんですよ。

要するに「死にたい」っていうのがファッションなんですね。
「アタシィ、太っちゃってぇ~」
「え、そんなことないよ~」
「でもダイエットしなきゃヤバくなーい?」
「大丈夫だよ、十分細いよぉ~!」
と全く同じレベルで「死にたい」って言ってるんです。

つまり、「死にたい」といったら「そういうこと言わないで」とか「死にたいなんて思っちゃダメだよ!」とか「生きてればいいことあるよ!」とか、そういうテンプレな言葉が返ってくること前提で言ってるんです。「アタシ太っちゃって~」って言われたから「じゃあやせれば?」って言ったら「ハァ!?」って顔されるのと同じです。

「死にたぁい」が様式美なんですよ。メンヘラぶって同情を買うための。
死についてなんて、これっぽっちも真剣に考えてやしねぇ。

「ねえ、死にたいだなんて普通は『そんなこと言っちゃいけない』とか言われるようなことでしょう? SNSで死にたいって投稿したら『辛いならここに連絡してみてください』って通知が来たり、警察に通報されるような『考えてはいけないこと』でしょう?

だけど、あなたは今死にたいと思っている。言えば反対されるような、不都合が起きるようなこと、常識からすると積極的に言うべきではないことを考えている。
ならば、それはあなたの心からの気持ちじゃないの。本心じゃないの。なら、もっと寄りそってあげなさいよ。もっと、自分の心に正直になって向き合ってみなさいよ。ねえ、あなたはどう死にたいの?なぜ死にたいの?死んだらどうなると思う!?」

こう「死にたい」というメンヘラちゃんに詰め寄ると
「えっ、いや、本当に死にたいわけじゃないです」
つうんだよな。

ふざっけんな!!!!
ファッションで死を語りやがって、この包帯眼帯リスカ野郎!!!
アタイみたいなヤンキー体質はな、テメエみたいなハンパやるやつが一番嫌いなんだよ!!! なんでもやるってなら一本筋通せ!!!

とまあ、陽の火ばっかで短気なオバチャンは「死にたい」おっしゃるメンヘラにはゴリゴリえげつなくツッこんでは、毎度毎度ブチブチ切れてるわけです。

死にたいなら死にたいでいいから、死について真剣に考えてほしいのです。
そして、実は死にたくないなら死にたくないで、それでもいい。その場合は「死にたい」の言葉の裏にある自分の本心と向き合ってほしいのですよ。自分の心から逃げないでほしい。

「死にたい」一言で誤魔化して、何からも向き合おうとしない。
自分の心にも、死にも(生にも)、現実にも向き合わない。
その姿勢にブチ切れるわけです。ええかげんにせぇよと。

あなたの人生に、出口戦略はありますか?

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

日本軍はなぜ無謀にも、負けると分かっていた太平洋戦争に向かったのか。日露戦争のように、都合のいいところだけチョッチョと手を出してサッと身を引いておけばよかったのに、何であんな泥沼になってまで戦争をやめようとしなかったのか。

「まったミリヲタ全開~。勘弁してよぉ~」ということなかれ。オバチャンはな、一日一回軍事案件を例示しないと死んでしまうミリヲタ脳なのだよ。勝ってくるぞと 勇まッしくゥ~♪

この「出口戦略の無さ」というのが、ずーっとずーっとずーっと、日本社会の欠点として根深く巣くっておるのですよ。

第二次世界大戦だけじゃない。原発だってそうですよ。
原発で出たゴミ(放射性廃棄物)の適切な処理方法が開発されてないのに、「まあなんとかなるっしょ」ではじめちゃう。「次世代が開発してくれるよ!」って子孫に丸投げで、自分たちでは出口戦略を考えない。

こんな世の中で子供なんか産めるかー!!(ちゃぶ台ガシャーン)

年金だってそう。出口戦略無しで、株にツッこんでスッカラカン。ついでに言うならば、日銀の異次元緩和も同じですね。

そして、「国民の自助努力が必要」だそうでーす。老後は、年金だけじゃ暮らしていけないそうでーす。うん、知ってた。

年金制度の限界を認めたお偉いさんに一言【せやろがいおじさん】

でね、「日本軍サイテー!」「原発サイテー!」「年金サイテー!」ってのは、まあそれはその通りなんですけど、マクロはミクロなんです。

これだけ国や企業が出口戦略無しにやっつけ仕事丸投げしてるってことは、国家や組織を構成する個人にも出口戦略が無いってことなんです。すなわち「死について何も考えてない」ってこと。

