愛を与えても苦しくなる理由

人生:スピリチュアルブログ

ある青年は私にこう言いました。
「精神世界にはまりこんで魂を成長させていけば、すべての問題は解決して、苦しみはなくなると思った。なのに、愛を与えても与えても人は自分に依存してくるばかりで、どんどん厳しい道に押し流される。こんな風になるなんて思わなかった」
「あなた、何がしたいの?」
「自分はただ、人のためになりたいだけですよ」
「どうして?どうして人のためになんてなりたいの?」
「どうしてって、そんなの当たり前のことでしょう」
「当たり前なんかじゃないわ。そう思わない人もいるわ。ねえ、どうして?どうして人のためになりたいの?」
「どうしてって……わからない……」

この青年は、無意識の衝動のままに与え続けていたのです。スピリチュアルな「愛を与えれば返ってくる」という法則を信じて。
だけど、彼は「なぜ与えたいのか」がわかっていなかった。出てくる理由はせいぜい「親や先生にそうしなさいって言われたから」。内なる声からの衝動ではなかった。

自分の無意識の領域に目を向けないで与え続けるのは、かえって危険なことです。
事実、彼は与え続けても返ってこないこと、上手くいかないことに疑問を感じていました。そう、それは「その与え方、ダメだよ」っていうシグナルなんです。そういう与え方しても、自分を壊すだけだよっていう。

愛を与えて与えて、そして寝たきりに!

「死ぬ瞬間」と死後の生 (中公文庫)

「死の受容」のプロセスで有名なエリザベス・キューブラー・ロス。
彼女の人生を見ていると、非常に深い教えを感じます。

ロスのお母さんは、相手に尽くし与えつくす人でした。そんな彼女は人に尽くして与え続けたあげく、晩年脳卒中で寝たきりになりました。
それをロスは「受けとることを学ばねばならなかった」レッスンだったと述べています。(「死ぬ瞬間」と死後の生 P254)

そして、ロス自身も1988年に脳卒中、1995年に脳梗塞で半身不随になりました。そして7年後には、いつまでも自分の元に連れていってくれない神様を怠け者だと愚痴りました。
【参考】‘On Death and Dying’ author Kubler-Ross dies – More health news | NBC News

かつて、ロスは安楽死を望む母にNOを突きつけました。
そして、自分も母親と同様に、神様から「寝たきりになっても何年も死なせてもらえない」という試練を与えられたのです。

ちなみにロスが亡くなったのは半身不随になってから約10年後です。時には「なぜ自分は母の願いを叶えて楽に死なせてやらなかったのだろう」などと、過去の自分の独善ぶりに揺れることもあったかもしれませんね。因果は巡る。

ロスとお母さんはそっくりです。
「与えて与えて与えてばかりで受け取れない」というところが。

母はあたえつづけ、愛そのものでした。
ところが、母は自分では何も受け取ることができなかったのです。本当に何も。ほとんどが病的なほどでした!
たとえば、お隣の人が土曜日にパイを焼いて持ってきてくれたとします。母の手間を省いてあげようという親切からです。ところが母はその週末には自分がパイを焼いて、お返しをしないと気がすまないのです。
そういうタイプの人をご存知ですか。もし知っていたら、母のような結末を避けるために、ぜひ私の話をしてあげてください。私自身もここから学ばなければならないことは多いのですが。

母はいつの日か自分が植物状態になるのではないかとひどく怖がっていました。そうなったら完全に人の世話になるしかありませんが、世話になるなんて、彼女の人生で起こりうる最悪のことでした。私たちはよく母をからかって言ったものです。「感謝して受け入れることができないと後悔するわよ。パイをもらうことで、相手に喜んでもらえることだってあるんだから」。でも母は聞き入れませんでした。

ロス自身も、パワフルでいつも人に与えてばかりいる人でした。

「先生は今すぐにでも休まなくてはいけません。どうか立ち止まってください。何から何までお一人でやるのは無理です。休むことも覚えなくては。いつまでも毎日十七時間、週に七日働き続けるなんて不可能ですよ」。私は心の中で、なるほどそれはもっともだ、時間ができたら休むことにしよう、と思いました。
そして一九八八年八月、脳卒中で倒れ、全身麻痺になり、口がきけなくなりました。

肉体はちゃんと教えてくれます。必要なことは、何かを。

しかしながら、ロスには不屈の精神がありました。彼女はリハビリを経て、講演活動を再開できるほどに回復し、また精力的に活動を始めました。
懲りずに「与えて与えて与えて与えよう」としたのです。肉体はちゃんと「ダメだよ」と警告を発していたのに。自分自身でも薄々感じていたのに。

私はすでに毎週一万五千人もの人たちを相手に、二十年以上にわたって講演をしていました。そしてあのころにはもう、患者たちから学んだことはほとんどすべて世界中に蒔いてしまった、という気になっていました。もっとはっきり言えば、同じ話を何度も繰り返すことに嫌気がさして、講義や講演から足を洗って隠居しようと考えていました。

もう十分でしょう。休みたい。
心の奥はそう叫んでいたのです。
その警告を無視した結果、更なる悲劇がロスを襲います。

私がヴァージニアマウンテンにもどってくると、友人が待っていて、家に帰らないようにというのです。結局この友人は、あなたにはもう帰る家がないのだ、と打ち明けざるを得ませんでした。私の家は放火され、破壊されたのです。(中略)ペットだったラマは撃ち殺され、センターの看板は銃弾の穴だらけになっていました。
私はヴァージニアでは歓迎されていなかったのだということを、ついに思い知らされたのです。

こんなことがあったにもかかわらず、彼女はくじけません。
自分を奮い立たせて、再起しようとしたのです!

そんな姿を見てはいられず、ロスの息子は母をヴァージニアからアリゾナへ無理やり連れていき、「仕事」から引き離そうとしました。
それでも!彼女はまだ与え続けようとしたのでしょう!
ついに火事の翌年、彼女は脳梗塞で半身不随になったのです。

天からのメッセージを無視しつづけた彼女は、とうとう決定的なる鉄槌を食らったのです。
「いい加減、与えるのをやめなさい!!」と。


【画像】Maths Town – YouTube

誤解しないでいただきたいのですが、わたしはロス先生の功績に価値がないとは思っていません。むしろ、素晴らしいものだと思っています。
ここでは、「ロス先生」ではなく、「エリザベス」という三つ子で生まれて「何としてでも自分が生きている価値のある存在だと証明しなければならない」という強迫観念にとらわれてしまった一人の人間の問題を挙げています。

そしてこの問題は、エリザベスだけではなく、彼女の母、及び「与えて与えて与えて与えてもまだ足りない」と脅迫的に人に与えてしまう人全員に共通する問題でもあります。

あなたは、与えすぎていませんか。
受けとることが下手なまま、与えるスキルばかりを磨いていませんか。

与えることは尊いです。
ですが、受け取ることができないまま与え続けるのは愚かです。
息を吐きっぱしで吸うことを忘れているようなものですから。

もし「人のために何かをしたい」と思っている人は、一度立ち止まってください。「なぜ、そんなに人に与えたがるの?」と、自分の内面を覗き込んでください。
エリザベスとお母さんの教訓を、無駄にしないためにも。

「死ぬ瞬間」と死後の生 (中公文庫)
エリザベス キューブラー・ロス
与えすぎは、よくない
先日、二度目の離婚をした作家の村山由佳さんは、婦人公論でこのように述べています。 今後については……、そうですね、もう結婚はしないかな。 これまで2度結婚して、それぞれの人は性格的には真逆なんですが、そのどちらとも離婚することに...
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