いるべき時に、いるべき場所で、なすべきことをする

人生:スピリチュアルブログ

中国の兵法ではこういいます。
「三十六計逃げるに如かず」
もっといいのは、「ヤバイところには近寄らない」

侍は用のないところに出かけなかった

最近わたしは「丹田がー丹田がー」と、はしたなく騒いでおりました。

丹田っていうのは、武道において重視される体内のパワーソースのことです。

そこでふと、武道家二人の対談本である慨世の遠吠えをもう一度読み返したんです。

慨世の遠吠え

またこれがねー武道対談がねー面っ白い本でねー!!
すごい強い二人なのに、「そもそも闘わないで済ますことが大事」とか言うんですよ。

鈴木 「鈴木くん、一番強い護身術は何か知っているか?」と訊くから、「合気道でしょ」「ちがう」「柔道ですか」「ちがう。逃げ足が速いことだよ」って言われたんです(笑)。
(中略)
内田さんも言ってますけれど、「まず闘わない。危険な雰囲気がわかる」とも言ってて、そういうのはなかなかできないんですね。敵に襲われたらどうするというような護身術の本はたくさんありますが、その前段で回避するという本はないでしょう。

ほんとこれ。
危ないところに近寄らない。
そして、そもそも「どこが危ないか感じとる嗅覚を持つ」ということが、人生ではすっごい大事。

内田 武道家は「……される」というような受動的な状況に陥ってはならないんです。全ての場において主宰者である。だから、護身のために術を使うというような状況に陥るということは武道家としてはすでに相当問題なわけです。
(中略)
人を殴ったり投げ飛ばしたりするような場面と言うのは、いわば「ドブにはまる」ようなものだと思うんです。そこにドブがあるとわかっていて、足をドブに突っ込むというのはよほど鈍感な人間ですよ。ドブがあれば、それを避けて歩けばいいわけですから。べつにおしゃべりしながらでも、考えごとをしながらでも、ドブにはまらずに歩くことは誰にでもできますでしょ。

昔、格闘技やってる人とお付き合いしていたのですが、その彼も言ってました。「喧嘩になりそうになったら逃げる」って。武道をやってる人は、素人に手は出さないという矜持があるんですよね(まあたまに無い人もいますが…)。

だから恋人と言い合いになっても絶対殴らない。グッと我慢してる。
そんなことだからケンカしたら私が大体勝つわけですよ。口では女に敵わないから。だけど、自分は根本的には強いという自信があるから口げんかで負けたくらいではプライドが崩れたりしないのです。

本当に強い男というのは女を殴らないものですよ。女を殴るのは精神の弱いダメ男だね。まあ私の父親のことなんですけどね。

内田 多田先生から教わった大切な教えの一つは「昔の侍は用のないところには出かけなかった」ということです。用のないところにフラフラ出かけてゆくから無用のトラブルに巻き込まれる。そう言われてみると、僕がこれまで関わったトラブルはすべて「行かなくてもいいところに行って、会わなくてもいい人に会って、しなくてもいいことをした」時に起きていた。そういうものなんです。だから、侍は散歩なんかしないんです。勤めに登城する、武術や謡の稽古に行くか、家で書見するか、畑を耕すか、鉢の木の手入れをするか、それくらいのことしかしないんです。トラブルに遭遇して人を傷つけたり、自分が傷ついたりして本務に差しさわりが出ることを侍は最もきらった。だから、「用事がないところには出かけない」という一言に胸を衝かれたんです。

たしかにそうなんです。いるべき時に、いるべき場所で、なすべきことをするという生き方をしていれば、うまくすれば一生だれともいさかいを起こさずにすむ。そうやって考えると、どうしても出不精になりますよね。だから、僕は普段全然街に出ないんです。出るのも午前十一時頃とか、そういう眠くなるほど穏やかな時間帯に限られるし。(中略)僕は夜道を安心して歩ける街に住みたかった。駅から暗い道を十分歩くのと、改札口から一分で家のドアというのでは、トラブルに巻き込まれる可能性が劇的にちがうでしょ。

武道的な気遣いというのは、そういう総合的なものだと思うんです。相手がこう来たらこう返すという具体的な身体操作だけじゃなくて、そもそも、トラブルに遭遇しないように暮らすということこそ最も武道的なふるまいなんじゃないかな。