だって、そうでしょう。
生だけを見て死を考えずに、生まれてきた子どもが「なんでこんな世の中に生きなきゃならないの!」って絶望することを考えずに産んでるわけでしょう。「真面目すぎィ!赤ちゃんはカワイイんだから産んどきな!育児で自分が成長できるよっ!なんとかなるって、ポジティブゥ☆」

私自身が歓迎できない連鎖を、この先続けていくのだろうか。無意識のうちに子供を作り、産み、私と同じようなことをその子が感じたとしたら……。
私のそうした悩みを聞くと友人たちは笑った。
「そんなこと考えたら子供なんて産めないわよ。何も考えないことよ」
しかし私にはできない。自分で納得できていない生を誰かに押し付けることなんてできない。

わたしが子どもをもたない理由(わけ) P27

で、何も考えないで産んだ結果が↓コレですね、わかります。

バランス悪いんですよ。
命を大事にというなら、死も大事にしないと。
どう生きるかが大事だって言うなら、どう死ぬかも大事にしないと。

少なくとも、口からモノ食べれない老人に胃に穴あけて栄養入れて生かすようなことしちゃイカン。それは命への冒涜です。北欧なら老人虐待案件だよ。胃瘻は絶対NO!!!

「自分は死にゆく存在なのだ」という自覚

安楽死をしたミナさんは、スイスで安楽死を請け負ってくれる医師に告げられます。
「これから二日間、本当に死を望むのか考えてください。もし死にたくないと思ったならば、いつでも家に帰っていいんですからね」
そして、「これでいいんだろうか」と動揺する姉を前にしてミナさんは言います。
「キリがないんだよ。人間なんていつ死んでも、今じゃないような気がするの」

死期が来たら「ああ、もう自分は死んでいくんだな」と死を受容していくのは、とても大切なことです。スピリチュアル的に言うなら、きれいに肉体を離れて次の世界に行くためにも、とっても大切です。生に執着しすぎると、肉体を離れた後なお、この世界に残ってしまいかねません。(いわゆる地縛霊とか浮遊霊とか、そういうやつです)

マンガ「ゴールデンカムイ」では、アイヌが死装束を用意する様子がふれられています。「死期が近づくのを意識したアイヌの老人は、家族に隠れて自分の死装束を用意するのです」

一口にアイヌと言っても地域によって風習は異なりますので、死装束の用意の仕方も集落によって色々あります。ただ、「生前に用意した」というのは共通するようです。ある集落では、女性が集まって老人の死装束を縫ったそう。
【参考】 アイヌの死装束:Burial cloth of Ainu | ピリカモシリ Pirika Moshiri

つまり、「自分は死にゆく存在なのだ」ということを、明確に意識する儀式があるのです。
自分は肉体を離れこの世から旅立っていくのだ、と。

現代社会では、このような儀式や風習はほとんどありません。
それどころか「いつまでも若々しくアンチエイジング!」「死ぬまでSEX!」と生への執着を促すようなキャッチフレーズばかりが目に入ります。老いても生に執着し、死を忌避する人間のほうがお金になるからです。

「シミ・シワが消えます!」
アンチエイジングでBBAから金をむしり取れ!!!

今は高齢者たちが巨大なマーケットを形成しているので、何とかして彼らがいつまでも煩悩から解脱できず、活発な消費活動を行ってほしい。爺さん婆さんたちがさっさと『枯れて』しまって、物欲を無くし、仏道に帰依されたりしたら、それこそ資本主義にとっては致命的ですからね。
 だから、見てくれは老人なんだけれど、中身は中学生程度という老人が増えてきている。この老人の幼稚化は彼らのアンチ・エイジングを目指す自己決定によるわけではなく、市場からの要請によるものなんだと思う。ネトウヨにも七〇代とかの高齢者が多いんじゃないかな。

属国民主主義論―この支配からいつ卒業できるのか P210~211

だけど、そういう生き方って、辛いですよ。
だって、どんな人だって死からは逃れられないのに。死こそ、どんな人にだって、平等に訪れるものなのに。

死は安らぎであるはずなのに、「いけないもの」になっている。だって、生きてくれた方がお金になるから。カネ、カネ、カネ。

Utada Hikaru – Hotel Lobby
It’s only for the money, for the money, for the money

そして逆に、メンヘラには死が軽薄なるファッションになってる。「もう死にたい☆」って軽々しく口にすることで「死にたがっちゃうアテクシ♪」と悲劇のヒロインぶる己の醜い姿に気がつかない。情けない。

