癒しのための創作が腐るとき

オタク ヒーリング

最近、創作の場においてこんな言葉を見かけることがあります。

この人、自己投影してる!キモイ!

こうした発言を見るたび、わたしは目を疑うのです。
自己投影の何が悪い!?自己投影してこそ創作でしょう!
自己投影して自由に想像上の人物を動かすからこそ、癒しが起こるんですよ!!自己投影って、自分を深く知るためにはむしろとっても大事!!!

ですが、じーっと眺めていると、確かに「キモイ」ケースもあることがわかってきました……。

キモくなる自己投影=私を認めて!

例えばこんな感じ。

○○ってば超愛されキャラ!
主人公みあふれる~!!※主人公ではない
みんな○○のこと必要としてるのよね!

この○○というキャラは、実際は超陰キャラ。リアルでクラスメートにいたらまあまず便所飯でも食ってるだろうなというキャラです。わたしも個人的には友達にはなれないかな…というタイプ。

その陰キャ推しの人が、自分の推しを「愛され」と評していたり主人公格と評していたりする。
「自分と似ているこじらせ陰キャラに自己投影して、愛される自分を夢想している」
うーん。確かに、それは、ちょっと……。若干引きますね。

だけど、自己投影自体はすごく大切なのですよ。
いくらリアルでは愛されない陰キャラでも、自分の創作の世界では愛されキャラにしたって、全然いいんですよ。ラノベやなろう系小説の主人公なんて、大体そんなキャラばっかでしょ?

問題は、その夢想をリアルでスタンダードにしようとする、単なる自分の妄想なのに「○○は愛されキャラのはず!」と現実に持ち込もうとすること、それを広く認めさせようとさせる行為。すなわち、承認欲求です。

別に現実とかけ離れた妄想してたっていいんですよ。創作してたっていいんですよ。「いやぁ、これは所詮ファンタジーだし?」というエクスキューズで心を守っておけばよい。

だけど、それをSNSとかで「○○は愛されキャラ!絶対そうなの!××の裏主人公は○○!」って言いだすと、キモくなってくる。

創作で病んでしまうメカニズム

とあるセッションで、創作が趣味のお客様はこう言われたそうです。

上の人(ガイド)
ガイド(守護霊)

今のあなたには野心がある。それが良くない。
創作が悪いとは言わない。だけど、純粋に自分のために作りなさい。読者の反応を伺って作ってしまっては、魂のためにならない。

このお客様は、以前のセッションでは「どんどん創作をしなさい!そうすることであなたは自分の魂と深くつながれるよ!」と勧められたそうなんです。

それで、創作をするようになった。
そして、楽しんで創作をしていくことで、SNSでそれなりに評価も得られるようになってきた。
――ときて、承認欲求が出てきてしまったんですね。

もっともっと!

もっと人に見られたい!

もっと褒められたい!

これね、当たり前なんですよ。
今のSNSって、そういう風に承認欲求をあおるようにできてますから。だって、いいね!の数なんて一目瞭然でしょ?「同じジャンルで書いている○○さんと自分では、100も差がある!」なんて見せられたら、そりゃ黒い感情だって自然とわきますわ。

だから、ふっつーに使ってたらふっつーに病むのがSNSなんですね。あなたが承認欲求モリモリのイタイ人なわけじゃない。そもそもがそういうシステムなんです。承認欲求にとらわれるように中毒性高く作られてるんです。

作品を発表するなら、あんまり数値化されないところでやったほうが精神病まないですむし承認欲求も煽られないで済むんですけど……今さら個人サイトって時代でもないしねぇ……。

個人的に、ピクブラ(BL) ピクモフ(NL) ピクグラ(GL)は数値化しすぎない(=他人と比べにくい)のでオススメです

承認欲求に支配されないために

自分を知る(内なる声とつながる)きっかけにもできる自己投影。承認欲求に食われて台無しにしないためには、ある程度自分を突き放す技術が大切になってきます。

自分の感情に必要以上にとらわれない、引っ張られないようにするのです。

感情とは雲のようなもので、やって来ても必ず消えます。1週間ずうっと居座る雲なんていません。24時間持続する感情なんてありません。
そんなものにいちいち同調してエネルギーを消耗していては、建設的な行動に移る前にすっかり疲れ果ててしまいます。(だからSNSって麻薬でエナジードレインになりかねないんだよねぇ~)

