米があれば生きていける
内なる自分の力を信じようで、ワンコ系年下男子と縁があったことにふれました。
彼は新潟男子で、ものすごい米好きでした。
「俺、米だけあればいい」と米ばっかり食ってる人でした。
3合炊きの炊飯器にMAX3合の米を炊いて、あっという間にぺろりと平らげてしまう人でした。
本当に米ばっかり食ってました。「新潟の米が一番美味い」といい、実家から送られてくる新潟米ばっかり食ってました。

凡庸なる女であるわたしは、そんな彼を見て「栄養バランスが崩れている!」だなんて思ったものです。
「だって、1日30品目食べろっていうじゃない!」
ですが、獅子座火星に引き寄せられてくるような男が、女の話なぞマトモに聞くわけがありません。(そんなところも好き♥←)
わたしがバランス良く食べろと忠告しても、彼は相変わらず新潟米ばかり食ってました。
炭水化物ばっかりの生活で、スゴイ元気でした。
ギャルという生き物はイカちぃ男が好き♥
ですから当然、彼も筋肉モリモリでした。 そう、彼もやっぱりアメフトプレーヤーでセーフティ。
米ばっか食ってるのに、メタボとは無縁の美しい体躯。
プロテインなんて飲んでないのに筋肉がつく?
栄養バランスって、何?
戦国時代の越後兵(上杉軍)は最強だったとか、新潟男子はガタイがいい!なんていいます。彼を見ていた私からすると、「米が美味すぎて米ばっか食ってるからじゃないの」と思ったり。

亡命ロシア料理では、栄養バランスに囚われる現代人を、以下のように揶揄しています。

あなたを朝食に呼ぶのは、お腹ではなく、目覚まし時計だ。ランチの時を知らせてくれるのは、自然ではなく、上司である。(中略)
このすべてのせいで、料理の感覚は失われつつある。食べたいときに食べる自由を失うことによって、われわれは食事全般への興味をも失いつつある。そこで「栄養」という観念が現れる。魂の中に忌まわしいビタミンだの、プロテインだの、コレステロールだのが這いこんでくる。人間は不滅の魂を忘れ、高カロリーの資料を摂取しなければならない雄牛のようなものと自分を見なし始める。しかし、それで健康になる……とでも言うのだろうか?
亡命ロシア料理 14 失われた食欲を求めて
確かに、わたしたちは(少なくともその時のわたしは)「本能によって食べる」ということを失っています。体の声を聴いて食べるのではなく、頭の声を優先して食べています。
「トマトはリコピンが豊富なのよ!!」
「お茶のカテキンには抗酸化作用があるの!」
「ヨーグルトには善玉菌が入っているのよ!」
ああ、「頭で物を食べる」だなんて、なんてトンチンカンで、愚かしき行為!
頭でグルグルグルグル考えてばかりで、ちっとも体も心も動かない。「食べ方」ですら、そう!
炭水化物ばっかり食ってた日本人

あなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめたでは、アフリカの原始的な生活をしている人とヨーロッパの現代的な生活をしている人の腸内細菌の違いを比べています。
すると、アフリカのキャッサバ(炭水化物)ばかり食べているような人には、当然ながら炭水化物(でんぷん)を分解する細菌が多かったそうです。
そして、彼らには肥満もなくアレルギーもなく、自閉症の子どもも少なかった。
このことを見てわたしが思ったのが
「昔の米ばっか食ってた日本人みたい」
ということです。
民俗学の本などを読んでいると、昔の日本人の食事の描写が出てきます。そこでも、米ばっか食ってるのです。

「兵隊の糧食は、精米一合で一個のにぎりめしを作り、なかに梅干しまたは味噌を入れる。このにぎりめし二個を合わせて一包みとする」というものだった。これが、一回の食事である。兵士は一日に四回の食事(朝・昼・夕・夜。軍夫は朝・昼・夕の三回)をしたから、一日八個の握りめし(米八合)が「兵餉」の基本だった。一日八合の飯は、現在の私たちの消費量の数倍である。しかし副食物がほとんどないため、おそらく戦場ではこれでも足りないくらいだったと思われる。
西南戦争 民衆の記《大義と破壊》P58~59
8合!! ご飯茶わん軽く1杯で、大体1/2合。8合だとご飯茶碗16杯。絶対食えねぇ~~!!
だけど、江戸時代の飛脚(物流を担う人)はもっとスゴイ。宮本常一の本には「飛脚は米を一日一升(十合)食べた」とか書いてあるんですよ!!

もちろん、食うのは米ばっかり。副食は味噌汁とか梅干しとか漬物。
それで兵士として戦争したり、荷物を背負って1日100キロ(フルマラソンの2倍以上!)移動したりしてたんですよ。ヒエーーー。米、スゴイ!!


画像の人たちだって、肉なんてほとんど食べてないんですよ。米ばっかの生活なんですよ。なのに、こんなに力モリモリ。
そもそも、そんなに何種類も食べなきゃ生きていけないなら、人類は世界に広く分布することはなかったでしょう。イヌイットは肉ばっかり食ってたし、インディオはイモやトウモロコシばっか食ってたりしたんだよ!
対馬では昭和二十五年頃までイカが主食として食べられていた。対馬はイカのたくさんとれるところで、それは開いて干してスルメにして出荷していたが、とれたものをそのまま主食として食べていた。対馬の東北海岸の漁村の食生活を調査した人の話によると、毎日イカばかり食べている。他のものはほとんど食べていない。そのあとはまた麦飯ばかりになっている。つまりイカがたくさんとれるとイカが主食になり、とれなくなると麦になる。
宮本常一 飢餓からの脱出―生業の発展と分化 P192~193
米ばっかり食っていた新潟男子のように、「自分の体には何が必要なのだろう」と自分の体の声を聴いて判断することって、すごく大切なことだと感じます。
「なぜ、『それ』を求めているのだろう?」ということも含め。