死をどこまで貶めれば気が済むのでしょう。本当に悲しいです……。

死って何? あなたへの問いかけ

安楽死を選んだミナさんの姿を見ることで、一度真剣に考えてもらいたいです。
自分にも必ず訪れる死。それを、どう迎えたいのかを。

この病気は症状がさまざまなように、罹患者によっても考え方は違う。
私は自分の考えから誰かに影響を与えたいとも思わない。
人には人それぞれの考え方があるのだ。
安楽死のタイミング② | 多系統萎縮症がパートナーになっちゃった

 今までの人生、それなりに楽しんできたと思います。思い残すことはありません。
 今、命が終わることには悔いはありませんし、抵抗も感じません。命は有限ですから、いつかは終わりの時をむかえます。しかし、機能を殆ど失くし、人工呼吸器で息をし、話すことも出来ず、胃瘻で栄養を身体に送り込み、決まった時間にオムツを取り換えてもらい、そうやって毎日を過ごしたくはないのです。そうしてまで、生きる必要性を私自身感じません。

小島ミナさんが自殺幇助団体「ライフサークル」へ送ったメールの一部
安楽死を遂げた日本人 プロローグ

逆説的ですが、死から目を背けることをやめれば「どう生きたいか」も定まるのです。自然と。
だって、死を大切にできる人は、誰よりも生を大切にできる人だから。

安楽死というと日本では馴染みがないし、極端に思えるかもしれません。しかし、緩和ケアの現場では、時折「食べないことで死期を早める」患者 (voluntarily stopping eating and drinking; VSED) も目撃されます。
自分の意志で、死をコントロールしたい人がいるのです。

飲食を絶ち、自ら死期を早める患者たち
安楽死の代わりの方法なのか?

オランダの17歳の少女は、性的虐待のトラウマから飲食を拒否して死に至りました。

Dutch girl was not 'legally euthanised' and died at home
Noa Pothoven is believed to have refused to eat and there is no evidence of assisted death

そういう人に対して、あなたはどう思いますか?
そして、自分はどのように死にたいですか?

ベルギーでは余命いくばくない人以外でも、具体的に言うと肉体は健康な精神病患者にも安楽死(自殺幇助)が認められています。本人が希望した場合、死後にその臓器が移植用として使われることがあります。
あなたは、そのことについてどう思いますか?

安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること | SYNODOS -シノドス-
尊厳死法制化をめぐる議論で、尊厳死を推進しようとする人たちの中から「既に安楽死や自殺幇助を合法化した国では、なんらおぞましいことは起こっていない」という発言が出ることがある。私はそうした発言に遭遇するたびに、そこでつまづき、フリーズしたまま、その先の議論についていくことができなくなってしまう。   「おぞましいこと」は...

早く死にたいと云つたのは、苦しさに耐へなかつたからである。喜助は其苦を見てゐるに忍びなかつた。苦から救つて遣らうと思つて命を絶つた。それが罪であらうか。殺したのは罪に相違ない。しかしそれが苦から救ふためであつたと思ふと、そこに疑が生じて、どうしても解けぬのである。

森鴎外 高瀬舟 - 青空文庫

【解説】医者でもあった森鴎外は、病に伏した幼い息子を安楽死に至らせたのち、この短編「高瀬舟」を書きました。

人でも、どうせ死ななくてはならぬものなら、あの苦しみを長くさせておかずに、早く死なせてやりたいという情は必ず起こる。ここに麻酔薬を与えてよいか悪いかという疑いが生ずるのである。その薬は致死量でないにしても、薬を与えれば、多少死期を早くするかもしれない。それゆえやらずにおいて苦しませていなくてはならない。従来の道徳は苦しませておけと命じている。しかし医学社会には、これを非とする論がある。すなわち死に瀕して苦しむものがあったら、らくに死なせて、その苦を救ってやるがいいというのである。これをユウタナジイという。らくに死なせるという意味である。高瀬舟の罪人は、ちょうどそれと同じ場合にいたように思われる。

森鴎外 高瀬舟縁起 ― 青空文庫
安楽死を遂げた日本人
小学館 (2019-06-05)
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