人生を充実させたいなら、死を想え

人生:スピリチュアルブログ

わたしは最近メルマガでよく「死について」取り上げます。
ブログでもこんな記事を書いたばかりです。

死と向き合うと健康が手に入る
健康オタクという人がいます。 イキイキと生きたいという人がいます。 そういう人に限って病んでいます。なぜなら、「死」から目を背けるからです。 例えば、心はなぜ腰痛を選ぶのかでサーノ博士は、高齢者の身体の節々が痛むのは「無意識下では...

わたしは割とエネルギー値の高い人間だと思います。
「やりたい!」と思ったらすぐやります。不言実行というとかっこいいですが、言葉にする暇も無くガッついてるだけだったりもします。

だから「やりたいことがない」とか「やりたいけどできない」とか言われても、その気持ちがあんまりよくわからなかったりします。
本当にやりたいことは、わたしはすぐやってしまうからです。だから「死にたい」って言う人に「え、死んでないじゃん」と思うし、「夫と別れたい」と愚痴る女性に「え、別れてないじゃん」と思います。やりたいって思った時点でやればいいのに、何でやらんのだと。

わたしは、やりたいことはやるので。
なんでそう思ってるのに実行しないのかよくわからんのです。
問題があるなら解決して進めばいい。悩むだけ時間がもったいない。

こう書かれているのを見て「デモデモダッテ」といいたいかたには、わたしの気持ちはわからないことでしょう。通じ合えないのです。
「つか、言い訳してないでやればいいじゃん。言葉より行動!」としか思えないのです。

どうして同じ人間なのに、こういう差異ができるのだろう?と疑問でした。そして、その理由のひとつがはじめに述べた「死について」の考え方なのではないかと思い当たりました。
「Memento mori(死を想え・自分が死ぬ存在であることを忘れるな)」と言われるように、わたしは死を意識して生きています。「最後には死ぬんだから、後悔なく生きなくちゃ」と思っています。いつ死んでもいいように生きてます。

10代の頃からそうです。昔からクラスメートがなんでそんなにダラダラつまらなそうに生きてんのか、さっぱり理解できませんでした。「ダル~イ。なんか楽しいことな~い?」とかいうなら、自分で楽しいこと作ればいいのに、と。(もちろんそういうマジレスを返すと煙たがられるのでわざわざ口にはしませんが)

スピリチュアルな言い方をするならば、肉体に入っている時間は有限、一時のことです。永遠にこの人生は続かないのです。

そう思っていたら、結構切羽詰ります。
「あ、これやる!」「このことやっておかないと!」「この人にこれ伝えておかないと後悔する!恥かいたっていいや!」
自然とエネルギー値が高くなります。失敗する恐れよりも「後悔したくない!やりたい!」という気持ちのほうが上回ります。
頭で考える前に直感で判断。体は勝手に動きます。

死というと、「ネガティブで考えたくないこと」と避ける人が多いようです。
でも、そうやって死を意識しないから、生が輝かない、勇気が出ない、やる気が出ないことに、なぜ気がつかないのでしょう。生を無駄にしないために、「Memento mori」自分が死ぬ存在であることを意識することが役立つというのに。

死はネガティブではありません。ただの肉体を離れるという現象に過ぎません。昔の瞑想者は「マハーサマディ」といって、瞑想をしながら恍惚の中で死んでいきました。「死は終わり」ではないのです。単なる通過点に過ぎない。だから怖れもない。

「もっと熱くなれよお!!!」じゃないですけれども、生命を燃やしたいなら、死を意識することが良い方法です。本当にわたしたちは死ぬのです。確実に死ぬのです。
そう思ったら、一瞬たりとも無駄にできない!って思うでしょ?

だからわたしの人生は充実するのです。
死を想うから。

多死社会の今、日本ではどんどん健康を害して死んでいく人が増えています。そんな中だからこそ、自分も死ぬ存在であることをリアルに感じ取れるのではないでしょうか。
Memento mori. 死を想え。そうすれば逆説的に生は輝くのです。

タイトルとURLをコピーしました