負けたほうが学べるよ!!

人生:スピリチュアルブログ
【画像】或るアホウの一生(1) 第4話

何かをする理由は、一つしかない。宇宙に向かって、自分が何者であるかを示すことである。

神との対話―宇宙をみつける自分をみつける P55
或るアホウの一生(1)
【画像】或るアホウの一生(1)第5話 或るアホウの一生 1

↑こちらの記事で、わたしはアホウを読まなかった理由をこう書きました。
「個人的には将棋って自分で指したほうが楽しい。マンガで読みたいとは思わん」

今もそう思ってて、アホウという将棋漫画を読んだからって他の将棋漫画を読みたいとは思わないし、 実際に読んでもいません。「月下の棋士」くらいは昔にチラッと読みましたけど。

マンガ読んでるより、プロ棋士が対局してるの見てるより、自分で指したいんですよ。自分でやりたい。自分で「体験」したい。
自分で体験することこそが、何よりも面白い。

あなたが真実だと思っている価値判断の中で、体験にもとづいたものはごくわずかしかない。あなたがたは体験するためにこの世に生まれ、その体験を通じて自分を創りあげるはずだった。ところが、他人の体験から自分を創りあげている。

罪というものがあるとすれば、これがそうだろう。他人の体験で自分を創りあげてしまうことだ。それが、あなたがたが犯してきた「罪」である。ひとりひとりが犯してきた罪だ。

あなたがたは自分で体験するまで待たず、他人の体験を(文字どおり)福音として受け入れ、実際の体験をするときには、すでに知っていると考えていることをなぞる。

そんなことをしなければ、全く違った体験ができるのに。

神との対話―宇宙をみつける自分をみつける P88~89

将棋の良い所は、負けるところです。

ソシャゲだとこうはいきません。多くのソシャゲは簡単です。誰でも直感的に操作できて誰でも(お金や時間をかければ)クリアできるようになっています。「俺TUEEEE!」プレイも可能です。

だけど、将棋だと棋力が互角な相手を選べば、半分は負けるんです。
この負けるのが、実に良い。

負けて「な、なんだとー!そんな手があったのか!クックソォー!!!」って、ギリギリするのが実に良い。そして自分も次はその手を盗んで使ってやろうと思ったりするわけです。
勝ってばっかりって、飽きるんです。つまんないんです。勝ったり負けたりする方が面白いんです。

しかも、負けた時のほうが学べることは多いのです。
そして、負けるとスッキリするんです。「負けたところで、自分の存在は何も脅かされないのだ」という根っこにふれることができます。憑き物が取れたようにスッキリするのです。

わたしが将棋を指すのは、勝ちたいし負けたいからです。どっちの体験も欲しいのです。受容も拒絶もどちらも欲しいのです。滋養と共に毒も欲しているのです。

小説を書こうとするとき、つまり文章を用いて物語を立ち上げようとするときには、人間の存在の根本にある毒素のようなものが、否応なく抽出されて表に出てくる。
作家は多かれ少なかれその毒素と正面から向かい合い、危険を承知の上で手際よく処理していかなくてはならない。
そのような毒素の介在なしには、真の意味での創造行為をおこなうことはできないからだ。

走ることについて語るときに僕の語ること

私たちが食べるものは、すべて、少しは有毒です。私たちは食物を摂りますが、完全には食物と自分を一つにせず、身を守ります。この自衛・防衛によって、生命が成り立っています。ただ、私たちが摂取する食物は、ごくわずかしか有毒ではありません。私たちはそれに対抗できます。私たちが本当の毒を飲めば、その毒は私たちを破壊します。そうなると、私たちはもはや毒から身を守ることができません。
ですから、「外界が私たちの中に入ってくることによって、一種の毒の棘が私たちの中に入ってくる」と、いうことができます。

星と人間[新装版]精神科学と天体 黄道十二宮から形成される人間 P66

道徳の教科書に書いてあるような健全な体験(思考)ばかりでは、人生はクッソつまんなくなります。クッソです。クッソ。

わたしたちは、時には愚かな過ちを犯したいのです。間違いを体験したいのです。自分の身を危険にさらしたとしてすら、リスクを負っても、体験したいのです。負けたいのです。

全てを体験したいのです。
そのために、命があるのだから。

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