そうならないために、感情に同一化しすぎない訓練をする。ネガティブなことを考えていたり、他人と比較して落ち込んだりしても「ああ、そうか。自分はそう考えているのだなあ」と冷静に眺める視点を作るのです。

「そんなこと思っちゃいけない!」と抑圧するのではありません。感情を感じること自体は大切なことです。感覚アンテナで心がキャッチしているわけですからね。

感じてなお、引きずられない。それが大事。

その訓練のために、お勧めなのが仏教の伝統的な瞑想法「ヴィパッサナー瞑想」です。詳しくはウ・ジョーティカ師の『自由への旅』を読むと良いよ~。

腹が立った時は、深く内面を見つめるようにしてください。
なぜ私たちはそうしているのでしょう?
私たちは何を証明しようとしているのでしょう?
私たちはそこから何を得るのでしょう?
何かをする時はいつでも、私たちは何かを期待しているのです。
すると……、私たちは腹をたてることで何を得るのでしょう?
(P32)

ウ・ジョーティカ『自由への旅』
ウ・ジョーティカ師(Sayadaw U Jotika) "A Map of the Journey" 本文の全訳です。

あと、エゴサしない。エゴサしやすい名前にしない。

わたしもそうですが、最近芸能人やアーティストの名前に単なるローマ字のみって多くないですか。これってエゴサ防止のためにすごくいいんですよね。だって、「Mika」とか「Ken」とか検索しても、精度の高い情報が出てこないもん。

わたしもNozomiって検索したって辻希美や佐々木希や新幹線(のぞみ)が無限に出てくるだけですよ。全然自分の話題なんか出てこん。ワッハッハ。積極的なエゴサ不可環境対策。
これが「戸羽咲宮 美妃羅」って感じのステキな名前にしたら、もう一発で出てきますからなあw

 創作の楽しさの本質とは、大勢の人から、すげぇー! と賞賛されて人気者になることではなく、「自分の書きたいことを自由に書いて表現する」ことにあります。
 名声やお金といった結果ではなく、小説を書くというプロセスそのものが快感なのです。

 苦しそうなしかめっ面をしながら、クレヨンで絵を描く三歳児はいません。
 好きなことを自由に創作することに、人間は本能的な喜びを覚えるのです。
 作品の評価は、付加価値的な要素に過ぎません。
 しかし、この付加価値は、名声やお金といった社会的評価に結びつくので、多くの人は、これに惑わされてしまうのです。

 小説を書くことを名声を得る手段にしてしまうと、創作の喜びは消え、無限地獄に突き落とされます。

他人から評価を得ることを最大の目的にしない・創作のモチベーションを維持する方法

あのね、創作で身を立てようとする「好きを仕事にする!」なら、覚悟と根性が必要なのよ。

コナン・ドイルがどうして国民的ヒーローだったホームズをライヘンバッハの滝に突き落として殺したか調べてみなさいよ。
鳥山明がドラゴンボールを描くことで「闘いの漫画を描く気がなくなってしまいました」と言った気持ちを想像してみなさいよ。

人気コンテンツを創造する代償というのは、かくにも大きなものなのですよ。作り手はもう飽き飽きしているというのに、ファンは無邪気に言うんです。「またホームズの新作を!」「またドラゴンボールみたいなバトルマンガを!」と。

薄っぺらい承認欲求なんかに振り回されて、浅はかに足を踏み入れるべき場所ではないですよ。大変なんだから。

創作は、自分のために行うのが基本です。
それがたまたま人も喜んでくれたというならば、もちろん嬉しい。だけどそれが目的じゃない。それはあくまでも副産物。

承認欲求にとらわれて、自己投影したキャラに対して自分の所有物のように振る舞うのは、確かに醜い行為です。
キャラを前面に押し出して自分が愛され認められようとするだなんて、子どもで自己実現しようとする毒親と全く同じことをしてしまっています。「自分では叶えられなかった夢を、子どもに叶えてもらおうとする」ってアレね。

せっかくの自分を知る、内なる声につながるきっかけを、承認欲求で腐らせてしまわないでください。自己投影自体は、自分を知るための優れたツールとして使えるものなのです。

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