ゲーム・刀剣乱舞の新イベントで新しいキャラが実装されました。
それがまたイケメンキャラで、すごい人気です。pixivでは一カ月経ってないのに彼のイラストが約800件も投稿される有様。
だけど、別に顔がいいキャラなんて二次元には腐るほどいます。なぜ彼がこんなにとうらぶクラスタをザワつかせるのでしょう。
さて、刀剣乱舞というゲームをまーったく知らない、もしくはそもそもゲームなんてまーったくやらない、というあなた。イラストを見て次の質問に答えてください。
「この二人はどちらかがオリジナルでどちらかがレプリカです。さて、どっちがどっちでしょう」
正解は、左がオリジナル。右がレプリカ。
「えーっ!?どう見ても右が主人公(オリジナル)でしょー!!?」
って思いますよね。予備知識0だったら、多分ほとんどの人がそう感じるはず。
めちゃくちゃアークザラッド臭するしな(またゲーマーにしかわからない例えを)
でもテイルズ好きだとレプリカがむしろ主人公属性か。
なんてゲーマーにしかわからない例えばかりしても大変不親切なので、ちゃんとスピリチュアルな話をしようと思います。オタでごめんね!
人は陰に、陽に、惹きつけられる
わたしは「この二人めちゃくちゃ人気出るだろうなぁ~」って思ったんです。実際、多くのプレイヤーの心を惹きつけています。冬コミや春コミでは薄い本がどしどし出ることでしょう。
なぜ、そんなにこの二人の組み合わせに惹きつけられるのか。
それは非常に美しく奥深く陰陽の形をとっているからです。
もう一度先ほどのイラストを掲示します。
左の山姥切長義が陰。右の山姥切国広が陽。
外見の特徴からすると、そう思いますよね。
しかしながら「オリジナルとレプリカ」という関係から見ると長義が陽で国広が陰なんです。
男と女だと、男が陽で女が陰。
姑と嫁では、姑が陽で嫁が陰。
母と息子だと、母が陽で息子が陰。
一人の人間の中には、陰も陽もあるのです。色々な場面で、色々な相手で、わたしたちは陰陽をくるくるくるくる入れ替えて関係性のダンスを踊ります。のび太には強気(陽)のジャイアンも、母ちゃん相手には弱気(陰)になるように。
この二人の関係も、くるくるくるくると陰陽のダンスを踊っています。
このシーンでは長義が陽。国広が陰。
こちらのシーンでは長義が陰。国広が陽(極んばマジ鋼メンタル)
固定していないのです。流動的に動いているのです。
生命は常に変化する。ずっと同じ状態というのは生命の本質ではありません。死と再生の繰り返しが本来のあり方です。
この陰陽(引用内での例えでは死と再生)の形はアーキタイプに近くて人の意識の深いところを揺り動かしますから、「沼」「尊い」「しんどい」続出になります。
(刀帳の番号から察するに)ゲームの製作者側がはじめから狙ってこういう関係性(長義)を作ったわけではないと思います。ですが、結果的に「本歌(オリジナル)なのに写し(レプリカ)より存在感を示せない、由来的に優れているはずの自分が何故か劣等感を抱くはめになる」すなわち「陽なのに陰で、陰なのに陽」というものすごいエモい状態を作り出しているのです。
脚本家の倉本聰さんも、キャスティングで陽の人物と陰の人物のバランスが取れるように配置するとおっしゃっていました。例えば、ドラマ「北の国から」だと、主要人物の五郎も純も蛍も陰だから、周りには草太など陽の人間を多くするようにしたそうです。
【参考】独白 2011年3月 「北の国から」ノーツ
クラシックの楽曲でも、長いものは大抵長調と短調を織り交ぜて演奏します。全部の楽章が長調だけ、短調だけ、という曲はほぼ見かけません。どちらかだけだと、人はつまらないと感じるからでしょう。明るさ(長調)も暗さ(短調)も欲しいのです。
姓名判断では名前の中の陰陽のバランスを重視します。
陰陽のバランスが整っているものを見ると、人は気持ちが良い(=運が良くなる)からです。
ゲームキャラの山姥切も、一人ひとりになってもちゃんと陰陽の形がマトリョシカのように入れ子になっています。陰の面を剥ぐと陽の面が出てきて、陽の面を剥ぐと陰の面が出てくる。全く別の違った性質に見えるのだけれども、じーっと見ていると前と同じ形が見えてくる。まさにマンデルブロ集合。
↑これも実と虚の和の集まりだからね。複素数(zk = α + βi)相反する陰陽。
陰は陽で陽は陰で、男は女で女は男で、実は虚で虚は実なんです。
美しいものは、常に汚いものがあるから美しいと呼ばれる
善いものは、実は善くないものがあるから善いと呼ばれる
ものが存在するのは存在しないからだし
混乱があるのは単純があるからだ
低いがなければ高いもない
寂がなければ騒もない
あるはないに依存し
現在は過去があるから存在するだから、道を知る人は
あくせくと事をせずになしとげる
言葉を言わずに伝える
すべてを持って、しかもひとつである
なにも生まず、なにも持たず
生をいとなむ成功を求めない
求めるものがないから
なくすこともない老子「道徳経」第二節
長義も国広も、内面に弱いところや汚いところがあります。だからこそ、ことさらに彼らは強く美しいのです。美は醜であり、醜は美なのです。
そして、そのような矛盾した二面性こそが、人の心を惹きつけます。
陰陽が合わさっているからです。
月の力は太陽の力と合わさる必要があります。月の力が人間の内部から、太陽の力に反作用します。人間の生殖は、形態を付与する月の力に依存しています。しかし、生殖されたものは太陽の力に依存します。人間存在は、月の力と太陽の力の間に成立します。
ルドルフ・シュタイナー 星と人間 精神科学と天体
自我と太陽 – 人間を形成するもの P117