これ、武道をやっている人でもやっていない人でも、すごく大切なことですね。

わたしは昔、「世界を広げたくて広げたくて仕方がなかった」ので、すごく旅をしていました。

でも、やめました。

不惑を過ぎて、「自分がどこにいたら良いのか」というのがわかってきたというのもあります。
自分がわざわざ不快になるようなところに出向いて「なんであいつはそんなことを言う(する)んだ!」とプリプリ怒るのはバカバカしいでしょう。

例えば、私はオタクですがコスプレーヤーが苦手です。
正確にいうと「コスプレーヤーの集団」というものが、すごく苦手です。
リアル同人誌即売会に参加しなくなった理由の一つが、コスプレが盛況になったことだったりします。

何がキツイというと、テンションがキツイ。
コスプレーヤーの集団というのは、往々にしてものすごいハイテンションなのです。
「ぎゃあああ~~~!!○○さぁあぁああんんキレエエエェエエ!!!!!」みたいな絶叫は、コスプレ集団には日常茶飯事です。怖い……ブルブル。

でも、コスプレーヤーだけが特別に苦手なわけではないのですよ。
わたしは「テンションが異様に高い」という状態がもれなく苦手なのです。

音楽でもテクノやトランスはテンションが高すぎて無理です。クラシックは好きだけど、ワーグナーやマーラーみたいな「ドーン!バーン!ジャーン!!」系はやっぱ苦手です。四管編成とかうるさくて無理^^オーケストラより室内楽の小さなサロンコンサートのほうが好き。多くてもこのくらいがいい↓


ちなみにヴィヴァルディの冬はヨーヨーマのバロックチェロでの演奏がもう最の高すぎて聴いてるだけで心が暖かくなるので100回くらいオススメしたい。ベスト盤にもあります。
グラウンディングを強くしたい人はカザルスを聴くべし。下位のチャクラにドンと効く音。ハートの浄化にはアシュケナージが良き。

閑話休題。
とにかく、そういう「テンションの高いところ」に近づかなければいい。
同人イベントにコスプレーヤーが増えてきたならば、行かなければいい。創作活動はオンラインで十分に楽しめるわけですし。

コスプレ集団のあのテンションの高さが苦手なわけであって、ネットで写真を見ている分には問題ないわけです。見た目が嫌なんじゃなくて興奮しきった金切り声で早口に叫ばれるのが嫌なんですよ(コスプレーヤーじゃなくても金切り声+早口でギャーギャー騒ぐ人は苦手です…怖い……)。

少し前に若いあんちゃんに「今年のハロウィンなにやるの~?」と言われ「ハロウィンなんてやらないわよ。興味ないもの」と返したら「ええ~!?しんっじらんなーい!!ハロウィンやらないとか正気!?昔とは違って今の時代はもうクリスマスよりハロウィンのほうが大事なイベントなんだよ!?」とマウント取られて、ものすごく不快な気分になりました。

そして思いました。
「うん。ハロパやるような人と親しくする必要はないな」と。

https://secrettalk.me/talk/2820

ハロパやりたい人はやればいいんです。わたしはやりたくないだけなんで。

自分にとってどこが危険なのか、居心地が良いのかをアンテナを立てて動く。武道をやっているかどうかに関わらず、大切なことですね。そのためには、「好き」だけじゃなくて「嫌い」も大事なんですよ。ネガティブな面もちゃんと考慮しないと、心地よい場所は見つかりません!ポジティブ♡だけじゃダメなんだぞ~!!!

先日のメルマガには、以下のように書きました。

もう12月です。今年もあと1カ月ですね。

イギリスのポップ歌手チャーリー XCX(26)が、「昔は良かった」という歌を10月リリースしました。

私的にはIcona Popの「I Love It」の人です。


テイラー・スウィフトのサポートメンバーもやってるらしい。

こんなおっさん/おばさんホイホイの歌を若い女の子に歌わせるなんて悪趣味極まりないしイギリス社会の疲弊感まじ終わってんな……と思いました。

でもindeepでこの記事を読んだらアメリカも終わっていた。

とてもとても狂った世界に生きている - In Deep
とてもとても狂った世界に生きている

↑の記事にも書いてあるんですが、こんなご時世にはやはり小さなマイワールド構築に限りますね。
なので、再度ハトホルの時間軸を移る技術について推しておきます。

時間軸を飛び越える術 - ハトホルからのメッセージ 20100803
訳者(Nozomi)注:これは "The Art of Jumping Time Lines" A Hathor Planetary Message Through Tom Kenyonの日本語訳です。 ハトホルというマスターについて、「カ...

心地よい小さな居場所を作りましょう。
もちろん、危険を避ける警戒アンテナも稼働しつつ。

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