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2018-08-07

魂をきゅうくつな檻から解放するために


私にとってこの二元性(陰陽)の世界を生きている中で、最もエキサイティングな瞬間が「陰の中に陽を見る」「陽の中に陰を見る」瞬間です。
物理学を突き詰めると神学に行き着くように、物事を突き詰めると、そこには「逆」が現れてくるのです。O vice versa!!

このブログでも「両極を統合すると奇跡が起こる」ということをたびたび書いていますが、両極を統合するには、そもそも両方の極が必要です。陰か陽、どちらかだけでは片手落ちです。ポジティブもネガティブも両方大切なのです。

「スピリチュアル好きこそ体育会系であるべき!」と言っているのも、精神性と身体性の両極を備えるためです。スピ好きって体動かさない人多いんだもん!スポーツみたいに誰かと競わなくていいから、運動は積極的に行ってください!身体性を味わうことで両極がそろうのです!

私が最近男性性と女性性でギャーギャー騒いでいるのも、「内なる両極」に気づくのに手っ取り早い手段だからです。どんな人の内面にも、男がおり、女がおる。肉体的にどちらの性別であるかなんて関係ない。パートナーがいるかいないかなんて関係ない。どんな人にも、内側に男性と女性がおるのです。

私がBLでリバ推しなのも、実にこのポイントを押さえているからです。

【BL】男性性と女性性の統合とリバ

攻が受になりネコがタチになり陽が陰になり女が男になる。
この両極のダンスを端的に踊っているのが、BLにおけるリバカップリングなのです。実に素晴らしい!!リバは真なり!!!

でもリバを地雷とする人は多いです(しょんぼり)。左右を固定したがる人が多いです。
属性を固定したがるのです。「メガネキャラは右固定」とか「陰キャラは右」とか。関係性に、パターンを持ち込もうとするのです。

そしてそれは、BLという特殊性癖の狭い世界のことではなく、一般社会における男女関係でもそうでしょう。多くの人は関係性において「役割を固定」したがるのです。
それが魂を殺すことだとは意識できぬまま。だから結婚すると多くのイキイキしていたはずの関係は死ぬわけで。

私は結婚そのものにまったく反対ではありません。私は個人的にはいい経験をしています。しかし結婚制度にまつわる多くの考え方があり、それが男性と女性の関係の息の根を止めかねません。人は愛の中で成長し、ひとりの個人になることをそのような考え方が妨げるのです。こうした考え方は見直されなければなりません。それが内なる極性の間の依存の大きな原因になっているからです。

社会の中で、わたしたちは対人関係の上でいろんな枠にはめられて生きている。この枠にはまっているのは自分のせいで、誰のせいでもない。陰陽が分割され、この一方に同一化し、そのことでこの関係性と因果律から自由になれないのだから。

私は男で、俺は女。

男性は勝つことで負け、女性は負けることで勝つ。そのふたつの間には調和がある。正反対のものが出あって、互いに合致しあう。
男性が光明に近づくと、彼の中で女性的な質が花開く。女性が光明に近づくと、彼女の中で男性的な質が花開く。このことをちょっと理解しておくといいだろう。

人間関係を続けていくと、どんな間柄でも「役割の逆転」が起こります。
積極的な方が消極的になり、年上なのに子どものようになったり、男なのに女のようになったりします。

わたしはたびたび言及していますが、大変マッチョなタイプの男性が好きです。筋肉命です。男は筋肉だろ!!

メルマガ3000部突破記念キャスでも言っていた通り、私に縁があるタイプの男性を一言でいうなら警察 消防 自衛隊です。(わかりやっす!)
ハイキュー!だと大地さん推しです。(わかりやっす!)
アメフトのポジションでいうとセーフティです(わかりにっく!)

ですが、そんなムキムキな彼らがマッチョで男らしいのは大抵表面だけであり、中身は非常に乙女で可憐で繊細ですらあります。
深く付き合っていくと、女の私のほうが大抵雄々しく大胆で、肝が据わっているのがわかってきます。男の彼らのほうが、内面はビクビク震えるか弱き小動物のようです。そして大体において女子力が高い。(オシャレだったりスキンケアしてたりすらする)

私はそういう大変男らしい男性の女性的な側面を見るのが、非常に好きです。一人の人間に陰陽の両極を見て取れるからです。そして、その女性らしさは深いところでは私の女性性ともつながっており、まさにマヤの言葉「インラケチ(あなたはもう一人のわたし)」の通りになるのです。小さな宇宙が一人の人間の中に広がっているのを見て取れるのです。

まさに一人ひとりの人間とは神秘の存在であります(筋肉)。

だけど、こういった関係は多くの人と作り上げられるものではありません。なぜなら、大抵の人はリバを嫌がる腐女子のように「関係性を固定」しようとするからです。
「俺Sだから。お前Mなんだろ?俺わかるからそういうの」
↑これ。関係において常に主導権を握ろうとする恋愛工学生。お前のことだ。

「男」「女」「夫」「妻」「父」「母」「息子」「娘」
そんな役割に自分を固定することで、安心したいのでしょう。
リバのようにクルクルクルクル立ち位置が変わるのは不安なのです。陰陽のどちらかでありたくて、どっちもあることに気づきたくないのです。「自分は強者/弱者である」と固定したいのです。

陰か陽か、男か女か、どちらかだけに分離して固定していたいのです。
その分離こそが「なんだかわからないけれども何かが足りない。何かが埋まらない」という心の虚しさの源泉だというのに!

だから、いつまでも両極がそろわない。
そろわないと、統合できない。二元性を越えていけない。

いつまで魂をきゅうくつな檻の中に閉じ込めているつもりなのでしょう?
「自分は陰でもあると同時に陽でもあること」に気づいてほしいです。
そうすれば、統合への道が開かれる。鍵が開くのです。

性愛的なものが陰陽の固定化を作りだすのならば、チベットの後期タントラ派のように、非物質的な異性とタントラ的修行をすることは、一つの地球世界に着地せず、違う世界につながる扉を開きやすいといえる。
(中略)
ある女性がエーテル体レベルで、以前別れた男性と性的交流をするということを繰り返していたが、やがてその男性が戻ってくると信じ、その気配を感じるということだった。この場合、物質的な、現物として、その男性が戻ってくることを期待するということ自体が、今のコスモスに縛られてしまうことを意味する。違うコスモスにアクセスするとは、この世に存在しない相手と結びつくということだ。

異性関係とは、世界の入り口である。それは松果腺を下垂体と接続し、思春期まっしぐらのコースを作りだす。体型が変わり、発情し、そしてこの世界に参加して有用な存在となる。イシュタルが神聖娼婦の守護神と言われているのは、おそらくこの複数の地球コスモスを許容していることを暗示している。それは一神教として、一つの地球世界だけが重要なキリスト教からすると、我慢がならないことだったろう。

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