時短、もうやめない?

人生:スピリチュアルブログ
砂時計 - photolibrary

最近なんでも「時短!」「時短!」いうて、ショートカットしたがりますよね。
でも、それって、わたし的にはスゴイ危ない生き方に見えるんですよねぇ…。

「ていねいなくらし」は心を満たす

なぜ時短すると、危ないのか。

スピリチュアル的に言うなら「全体性を失うこと」につながりかねないからです。言い換えると、人生がブラックボックス化しかねない。すなわち、「なんで私の身の上にこんなことが起こるのだ!」ということが理解できない。そういうもの(因縁)を理解する力がつかないからです。

「ていねいなくらし」が心をほっこりさせるのは、至る所で自分の手が入っているからです。ていねいに暮らしていると、ブラックボックスになるところが少なくなるのです。すなわち、全体性を維持していられる。魂にとって自然な形でいられるのです。

例えば、肉を食べることにおいて、全体性を維持するとどうなるでしょう。肉を食べるということは、すなわち動物を殺して食べているということです。だけど、ほとんどの人はそんなこと意識してない。「ファミチキうめえ」くらいにしか思ってない。命ではなく、単なる肉塊だと思っている。

わたしは基本的に肉を食べません。体質的に苦手です。これは父もそうだったので、遺伝なんでしょうね。しかし、「肉食は絶対悪だ!」とは思いません。ちゃんと、「自分は命を殺してるんだ」という意識があって、それを背負うならば。

デーヴ・グロスマンは人殺しの心理学で、大人の男たちが家畜を締めてさばいているのを見ていた幼少の経験を記しています。そのときの緊張感。「命を殺すこと」を肌で感じるあの瞬間、生々しい重みを。

映画 Earthlings [アースリングス] 日本語字幕 3/13 食べ物 牛

肉を食べるなら、背負えばよいのです。重みを。
スーパーでパックにつめられた肉塊。焼肉で食べるスライスされた肉。こういう「時短」では、重みは伝わりません。全体像を見ていないと、ブラックボックス化すると、「自分がいったい何をしているのか」をまったくわからないまま取り込むことになります。そこにどういうカルマがあるのかも、わかっていない。

だから、そこで取り込んだエネルギーが自分の人生に体現したとき、人は愚かなことを言うのです。
「何で自分がこんな目にあわなきゃならないんだ!?」
「何でこんなに自分が家畜みたいに粗末に扱われなきゃならないんだ!?」

んん~別に当たり前のことでしょう。「そういうもの」を食べているわけですから。「そういうもの」を取り込んで「そういう体」になるわけですから。

そして、これは肉だけじゃなくて野菜(植物)でもそうですよ。もちろんね。

シュタイナーの提案したバイオダイナミック農法は、月の満ち欠けまで考慮して「宇宙の一部」として農作物を育てます。
そしてそれが、戦争のための食糧増産を目指すナチス・ドイツには収量が少ないと見なされてしまいます。
【参考】ナチス・ドイツの有機農業―「自然との共生」が生んだ「民族の絶滅」  「バイオ・ダイナミック農法」の誕生と展開

無理矢理モリモリ収量増やして作った食べ物が、人間にどう作用するかまで、考えないんだよね。遺伝子組み換えとかさ。
そもそも、自然に育てて自然にいただける分で、人間は生きていくべきなんじゃないのかしらん。ってなると、もうずっと人大杉なんですけどね。

都会人の多くは食べ物に対して、全体性を失っています。時短は便利です。だけど、時短したショートカットの部分がブラックボックス化していることを気にする人はあまりいません。

もう一つ例を。
昔の車というのはシンプルな作りでした。だから、何か故障したら運転手が自分で直してしまえるようなものでした。父親がレンチ片手に車いじりに精を出していた記憶のある人もいることでしょう。

今の車は素人じゃ直せないものが多いです。複雑な構造で電子制御してたりすると、お手上げです。
プリウスみたいな電気で走る車だと、事故って炎上してもうかつに消火できません。感電死する恐れがあります。ゲリラ豪雨などで冠水した道路走るとか怖すぎ。
【参考】 プリウスで事故が起きたときに感電しないために プリウス事故対応動画まとめ – 試乗動画まとめクルマライフ

今の車は、素人にはブラックボックスなのです。何も知らないでも運転できる、車のしくみを理解する時間を時短できる代わりに、素人の手には負えないシロモノになっているわけです。

2019年1月現在、北朝鮮のミサイルよかプリウスミサイルのほうが死傷者数多いのn…おっとこんな時間に誰かが来たようだ。

わたしが上記の記事などで「何がブロックで処理じゃあ!俺にHTML書かせろムキィィ―!!」とブチ切れているのも、実はこの全体性に関わる問題だからです。技術を安易に専門家にアウトソースすると、簡単にブラックボックス化してしまいます。

もちろんすべて理解することは不可能です。けれども、ある程度、できる範囲では自分の手で知っておきたい。ちょっと知ってると、なんか不具合あった時にも「あ、ここでこの判定、この関数使ってるはずだから、あそこで引っかかってるのかも」と見当を付けやすくてグッと解決しやすくなるのです。

そのためには普段から自分で一部でいいからコーディングしておきたい。そうすることで、全体性をできるだけ損なわないようにできるから。

まあ時短していいこともあるんだけどね

時と場合によっては、時短していいこともあるんですよ。
わたしだってパスタゆでるときに前もって水に漬けておいて、ゆでる時間を1~2分に時短してますよ。ガス代も節約できてお得ぅ~♪

時短していいのは、自分ですでに全体像を把握して経験している場合です。ブラックボックスになっていないのなら、ショートカットしても良いのです。せっかく便利な公式(ライフハック)があるなら、利用してよいのです。ただし、「シクミ」をちゃんと理解している場合は、です。

言い換えるなら、「完全な消費者」にはならず、「生産者」としての一面を持てということです。完全にアウトソーシングしてしまう(超時短!)ことを減らして、自分の手でできることを増やしていく。それが、全体性の回復につながります。

「消費者」から下りるとはいっても、買うことをやめることはできません。そういう意味では、どこまでも「消費者」であるわけですが、生きていくうえでの価値観を変えることで、消費行動を変えることができるはずです。 その一つのカギを握るのが、生産者としての側面を回復するということです。 人間は、どんな時代でも常に消費者であり生産者でもあるわけですが、今は消費者の側面だけが歪なまでに大きくなっています。生産者の側面は、今も消費を続けるための方便として残っていますが、本当の意味で生産することをいかに回復するか、それが重要なポイントになるはずです。 (中略) 要点は、おカネ儲けをするのではなくて、生きていくこと。 生きていくための戦略として、「脱・消費者」を考えてみたいのです。

わたしね、10年前に比べてずいぶんと自分で何でも作るようになったんですよ。だからあんまお金もかからない。生活するためのランニングコストがコンパクトになった。

そうやって暮らしてるとね、驚くのが、「ゴミの減少」なんです。
昔はゴミの日の前日になったらパンパンになってたゴミ袋が、今じゃ「今週はまぁ捨てなくてもいいか~」ってくらいしか、たまらなかったりする。

自分の手で生活のための何かを作るって、マジいいよ。すごい満たされるよ。達成感がある。
できうる限り、ブラックボックス化するところを減らそうよ。となると、やっぱり時短しないほうがいい場合が多いんだなー。

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